1. 歌詞の概要
「Kissing the Beehive」は、カナダのインディーロックバンドWolf Paradeが2008年にリリースした2ndアルバム『At Mount Zoomer』のラストを飾る、壮大な11分超の大作である。そのタイトルが示すように、「蜂の巣にキスする」という行為は、甘さへの欲望と危険の接触を同時に孕む象徴であり、曲全体のテーマである“破滅への衝動”や“未知への欲望”を見事に体現している。
この曲は、明確なストーリーを持った物語形式というよりも、断片的で象徴的なイメージが重層的に組み合わされた詩的構成となっており、聴く者に“意味を読み取らせる”というより“体験させる”ことを目的としているように感じられる。疾走感、歪んだメロディ、突然の転調といった音の動的構造と、感情を剥き出しにしたヴォーカルが一体となり、終わりなき迷宮のような音楽体験を形成している。
2. 歌詞のバックグラウンド
「Kissing the Beehive」は、アルバム『At Mount Zoomer』の中でひときわ異彩を放つ曲であり、Wolf Paradeの2人の中心人物――スペンサー・クルーグとダン・ボークナー――の共同作業によって完成された数少ない長尺作品である。タイトルは一部でジョナサン・キャロルの小説『Kissing the Beehive』(1997年)からの引用ともされているが、曲自体が文学的な物語というより、抽象的な情景と感情の連鎖によって構成されているため、明確な対応関係は存在しない。
本曲はバンドのライヴでも稀にしか演奏されないが、アルバムの締めくくりとしての役割は極めて重要である。アルバムを通して繰り返される“都市生活の狂気”“自己と他者の分離”“世界の不条理”といった主題が、この楽曲の中で最終的に爆発し、そして消失していく構成となっている。
3. 歌詞の抜粋と和訳
この曲は長く、断片的な歌詞が多いため、いくつかのキーフレーズを取り上げて翻訳する(引用元:Genius Lyrics):
Little vision came to me
Saw a little ghost in front of me
「小さな幻が僕のもとに現れた
僕の前に小さな亡霊が立っていた」
I’m kissing the beehive
I’m kissing it all of the time
「僕は蜂の巣にキスしてる
いつだってそうしてるんだ」
I’m just trying to get home
I’m just trying to get home
「ただ家に帰りたいだけなんだ
それだけなんだよ」
ここに表れる“亡霊”、“蜂の巣”、“帰宅願望”というキーワードは、すべてこの曲の核をなすメタファーであり、失われたアイデンティティ、抑圧された欲望、そして精神的な帰還の欲求が交錯する構造となっている。
4. 歌詞の考察
「Kissing the Beehive」は、“危険を承知で欲望の対象に近づく”という、人間の本質的な衝動をテーマにしているように感じられる。「蜂の巣にキスをする」という行為は、刺される危険性を含んでいながら、それでも蜜を求めるという矛盾した行為である。そこには、快楽と痛み、愛と破壊の同居がある。
歌詞の語り手は、都市の中で亡霊のように彷徨いながら、自分の居場所を探し求めている。繰り返される「I’m just trying to get home」というフレーズは、単なる物理的な帰宅ではなく、“精神的な安定”や“自我の核”への回帰願望を表しているようでもある。
また、曲の後半では構成が壊れ、ノイズや叫びが支配する混沌の中で、“蜂の巣にキスする”というフレーズが何度も反復される。それはまるで、危険と快楽がループする悪夢のようでもあり、現代人が抱える“やめられない衝動”そのもののメタファーと捉えることもできる。
この曲のメッセージは明確な一文では語られず、むしろ言葉にならない感覚の中に潜んでいる。音の渦の中に没入し、感覚的に体験することで初めて見えてくる構造がそこにはある。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- All Delighted People (Original Version) by Sufjan Stevens
宗教性と個人性が交錯する長尺ナンバー。精神世界と音の断片が交差する構造が似ている。 - Impossible Soul by Sufjan Stevens
五部構成のポップ交響詩。恋愛、自己否定、再生といったテーマが圧巻のサウンドで描かれる。 - Daughters of the Soho Riots by The National
都市の片隅で彷徨う感情を美しく表現した曲。静かなメランコリーが「Kissing the Beehive」と響き合う。 - Spiders (Kidsmoke) by Wilco
即興性と構成の緊張感、繰り返しの中に狂気とカタルシスが生まれる。 - Us Ones in Between by Sunset Rubdown
スペンサー・クルーグの別プロジェクトからの名曲。詩的で幻視的な世界観が濃厚に共通する。
6. 終わりなき旅路としての「11分」
「Kissing the Beehive」は、その長さ自体が“帰れなさ”を象徴しているようにも思える。11分という時間の中で、音は徐々に崩れ、感情は揺れ動き、語り手の意識は夢と現実の狭間を彷徨う。
Wolf Paradeは、この曲で“曲の終わり=帰還”を簡単には与えない。むしろ終わりが見えないことで、聴き手自身もまたその旅の渦中に引き込まれる。曲が終わった後もなお、その余韻はしつこく、じんわりと残り続ける。
「Kissing the Beehive」は、逃れがたい欲望と、決してたどり着けない安息の間を揺れ動く、現代の“魂の寓話”である。その言葉と音が放つ熱量は、蜜のように甘く、そして針のように鋭い。聴き終えた後、あなたはきっと、自分がどこにいたのかも曖昧になるはずだ――それはまさに、蜂の巣に口づけを交わした者だけが知る感覚である。
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