発売日: 1980年6月15日
ジャンル: ニュー・ウェイヴ、アート・ポップ、ポストパンク
概要
『Careful』は、The Motelsが1980年にリリースしたセカンド・アルバムであり、デビュー作で見せた耽美的で退廃的なスタイルを継承しつつも、より洗練された音作りへと進化を遂げた作品である。
本作では、マーサ・デイヴィスの歌声を中心とした劇的な構成が一層際立ち、バンド全体のアンサンブルもタイトさを増している。
前作『Motels』で築いた冷たい質感や都市的疎外感を引き継ぎながら、より明瞭なメロディと整然としたアレンジが施され、商業的にも一歩踏み出した内容となっている。
当時のニュー・ウェイヴ・シーンにおいては、パンクからポップへの過渡期にあたる時代であり、The Motelsはその橋渡し的存在としても機能していた。
抑制された表現と情念の爆発が交錯する緊張感に満ちたこのアルバムは、80年代初頭の女性ヴォーカル・ロックの重要作のひとつとして位置づけられている。
全曲レビュー
1. Danger
冒頭から緊張感を高める、ポストパンク的な硬質のリズムが印象的なナンバー。
マーサ・デイヴィスのヴォーカルが「危険」の二面性——誘惑と警告——を鮮やかに描き出している。
シンセの使用が控えめであるぶん、バンドの鋭利なアンサンブルが際立っている。
2. Envy
ゆらめくギターとベースが交錯する、内省的かつ幻想的な楽曲。
タイトル通り「嫉妬」という感情が主題であり、抑圧された情念がじわじわとにじみ出る。
Aメロからサビへの展開も滑らかで、聴き手を静かに引き込んでいく構成が秀逸である。
3. Careful
アルバムタイトル曲にふさわしく、緊張と抑制の美学が貫かれている。
“Careful”という言葉の繰り返しが、不安定な人間関係や精神の均衡を象徴しているようだ。
反復による催眠的な効果と、感情の起伏を抑えたパフォーマンスの対比が聴きどころである。
4. Bonjour Baby
キャッチーなメロディが際立つ軽快な楽曲。
タイトルからも感じ取れるように、どこかパリのカフェを思わせる洒落っ気が漂う。
その裏には、愛のすれ違いや仮面の関係といったテーマが潜んでおり、表層の明るさに騙されてはいけない。
5. Party Professionals
ディスコの終焉を予感させるような、ややシニカルなパーティー・ナンバー。
“プロの遊び人”という視点から、享楽の空虚さを冷静に見つめている。
ビートとベースが前面に出ており、ダンサブルでありながらも決して明るくない。
6. Days Are OK (But the Nights Were Made for Love)
アルバム中でも最もポップ寄りの一曲で、ラジオ・ヒットも狙える構成。
昼間の無難な日常と、夜にこそ生まれる愛の本質を対比させたリリックが印象的である。
哀愁と高揚感が入り混じる、80年代的なメロウポップの佳作。
7. Cry Baby
ブルージーなギターが印象的なスローナンバー。
泣き言を繰り返す「Cry Baby」に対し、語りかけるようなボーカルが突き放すでもなく寄り添うでもない独特の距離感を保っている。
感情表現のコントロールが見事な一曲。
8. Whose Problem?
人間関係の責任の所在を問う、鋭利なナンバー。
“Whose problem is it?”という問いが繰り返されるたび、聴き手は自らの内面と向き合わされるようだ。
短くも強烈なインパクトを残す曲であり、アルバムの転換点にもなっている。
9. People, Places and Things
詩的なタイトルにふさわしく、人生の移ろいと記憶を巡るノスタルジックな一曲。
淡いギターと浮遊するシンセが、まるで古い写真アルバムをめくるような感覚を呼び起こす。
個人の記憶と社会の風景が交錯するリリックも秀逸である。
10. Slow Town
静かにアルバムを締めくくるスロー・ナンバー。
小さな町の眠たげな風景と、そこに沈殿する感情が丁寧に描かれている。
リスナーに余韻を残す、映画のエンドロールのような存在感をもったラストである。
総評
『Careful』は、The Motelsというバンドが持つ「静かな激情」の美学をより深く掘り下げた作品である。
前作に比べてメロディや構成が整理され、商業性と芸術性のバランスを保った成熟を感じさせる。
マーサ・デイヴィスのボーカルは、ますますその表現力を高め、ささやくようなトーンから魂を吐き出すような叫びまで、幅広いレンジを自在に操っている。
音の選び方やリズムの隙間に漂う空気にすら意図が宿っており、「静」の中にある「動」を丁寧に描いている。
本作は単なるニュー・ウェイヴの一作品に留まらず、80年代という時代の曖昧さ、不安、仮面と欲望の文化を象徴する一枚でもある。
表面的な煌びやかさの裏にある感情の影を描くという点で、The Motelsの真骨頂が発揮されている。
ポストパンクの知性と、ポップの親しみやすさを併せ持つ『Careful』は、ニュー・ウェイヴ入門者にとっても、静かに深く沈みたいリスナーにとっても、記憶に残るアルバムとなるだろう。
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