
発売日: 1996年7月2日
ジャンル: ガレージ・ロック、ジャム・ロック、ローファイ・グランジ
傷ついた矢の向かう先——Neil Young、轟音の果てで見つめる内なる静寂
『Broken Arrow』は、Neil YoungがCrazy Horseとの連名で1996年に発表したスタジオ・アルバムであり、荒々しくも不思議な静けさを湛えた、ジャムと歪みの“心象風景”のような作品である。
前作『Mirror Ball』でPearl Jamとの共演により90年代グランジの中心へ一時的に舞い戻ったヤングが、再び古巣Crazy Horseと共に“演奏そのもの”に立ち返った一作。
録音はラフでローファイ、演奏は長尺で即興性に満ち、楽曲というよりも“音の出来事”が次々に現れては消えていく、時系列さえ曖昧なアルバムである。
タイトルの「Broken Arrow(折れた矢)」は、伝統、自己、理想、あるいは過去そのものの“損壊”を意味する象徴的な言葉。
その象徴通り、本作は“完成された楽曲”への執着を手放し、崩れたままの美しさと向き合う姿勢を貫いている。
全曲レビュー
1. Big Time
アルバムの幕開けを飾る、10分超のジャム・ロック。「今がそのときだ(This is the big time)」という繰り返しが、皮肉とも祈りとも取れる。 時間の中で漂うような音。
2. Loose Change
リズムが崩壊しそうなギリギリのアンサンブル。歌詞の断片性と、音のうねりが“記憶の混乱”を想起させる、幻覚的なサウンド。
3. Slip Away
本作のハイライト。心が「滑り落ちていく」ような喪失感と、ギター・ジャムの持続が、深い瞑想へと誘う。 ライヴでの即興的発展にもつながる重要曲。
4. Changing Highways
突然現れるコンパクトなカントリー・ナンバー。全体の“流れ”を切るような配置がかえって印象的で、曲調の明るさに潜む諦念が味わい深い。
5. Scattered (Let’s Think About Livin’)
日常の細部や愛についての断片をつなぐ、素朴な哲学が込められた一曲。 ギターの揺らぎが、“生きること”の不確かさを静かに伝える。
6. This Town
皮肉に満ちた語り口で、ある町とそこに住む人々の姿を描写。狂気と愛着の狭間にある“ホームタウンのリアル”を突くような曲。
7. Music Arcade
アルバム中最も静謐で内省的なトラック。アコースティック・ギターと囁くようなヴォーカルが、まるで記憶の断片に触れるように響く。
8. Baby What You Want Me to Do(Live)
ジミー・リードのR&Bクラシックのカバー。隠し録音のようなローファイなライヴ音源で、アルバムの締めくくりに“外からの音”が忍び込む構造が興味深い。
総評
『Broken Arrow』は、Neil Young & Crazy Horseが90年代のロックの喧騒から距離を置き、“自分たちの時間”の中で音を育てた記録である。
明確なコンセプトや構成の明瞭さを欠きながらも、そこには“風景のように流れる音楽”の美学が確かに息づいており、聴く者をゆっくりと非現実へと導いていく。
アルバム全体に漂うのは、どこか“あきらめにも似た静けさ”であり、それは爆音の中にすら存在する。情熱の炎ではなく、灰のなかに残る静かな熱——それこそが『Broken Arrow』の核心なのだろう。
おすすめアルバム
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Sleep with Angels / Neil Young & Crazy Horse
静寂と死をめぐる音の記録。『Broken Arrow』の前段階として重要。 -
Psychedelic Pill / Neil Young & Crazy Horse
長尺ジャムと時間感覚の喪失を追求した、後年の“続編”的作品。 -
Mirror Ball / Neil Young with Pearl Jam
爆音と詩情が交差した“時代のうねり”。『Broken Arrow』と対照的なテンション。 -
Red House Painters / Red House Painters
ローファイでアンニュイな感情を繊細に描いた、90年代の静寂系ロック。 -
Yankee Hotel Foxtrot / Wilco
崩れかけた音楽と夢の残骸を、美しく再構築した現代の“折れた矢”。
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