Coyote by Joni Mitchell(1976)楽曲解説

 

1. 歌詞の概要

「Coyote(コヨーテ)」は、Joni Mitchellジョニ・ミッチェル)が1976年に発表したアルバム『Hejira』の冒頭を飾る楽曲であり、彼女の旅する視点と、大人の関係性に対する醒めた情熱を織り交ぜた名作である。
この曲で描かれるのは、短くて熱く、それでいて決して交わらない――そんな一夜限りの関係の記憶だ。コヨーテとは、自由で奔放で、人を惹きつける男のメタファーであり、彼をめぐる旅路の風景が、ジョニの語りによってロードムービーのように展開していく。

「Coyote」の主人公である“彼”は、既婚者でありながら流れ者であり、女たちを惹きつける魅力を持ちつつも、どこにも定住せず、誰にも真正面から向き合わない。ジョニは彼に惹かれつつも、決して「恋に落ちる」わけではない。むしろ彼の生き方と自分の距離感を静かに測りながら、共に交差する“自由の線”の中で、女として、旅人として、自分の立ち位置を見つめ直す。

この曲は、恋の歌でありながら、恋に依存しない。むしろ、自由を保つために、恋を手放す決意の歌とも言えるだろう。

2. 歌詞のバックグラウンド

「Coyote」は、1975年にBob Dylan主導で行われた“ローリング・サンダー・レヴュー”ツアーの最中にジョニ・ミッチェルが出会った、俳優で脚本家のサム・シェパードとの短い関係をもとにしているとされている。彼女はこの時、ツアーに参加しながらも独自の視点でその内部を観察し、また一種の“疎外感”も抱えていた。

本作を収録した『Hejira』というアルバムは、旅と孤独、自己との対話をテーマにした作品であり、ジョニ自身が一人で車を運転し、アメリカを横断する中で書かれた楽曲が多く収録されている。「Hejira」とはアラビア語の“ヒジュラ(離脱)”を語源とし、何かを離れ、自分自身に帰る旅というニュアンスがある。

「Coyote」は、そんな旅の始まりに位置づけられる曲であり、“すれ違い”と“解放”を一つの物語として提示している。リズムとメロディは、フォークでもジャズでもロックでもない、彼女独自のスタイルで、1970年代後期のジョニの音楽的成熟を象徴している。

3. 歌詞の抜粋と和訳

以下に、「Coyote」の印象的なフレーズを抜粋し、日本語訳を添える。

No regrets, Coyote
We just come from such different sets of circumstance

後悔はしてない、コヨーテ
私たち、最初からまったく違う世界の住人だった

He picks up my scent on his fingers
While he’s watching the waitress’s legs

彼は私の匂いを指に残したまま
ウェイトレスの脚を目で追ってる

He’s got a woman at home
He’s got another woman down the hall
He seems to want me anyway

彼には家に女がいて
廊下の先にももう一人いる
それでも、私を欲しがってるように見える

Coyote’s in the coffee shop
Staring a hole in his scrambled eggs

コヨーテは朝のカフェにいて
スクランブルエッグをじっと見つめている

(歌詞引用元:Genius – Joni Mitchell “Coyote”)

4. 歌詞の考察

「Coyote」に描かれている関係性は、一見するとカジュアルな一夜のロマンスだが、その背後には深い洞察がある。
ジョニ・ミッチェルはこの曲で、“惹かれ合いながら交わらない”という、成熟した男女の関係を冷静に、そしてときにユーモラスに描いている。

主人公の女性は、“愛されたい”というよりも、“理解されたい”と願っている。だがコヨーテはそれに応えない。彼は物理的には近くにいても、精神的にはつねに“どこかへ向かっている”。その孤独さと魅力の入り混じった存在に、ジョニは引き込まれながらも、決して溺れはしない。

No regrets, Coyote」というフレーズは、この関係が終わることを予期しながらも、それを後悔とはせず、ただ“交差した旅路の一幕”として受け入れている潔さを象徴している。

また、「スクランブルエッグを見つめている」という描写には、彼の無関心さ、もしくは深い内省が垣間見える。ジョニの視線は、恋人としてではなく、**“同じ時代を旅する観察者”**として彼を捉えているのだ。

この曲が凄いのは、決して感傷的にならず、むしろ**“感情と理性のあいだ”**を揺れながら語っていることだ。彼女は心を開きつつも、最後まで“自分の輪郭”を失わない。まさにジョニ・ミッチェルならではの、強さと繊細さが同居するリリックである。

(歌詞引用元:Genius – Joni Mitchell “Coyote”)

5. この曲が好きな人におすすめの曲

  • Hejira by Joni Mitchell(from Hejira
     旅の終わりと自己への帰還を静かに描いた、アルバムの表題曲。精神の浮遊感が「Coyote」と共鳴する。
  • Chelsea Morning by Joni Mitchell(from Clouds
     旅する女性の喜びと孤独を明るい音で包んだ初期の名曲。感覚の記憶を祝福するような歌。
  • Diamonds and Rust by Joan Baez
     過去の恋人ボブ・ディランとの関係を赤裸々に綴ったバラード。女性目線の“回顧と俯瞰”が共通する。
  • Amelia by Joni Mitchell(from Hejira
     空を飛ぶ女性飛行士アメリア・イアハートをモチーフに、自由と孤独の本質を描いた詩的名曲。

6. 通りすがる自由のかたち――女と旅とコヨーテと

「Coyote」は、単なるラブソングではない。それは**“自由な女の人生譚”**であり、束縛されない魂が、束縛を恐れる魂に出会ったときの記録でもある。
この曲でジョニは、恋に落ちることも、落ちないことも、どちらも尊いと認めている。
彼女にとって恋は、「所属」ではなく「交差点」なのだ。

旅の途中で出会ったコヨーテは、もう二度と現れないかもしれない。
けれどその一夜が、風景になり、言葉になり、歌になった。

ジョニ・ミッチェルの「Coyote」は、その歌そのものが“旅の余韻”なのだ。
忘れられないのに、引き止めない。
それが彼女にとっての“愛”のかたちであり、自由の意味である。

コメント

タイトルとURLをコピーしました