
発売日: 2000年3月21日
ジャンル: オルタナティヴ・ロック、アート・ロック、ポストパンク
『Gung Ho』は、Patti Smith が2000年に発表したアルバムである。
90年代の復帰以降、彼女が積み重ねてきた“言葉とロックの再構築”が、
ここでひとつのピークを迎える。
前作『Peace and Noise』で研ぎ澄まされた政治性と精神性は、
本作でさらに広い視野を得て、歴史・信仰・共同体・個人の再生へと拡張される。
2000年の世界は、新世紀を迎える期待と不安が混じり合っていた。
インターネットを中心に価値観が加速的に変化する一方で、
旧来の世界像は大きく揺らぎ、
それはパティが70年代から扱ってきたテーマとも響き合う。
『Gung Ho』は、そうした“変わりゆく世界の入口”で記された作品であり、
過去の歴史と新たな未来の境界線を、彼女の詩が鋭く切り取っている。
サウンドは前作よりも重厚でダイナミック。
Patti Smith Group が再び成熟したエネルギーを見せ、
ギターの厚み、語りの速度、リズムの躍動が一体となって駆け抜ける。
ときに祈りのように静まり、ときに闘うように吠える。
そのコントラストがアルバム全体に高い緊張と生命力をもたらしている。
本作の特徴は、個人的な感情よりも、
歴史的・社会的視点がより強調されている点にある。
仏教徒であり革命家でもあった Ho Chi Minh を扱ったタイトル曲「Gung Ho」に象徴されるように、
世界の痛みや祈りを自らの言葉で受け止めようとする力がみなぎる。
『Gung Ho』は、パティ・スミスの“社会と再び深く交わろうとする意思”が
最も明確に表れた作品の一つなのだ。
全曲レビュー
1曲目:One Voice
高揚感のある幕開けで、アルバムのテーマである“声を合わせること”を象徴する。
強さと優しさが同居し、未来への門出を告げるようだ。
2曲目:Grateful
穏やかながらも凛としたナンバー。
感謝という普遍的テーマを、パティらしい祈りの言葉で再構成している。
メロディの明るさが印象的。
3曲目:Lo and Beholden
リズムが強く、語り口にも力がこもる。
自己と世界の関係が揺れ動く様子が、詩と音の双方に現れている。
ギターの刻みが耳に残る。
4曲目:Upright Come
スピード感のあるビートと鋭利な語りが特徴。
“立ち上がれ”というメッセージが強く響き、
アルバムのセンターに位置するような役割を果たす。
5曲目:Newborn Awakening
ゆっくりとした立ち上がりから、徐々に視界が開けていくような構造。
再生と変容を象徴する曲で、
静かな語りの中に温かさが宿る。
6曲目:Libbie’s Song
個人的な情景が繊細に描き込まれた美しい小曲。
アルバム全体の重厚さの中で、ひときわ静かな光を放つ。
7曲目:Strange Messengers
霊的な雰囲気をまとい、言葉の強度が増す。
歴史や宗教への眼差しが強く、黙示録的な世界観を感じさせる。
8曲目:Gone Pie (reprise)
前作からつながる楽曲の再演。
再生と循環というテーマを象徴し、過去の傷跡を見つめながら進む姿が描かれている。
9曲目:Persuasion
深い低音と重厚なリズムの上に、
パティの言葉が鋭く乗る。
社会への問いかけと自己反省が混ざり合うような複雑な感触。
10曲目:China Bird
柔らかなメロディと風景描写が美しく、
詩的な旅の一ページのような曲。
アルバムの緊張感をやさしく緩める。
11曲目:Glitter in Their Eyes
最も批評的で、政治的テーマが前面に出る。
消費社会や文化の虚構性を鋭く刺すような歌詞が特徴的。
グラミー賞にもノミネートされた重要曲。
12曲目:Loose Ends
内省的で、別れや記憶を静かに振り返る。
温かな余韻が残る一曲。
13曲目:Gung Ho
アルバムのタイトル曲であり、最も壮大な楽曲。
ホー・チ・ミンの人生と思想を題材に、
歴史と個人の交差を描き出す大作である。
語りと歌が交錯し、アルバム全体のメッセージを総括する。
総評
『Gung Ho』は、Patti Smith が“世界との対話”へと再び踏み出した重要作である。
個人的喪失を作品化した『Gone Again』、
社会のざわめきと対峙した『Peace and Noise』を経て、
本作では視野がさらに広がり、歴史・政治・哲学といった大きなスケールで
人間の営みを見つめ直している。
サウンドは重厚で、ギターやリズムの迫力が増し、
語りの鋭さも70年代を想起させるほど強くなった。
しかしその熱量は、怒りをぶつけるためではなく、
“世界の痛みを理解しようとする姿勢”に基づいている。
それが本作をより深く、成熟した作品へ押し上げている。
同時代のアーティストと比較すると、
・Rage Against the Machine の政治性
・U2 が90年代に見せた思想的な広がり
・PJ Harvey の内面の荒野を描く手法
といった要素と響き合うが、
パティ独自の“詩の力”が全てを貫いている。
彼女の言葉は、単なるメッセージではなく、
歴史の中に埋もれた声を掘り起こすような深度を持つ。
『Gung Ho』が現在も重要視される理由は、
世界や歴史が複雑化する現代において、
“声を持つこと”の意味を静かに、しかし確固とした形で示しているからだ。
政治でも個人的感情でも、
パティ・スミスの言葉は常に「人間の尊厳」という一点へ収束していく。
それが本作の普遍性を支えている。
おすすめアルバム(5枚)
- Peace and Noise / Patti Smith
社会と痛みの交差を描いた前作。 - Gone Again / Patti Smith
内面の再生を描く復帰作。 - Zooropa / U2
社会変化を大きな視野で見つめた90年代の重要作。 - Rid of Me / PJ Harvey
個と世界の緊張を描く激烈なアートロック。 - The Battle of Los Angeles / Rage Against the Machine
政治性の強いロックを比較するのに最適。
制作の裏側(任意セクション)
『Gung Ho』は、Patti Smith Group のメンバーが中心となり、
ニューヨークを拠点に録音が進められた。
プロデュースにはパティ自身と、長年のパートナーである Lenny Kaye が携わり、
70年代から続く“語りとバンドの呼吸”がより密に表現されている。
特にタイトル曲「Gung Ho」は、構想段階から
歴史資料を読み込み、長い期間をかけて制作された。
詩の密度が高く、政治的指標を扱いながらも、
パティはそこに“人間の声”を重ねようとしたと言われている。
また、グラミー賞にノミネートされた「Glitter in Their Eyes」のレコーディングでは、
消費文化に対する批評性を音の構造にまで落とし込み、
ギターのフィードバックやリズムの崩しが意図的に配置されている。
その実験性がアルバムの緊張感につながっているのである。



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