アルバムレビュー:The Sky’s Gone Out by Bauhaus

※本記事は生成AIを活用して作成されています。


発売日:1982年10月

ジャンル:ゴシック・ロック、ポストパンク、アート・ロック、ダブ、グラム・ロック

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概要

The Sky’s Gone Outは、バウハウスが1982年に発表した3作目のスタジオ・アルバムであり、彼らのディスコグラフィーの中でも特に“過渡期”として重要な位置を占める作品である。デビュー作『In the Flat Field』の鋭利で神経質な緊張感、続く『Mask』の実験性と拡張性を経たのち、本作ではバンドの音楽性がさらに拡散し、同時に凝縮している。つまり、ここにはバウハウスの初期衝動の延長だけでなく、その初期衝動が別のスタイルへ変形していく瞬間が記録されている。ゴシック・ロックの代表作として語られることも多いが、実際には本作は単なる“暗く耽美なロック”ではない。ポストパンクの抽象性、ダブ的な空間処理、グラム・ロックの演劇性、さらにはフォークやレゲエの感触までが混在し、バウハウスというバンドの輪郭そのものが揺れている。

このアルバムを理解するうえで重要なのは、バウハウスがもともとジャンルとしての“ゴシック”に安住するバンドではなかった点である。彼らはしばしば“ゴスの元祖”として単純化されるが、実際にはポストパンクの最前線にいた非常に柔軟なグループであり、イメージやムードの強度と同じくらい、音響的な冒険心と構造への意識を持っていた。ピーター・マーフィーの芝居がかったヴォーカル、ダニエル・アッシュの変則的なギター、デヴィッド・Jのうねるベース、ケヴィン・ハスキンスのミニマルかつ不穏なドラム。この4人の組み合わせは、ロックバンドの形式を取りながら、むしろ“空間”を演奏するような特異なアンサンブルを生み出していた。本作ではその特性がさらに拡張され、曲によってはバンドの中心がどこにあるのかすら曖昧になる。

キャリア上の位置づけとして見ると、The Sky’s Gone Outは、バウハウスが破滅的な初期衝動を保ちながらも、より多彩な表現へ進もうとしていた時期の記録である。次作『Burning from the Inside』ではメンバー間のバランスやバンドの終焉感がより前景化するが、本作ではまだ“拡張の意志”のほうが強い。そのため、統一感という観点では『In the Flat Field』ほど求心力が強くなく、『Mask』ほど奇妙なまとまり方もしていない。しかし、その不安定さこそが魅力になっている。バウハウスが確立された様式ではなく、“変化し続ける不安”として存在していたことがよくわかるからだ。

また、本作にはデヴィッド・ボウイの「Ziggy Stardust」のカバーが収録されていることでも知られる。これは単なる趣味的選曲ではなく、バウハウスの自己像を考えるうえで非常に示唆的である。彼らはグラム・ロックの演劇性や自己神話化の技法を、ポストパンク以後の冷たさと不安の中へ持ち込んだバンドだった。したがって、このカバーの存在はボウイへの敬意以上に、バウハウス自身がどの系譜に自らを置いていたかを示している。つまり彼らは、陰鬱なポストパンク・バンドであると同時に、ロックスター幻想の残骸を吸い込んだ劇場的バンドでもあった。

音楽史的に見ると、本作はゴシック・ロックの定義を広げる作品でもある。ザ・キュアーやスージー・アンド・ザ・バンシーズ、ジョイ・ディヴィジョン以降の暗色のロックはしばしば内向性や絶望感で語られるが、バウハウスはそこに演技性、アイロニー、身体性を持ち込んだ。The Sky’s Gone Outではその特性が特に顕著で、暗さはあるが一様ではなく、メランコリーの隣に虚無や滑稽さ、さらにはロックンロール的な色気まで同居する。後続のゴシック・ロック、デスロック、ポストパンク・リヴァイヴァル、ダークウェイヴにとって、本作はムードの教科書というより、“陰鬱さをどう多面的に演出できるか”の教材だったといえる。

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全曲レビュー

1. Third Uncle

オープニングを飾るこの曲は、ブライアン・イーノ楽曲のカバーでありながら、バウハウスの攻撃的な演奏感覚によって完全に自分たちのものへ変換されている。原曲の機械的な疾走感はそのままに、バウハウス版ではより切迫し、より神経質で、より肉体的だ。ダニエル・アッシュのギターは鋭く刻まれ、リズム隊はほとんどパンクに近い推進力を持ちながらも、どこか空間が痩せている。この“速いのに空虚”という感覚が、バウハウスらしい。

