
1. 歌詞の概要
「Dear God(ディア・ゴッド)」は、XTC(エックス・ティー・シー)が1986年に発表した楽曲で、アルバム『Skylarking』のセッション中に制作され、当初はアルバム本編には収録されなかったものの、後にシングルB面から話題となり、宗教・信仰という極めてセンシティブなテーマに挑んだ衝撃作として世界中に広がった。
歌詞はその名の通り“神様への手紙”という形式を取りながら、世界に溢れる不条理――飢え、戦争、憎しみ、孤独、差別、罪の意識――を前に、「本当にあなたは存在するのか?」と疑いを突きつける。しかし、単なる無神論の主張にとどまらず、人間の良心や共感が神を超える可能性を信じようとする、深い倫理的視座に立った作品でもある。
「なぜ世界はこんなにも残酷なのか?」「なぜ罪なき者が苦しまなければならないのか?」
それは、古代から人類が繰り返し問い続けてきた“神義論(theodicy)”への批判であり、祈りのかたちを借りた叛逆の歌なのだ。
2. 歌詞のバックグラウンド
「Dear God」はXTCのフロントマン、アンディ・パートリッジによって書かれた楽曲であり、アルバム『Skylarking』のプロデューサーであったトッド・ラングレンとの間で収録を巡って意見が分かれたという逸話が残っている。結局、本編からは外され、シングル「Grass」のB面としてひっそりとリリースされたが、ラジオ局のリクエストによって急速に注目され、再び『Skylarking』の再発盤に組み込まれるという異例の経緯をたどった。
この曲は、発表当時アメリカで大きな波紋を呼び、宗教団体からの抗議や放送禁止運動の的にもなった。ある学校では、教師がこの曲をかけたことをきっかけに保護者からの批判が殺到し、爆弾予告さえ届いたというエピソードもある。それほどまでにこの曲は、信仰という個人的かつ社会的な領域に対して、真っ向から問いを投げかけた稀有な作品だった。
一方で、リスナーからは共感と感動の声も多く寄せられ、信仰を持たない者だけでなく、**神を信じながらも苦悩する者にとっての“心の声”**として響いた。XTCにとってもこの曲は特別な存在であり、ライブ活動から撤退していた時期にも一貫して重要なレパートリーとして残されている。
3. 歌詞の抜粋と和訳
Dear God, hope you got the letter and
神様、この手紙を読んでくれていますか?I pray you can make it better down here
ここを、もっと良くできると願っていますI don’t believe in you
だけど、私はあなたを信じていないI wrote this letter to you
それでもこの手紙を書いているのですTo tell you how I feel
私がどう感じているかを、伝えるためにI can’t believe in you
あなたの存在を、信じることができないのですDid you make disease and the diamond blue?
病も、青く輝くダイヤモンドも、あなたの仕業なのですか?Did you make mankind after we made you?
それとも、あなたは人間が“作った存在”なのですか?
(参照元:Lyrics.com – Dear God)
このフレーズの強さは、不信そのものを「祈り」として昇華した逆説的構造にある。神を否定しながらも、それでも話しかけてしまう人間の弱さと真摯さが、深く響く。
4. 歌詞の考察
「Dear God」が描いているのは、ただの無神論ではない。むしろその正体は、世界の残酷さに耐え切れず、神にすがりたくなるほど追い詰められた魂の叫びである。
“信じたいけど、信じられない”――その矛盾の中に、人間の本質がある。
この曲で語り手は、戦争、病気、差別、飢餓といった現実を並べながら、
「そんな世界を放置する神を、どうして信じられるのか?」と問う。
だが、それは単なる怒りではない。むしろ、愛や平等といった理想を信じたいからこそ、神に絶望してしまった人間の正直な問いかけなのである。
さらに、「あなたが人間を作ったのか? それとも、人間があなたを作ったのか?」というフレーズは、信仰そのものの構造にメスを入れる哲学的な問いであり、まさにこの曲がただのプロテストソングにとどまらないことを示している。
アンディ・パートリッジは、幼少期にキリスト教教育を受けながらも、その教義に強い違和感を抱いていたという背景を持つ。そうした個人的体験が、「Dear God」における揺るがない疑念と同時に、人間への希望を失わない視線を形作っているのだ。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Losing My Religion by R.E.M.
信仰と個人の苦悩を繊細に描いた、90年代を代表する信仰批判ポップ。 - God by John Lennon
自らの内面と信仰、アイドルを断絶していく姿勢を描いた、革命的な楽曲。 - Take Me to Church by Hozier
宗教と欲望、身体性を詩的に対峙させた現代のスピリチュアル・プロテスト。 - Personal Jesus by Depeche Mode
“あなた自身の神を持て”というアイロニーと自立の呼びかけ。 - Blasphemous Rumours by Depeche Mode
神と運命の残酷ないたずらに対する、冷ややかで鋭い観察眼。
6. “神を疑うことは、希望を捨てることではない”
「Dear God」は、信仰を捨てた歌ではない。神の存在に疑念を抱きながらも、なおこの世界に希望を探そうとする人間のための歌である。
そしてそれは、時に神を信じる者たち以上に、深い祈りのかたちを持っている。
信仰を持たぬ者にとっても、信仰を持つ者にとっても、この曲が刺さるのは、
そこにあるのが攻撃ではなく、誠実な対話の試みだからだ。
「Dear God」は叫びであると同時に、手紙である。
誰もが一度は心の中で書いたことのある“あの手紙”の、ひとつの完成形である。
そしてその手紙は、たとえ返事が来なくても――
私たちが世界に対してどう生きるかを決める、大切な対話の始まりなのだ。
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