1. 歌詞の概要
「Bull in the Heather(ブル・イン・ザ・ヘザー)」は、Sonic Youthが1994年にリリースしたアルバム『Experimental Jet Set, Trash and No Star』からのシングル曲であり、キム・ゴードンがリードボーカルを務める楽曲としても広く知られている。
サウンドはミニマルで淡々としたリズムを基調としながらも、内側には激しい断絶と衝動が渦巻いており、Sonic Youthの“静かな実験性”が最も洗練された形で表出した一曲である。
タイトルの「Bull in the Heather」は、一見すると意味不明なフレーズだが、「heather(ヒース)」という繊細な植物の中に“bull(雄牛)”が踏み込むというイメージから、“乱暴なものが繊細な世界を荒らす”という構図が想起される。
このアンバランスなイメージが、そのまま曲の主題——女性性、侵入、抑圧、脱構築された関係性——へと繋がっていく。
歌詞の語り手は、関係の中で揺れ動き、破裂しそうな感情を抑えながら、外側の音やイメージのノイズと重ね合わせるように、冷静かつ挑発的な声で語りかける。
そのテンションの低さが逆に、深い緊張感と不可解な魅力を生み出しているのだ。
2. 歌詞のバックグラウンド
この曲がリリースされた1994年は、ニルヴァーナのカート・コバーンがこの世を去った年であり、オルタナティヴ・ロックというムーブメントの“熱”が終焉を迎え、次のフェーズに進み始めた時期でもあった。
『Experimental Jet Set, Trash and No Star』というアルバム自体が、そうした“ポスト・グランジ”の空気の中で制作されており、より内省的かつミニマルなアプローチがとられている。
「Bull in the Heather」には、アメリカのインディーバンド「Pavement」のメンバーであり、キム・ゴードンの友人だったビリー・コーガン(Smashing Pumpkins)への皮肉や距離感も込められているという解釈もある。
また、ミュージックビデオにはビースティ・ボーイズのマイク・Dが出演しており、当時のNYアンダーグラウンド・カルチャーの交差点としてのSonic Youthの存在感を象徴している。
この曲の詞や演奏において一貫して感じられるのは、“意図的な非対称性”である。
ギターリフはリフでありながらメロディを拒み、リズムは機械的でありながらどこか有機的、歌詞は感情的でありながら無表情に近い。
それらが複雑に絡み合い、“言い切らないことで語る”という、キム・ゴードンならではの表現に昇華されている。
3. 歌詞の抜粋と和訳
引用元:Genius Lyrics – Sonic Youth “Bull in the Heather”
Ten, twenty, thirty, forty / Tell me that you wanna hold me / Tell me that you wanna bore me
10、20、30、40
私を抱きしめたいって言ってよ
私を退屈させたいって言ってよ
Tell me that you gotta show me / Tell me that you wanna score me
何かを見せたいって言って
私をものにしたいって言って
Tell me that you wanna fail me / Tell me that you wanna nail me
私を失望させたいって言って
私を仕留めたいって言って
Stick your hands in my back pockets / Talkin’ ‘bout you won’t knock it
私のポケットに手を突っ込んで
その気がないって話してるくせに
4. 歌詞の考察
「Bull in the Heather」の歌詞は、一見ナンセンスな言葉の羅列のように感じられるが、その断片的な語りの中には、性、権力、関係性、暴力性といった重層的なテーマが密かに込められている。
繰り返される「Tell me that you…」の構文は、“支配されたい願望”のように見えて、実際には“支配の言語”を逆手に取ったパロディでもある。
語り手は自らの体を“もの”として差し出しているように見えて、その実はその言語そのものを消費する側(=聴き手)への冷ややかな挑発を繰り返している。
「Stick your hands in my back pockets(私のポケットに手を入れて)」というラインも、親密さと侵入の境界を曖昧にしながら、関係性の中に潜む暴力性と、女性の身体をめぐるイメージを静かに脱構築していく。
そこには、愛やセクシュアリティを語る“言葉”が、いかにして支配のツールになり得るかというメタ視点がある。
キム・ゴードンの無表情なボーカルは、この歌詞の力学をさらに複雑にしている。
感情を削ぎ落とした声で語られることによって、リスナーはどこまでが“欲望”で、どこまでが“風刺”なのかを読み取ることができない。
そしてその不確かさが、この曲の本質なのである。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Dress by PJ Harvey
女性の視点から見たジェンダーと欲望を描いたロックナンバー。Bull in the Heatherと同じく「視線」に対する反抗がある。 - Cannonball by The Breeders
90年代オルタナ女性ボーカルの代表曲。脱構築的で不穏なポップセンスが共通している。 - Doll Parts by Hole
「女の身体」というイメージを鋭く切り裂く叙情的なグランジ。Bull in the Heatherの問いに応えるような存在感。 - Divine Hammer by The Breeders
反復と脱力感、そして言葉の不在性がキム・ゴードンの美学と響き合う。
6. “語らない”ことで突き刺す、静かな暴力
「Bull in the Heather」は、Sonic Youthの“最もポップ”で“最も難解”な一曲かもしれない。
それは、メロディが耳に残る一方で、歌詞は意味を拒み、音楽は感情を遠ざけるからだ。
だがそれこそが、この曲の最大の強みである。
言葉を壊すことでしか表現できない感情。
声を無感情にすることでしか届かない怒り。
それを可能にしたのが、キム・ゴードンという存在であり、Sonic Youthというバンドの器だった。
「Bull in the Heather」は、恋の歌でも、怒りの歌でもない。
それは“見る”ことへの警告であり、“言葉を欲すること”への挑発である。
だから私たちは戸惑いながらも、何度もこの曲に戻ってきてしまうのだ。
意味を求めるたびに、意味が遠ざかる。
だが、その遠ざかるプロセスこそが、真に音楽的な体験なのかもしれない。
そしてその体験は、1994年から今に至るまで、静かに更新され続けている。
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