アルバム冒頭にこの曲を置くことで、本作がいわゆる典型的ゴシックの重苦しい導入ではなく、むしろ緊張と異化のアルバムであることが宣言される。歌詞の意味以上に、反復される運動そのものが支配的であり、聴き手は一気に不安定な速度の中へ投げ込まれる。カバー曲ながら、作品全体の温度を決める重要なオープナーである。

2. Silent Hedges

ここでアルバムは一転して、より暗く、陰影の濃い空間へ入る。タイトルが示す“静かな生垣”というイメージは、閉ざされた庭、隠された境界、見通せない私的空間を想起させるが、音楽もまたそうした閉塞感を帯びている。ベースは深くうねり、ドラムは余白を生かし、ギターは旋律というより不安の輪郭を描く。ピーター・マーフィーの声は、語りと歌の中間のように響き、言葉を情報ではなく儀式として発している。

この曲の魅力は、わかりやすいサビやカタルシスがないことにある。むしろ、同じ場所をゆっくり歩き回っているような感覚が続き、その閉じた循環自体が主題になっている。バウハウスが作る“暗さ”は、感情の爆発というより、出口のない意識のループとして機能することが多いが、この曲はその典型だ。

3. In the Night

本作の中でも比較的メロディアスで、同時に非常に耽美な曲である。夜というモチーフはバウハウスにとって自然な題材だが、ここでの夜は単なる暗闇ではなく、欲望、観察、孤独、演技が混ざり合う舞台空間として描かれる。ピーター・マーフィーのヴォーカルは一層芝居がかっており、そのナルシシズム寸前の表現がこの曲ではうまく機能している。彼は悲しみを訴えるというより、悲しみの身振りそのものを演じ、その演技が逆に感情の真実味を生む。

サウンド面では、ギターの輪郭が比較的はっきりしており、バンドのアンサンブルもまとまっている。そのため、アルバム全体の中では取っつきやすい部類に入る。しかしその“入りやすさ”も、単純なポップ性ではなく、不穏さをまとった美しさとして成立している。バウハウスの美意識が比較的素直に表れた一曲といえる。

4. Swing the Heartache

タイトルからしてバウハウスらしい倒錯がある。心痛を“揺らす”という表現は、悲しみを固定された感情ではなく、身体的な運動、あるいはダンス可能なものとして扱っているようでもある。実際、この曲には静かなグルーヴがあり、完全に沈み込むことを拒むような微妙なリズムの揺れがある。ここでのバウハウスは、悲哀を美化するだけでなく、それを奇妙な快感へ変換している。

ギターとベースの絡みは非常に繊細で、リズム隊は最小限の動きで空気を変えていく。ピーター・マーフィーの声も過剰になりすぎず、アルバム中では比較的抑制された部類だ。そのぶん、曲全体に漂う感情の曖昧さが際立つ。悲しいのか、気取っているのか、誘惑しているのか、どれとも断定しきれない。この宙吊り感が魅力である。

5. Spirit

この曲では、より抽象的で儀式的なバウハウス像が前に出る。タイトルの“Spirit”は、霊性、精神、幽霊、あるいはアルコールまで含めた多義性を持つが、楽曲自体もその曖昧さを保っている。ドラムは原始的な反復を思わせ、ベースは空間の底をなぞり、ギターは旋律よりも気配として鳴る。ピーター・マーフィーはここで完全に“歌手”というより“召喚者”のように響き、言葉はメッセージではなく呪句に近づく。

バウハウスの強みは、こうした楽曲で決してニューエイジ的な神秘主義に陥らないことだ。むしろどこか胡散臭く、演技的で、そのインチキくささまで含めて魅力になる。真剣と虚構が切り離せない。この曲は、その意味でバウハウスの本質にかなり近い。

6. The Three Shadows Part 1

三部構成の第一部であり、本作の中でも特に劇的・構成的な意識が強く表れたセクションである。ここでは通常のロック曲というより、小さな組曲、あるいは断片的な舞台音楽のような感触がある。タイトル通り“影”が主題であり、音もまた実体より輪郭、中心より残響を重視する。演奏は緊張しているが、どこへ向かうのかははっきりしない。その曖昧さが不安を生む。

