発売日: 2009年7月7日
ジャンル: オルタナティヴ・ロック、フォーク・ポップ、スロウコア
概要
『Leaving Wonderland… in a Fit of Rage』は、Marcy Playgroundが2009年にリリースした4作目のスタジオ・アルバムであり、個人的苦悩と再生の物語が込められた、最も内省的かつ成熟した作品である。
前作『MP3』から5年ぶりとなるこのアルバムは、フロントマンのジョン・ウィックスにとって、父の死という深い喪失を経て制作されたパーソナルな作品である。もともとはソロ・アルバムとして構想されていたが、結果的にMarcy Playground名義でのリリースとなったことからも分かるように、本作には“個”と“バンド”のあわいにある複雑な感情が封じ込められている。
タイトルの「Leaving Wonderland… in a Fit of Rage（ワンダーランドを怒りにまかせて飛び出す）」という言葉が示す通り、本作は“夢の国”——つまり逃避的な想像の世界——を捨て、現実と向き合う覚悟の表明でもある。
だがその怒りは爆発的なものではなく、抑えたトーンの中にじんわりと滲む痛みや静かな悲しみとして描かれている。
音楽的には、従来のローファイなサウンドから一歩踏み込み、ピアノやストリングスを用いたアコースティック主体の編成へと変化。フォークやスロウコアの要素が前面に出ており、メロウで穏やか、しかし芯のあるサウンドスケープが展開されている。
全曲レビュー
1. Blackbird
ビートルズの名曲とは無関係だが、こちらも孤独と希望が交錯する作品。
柔らかなギターとジョン・ウィックスの深みある声が、夜明け前のような静けさを生んでいる。
2. Star Baby
甘くノスタルジックなコード進行と、星を見上げるような歌詞。
無垢な愛と、過ぎ去った時間への郷愁がにじむミッドテンポの佳曲。
3. Down the Drain
シニカルな視点と軽快なリズムが融合したポップ・チューン。
「すべてが排水口に流れていく」という歌詞はユーモラスだが、その裏に虚無感が漂う。
4. Gin and Money
アルバム中でも異彩を放つジャジーな雰囲気の楽曲。
酒と金——中毒と依存のテーマが、スモーキーなサウンドに乗って描かれる。
5. Good Times
『MP3』から再収録された曲。
あえて配置されたことで、“過去の自分”を振り返るようなメタ的な役割を担っている。
6. I Must Have Been Dreaming
儚げなピアノとストリングスが美しいドリーム・ポップ調のバラード。
失ったものと向き合いながら、夢の中のような安心感を求める心理が描かれる。
7. Devil’s Song
ゆるやかなテンポと陰影のあるコード進行。
“悪魔”という比喩は、自己の暗い側面や逃避癖を象徴している。
8. I’m Gonna Love You
今作中もっともストレートなラブソング。
約束でも決意でもなく、“そうするつもり”という柔らかい未来形が、信頼と諦観の中間にある。
9. Paper Dolls
紙人形というイメージが象徴するのは、壊れやすく、操られやすい人間の脆弱さ。
ミニマルな編成が、かえって感情のリアリティを引き立てている。
10. Emperor
ややプログレッシブな構成を持つ異色作。
“皇帝”というメタファーの背後には、権威や支配に対する冷笑が込められている。
11. Sleepy Eyes
終盤に置かれた優しい子守唄のような一曲。
愛する人への語りかけとしても、自分自身を落ち着かせる祈りのようにも聴こえる。
12. Souvenir
アルバムのラストを飾る静かなフィナーレ。
“思い出の品”というタイトルにふさわしく、過去を受け入れ、前へ進むための小さな儀式のように感じられる。
総評
『Leaving Wonderland… in a Fit of Rage』は、Marcy Playgroundにとって最も私的で、最も感情のこもった作品である。
本作を聴くとき、リスナーは“バンド”を聴いているというよりも、ジョン・ウィックスという一人の人間の心の内にそっと触れるような感覚を覚えるだろう。それはグランジの時代に培ったロック的な爆発ではなく、静かな吐露と癒しによって構成されている。
アルバム全体に漂うのは、怒りというよりむしろ“受容”である。
夢のような理想の場所＝ワンダーランドから出てきた彼は、現実の苦さと優しさの両方を抱きしめようとしている。
音楽的にも、これまで以上にフォーク的でアコースティックなサウンドが前面に出ており、バンドの新たな進化と方向性が提示されている。派手さは一切ないが、その分だけ言葉とメロディのひとつひとつが丁寧に響く。
このアルバムは、“癒し”を必要とするすべての人のための音楽である。
一人の夜、心を整理したい時、あるいは静かに誰かを思い出したい時——そのすべての瞬間に寄り添う作品なのだ。
おすすめアルバム（5枚）
- Iron & Wine / Our Endless Numbered Days
繊細なアコースティック・フォークと深い内省性が共通する。 - Elliott Smith / Figure 8
静かで詩的な語り口と優しいメロディに、深い傷と美しさが同居する。 - Sun Kil Moon / Ghosts of the Great Highway
長尺かつ語り口調の曲構成で、内省的な旅を描く。メロウでありながら濃密。 - Joseph Arthur / Redemption’s Son
スピリチュアルかつ個人的な物語を、フォークとオルタナで描く共鳴作。 - Damien Jurado / Caught in the Trees
哀愁と温かさが交差するオルタナ・フォークの名作。夜に聴きたい作品として本作と共鳴する。
歌詞の深読みと文化的背景
『Leaving Wonderland… in a Fit of Rage』の歌詞群は、明確なストーリーを持つわけではないが、全体として「失うこと」「癒すこと」「受け入れること」という三つの軸に沿って織り上げられている。
“ワンダーランド”という比喩は、60年代サイケデリアや児童文学（ルイス・キャロル）を想起させつつも、ここでは自己逃避の象徴として登場する。そこから“怒り”とともに脱出するという語り口は、感情の限界とその後の再構築の物語に他ならない。
歌詞には父との関係や愛の喪失、人生の不条理が多く登場するが、それを声高に訴えることはない。むしろ“淡々と語る”ことで、聴く者の心にそっと触れる。これはジョン・ウィックスが選んだ、“静かな祈り”としてのソングライティングの結晶なのだ。
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