この曲群は、バウハウスが単なるヒット曲志向から意識的に距離を取り、アルバム全体をより劇場的な経験にしようとしていたことを示している。聴きやすさは低いが、作品世界の核を支える部分である。

7. The Three Shadows Part 2

第二部では、前曲の不安定さがさらに推し進められる。リズムはより奇妙に、ヴォーカルはより戯画的になり、音の断片が場面転換のように現れては消える。ここでピーター・マーフィーは、感情を表現するというより、いくつもの人格やポーズを試しているように聞こえる。これは演劇的であると同時に、自己が固定されていないポストパンク的な不安の表現でもある。

バウハウスの作品を通して重要なのは、“本気でふざけている”感じだが、この曲ではそれが特に顕著だ。深刻さと悪趣味が共存しており、そのどちらか一方だけで聴こうとすると捉えきれない。

8. The Three Shadows Part 3

三部の締めくくりでは、前二部の断片性がやや収束し、儀式の終盤のような感触が生まれる。ただし、ここで何かが明快に解決されるわけではない。むしろ、断片が断片のまま重なり、結論を拒んだまま終わる。この“不完全な完結”こそがバウハウスらしい。アルバムの流れの中でも、この三部作は一種の暗い中心として機能しており、本作の実験性を最も象徴している。

9. All We Ever Wanted Was Everything

本作のハイライトであり、バウハウスの代表曲のひとつでもある。ここではそれまでの鋭利なポストパンク感覚がやや後退し、代わりに深いメランコリーと、ほとんどシャンソンやキャバレーにも通じるような哀感が前面に出る。タイトルが示す通り、この曲は欲望の巨大さと、そこから生じる空虚を主題にしている。“欲しかったのはすべて”という言葉は、野心の宣言であると同時に、到達不能な理想への敗北宣言にも聞こえる。

メロディは非常に美しく、ピアノとバンドの配置も抑制されているため、ピーター・マーフィーの歌がこれまで以上に裸に近い形で響く。彼の歌唱は大仰ではあるが、この曲ではその大仰さが痛みと一致している。バウハウスの楽曲の中でも特に普遍性が高く、後続のゴシック/ダークウェイヴ系アーティストが繰り返し参照してきた理由もよくわかる。

10. Exquisite Corpse

曲名からしてシュルレアリスム的であり、バウハウスアート・ロック志向が色濃く出た曲である。サウンドは再び不穏に引き締まり、リズムにはどこかダブやレゲエの余白感もある。ここでの“死体”はホラー的なイメージというより、切断された断片が継ぎ合わされる芸術行為のメタファーとして機能しているように聞こえる。実際、楽曲自体も統一的というより、異なるテクスチャが継ぎ合わされて進んでいく。

この曲の面白さは、バウハウスが暗さを単なる情緒としてではなく、構造上の異物感として扱っている点だ。曲は美しくまとまることを拒み、常に少し居心地が悪い。その違和感が作品全体の緊張を保っている。

11. Watch That Grandad Go

アルバム中でも特に異色で、ほとんどアイロニカルな軽さすら持った曲である。タイトルの時点で奇妙だが、実際に聴いてもバウハウスの陰鬱なイメージを攪乱するような、ねじれたユーモアがある。ここで彼らはゴシックな威厳を自ら崩し、少し滑稽なロックンロール性を露出させる。これを蛇足と見るか、バンドの多面性と見るかで評価は分かれるだろう。

ただし、この曲の存在は重要である。なぜなら、バウハウスは決して自分たちの神秘性だけを信じるバンドではなく、しばしばそれを茶化してみせるからだ。この曲はアルバムの均整を崩すが、その崩れ自体が彼ららしい。

12. Paranoia, Paranoia

タイトル通り、偏執と自己意識の過剰が主題化された曲であり、ポストパンク的な神経症が比較的ストレートに表出している。反復的なフレーズと不安定なアンサンブルが、思考が堂々巡りする感覚をよく表している。バウハウスの音楽にはしばしば“演技された狂気”があるが、この曲ではその演技が非常に効果的で、耳障りの良さを犠牲にしてでも心理状態を優先している。

13. Ziggy Stardust

デヴィッド・ボウイ楽曲のカバーであり、本作の中では最も外向きで、最も明快なロックソングである。バウハウスは原曲の輝きやスター性をそのまま再現するのではなく、より鋭く、より痩せたサウンドで再構築する。結果として、この曲は単なるトリビュートではなく、“グラム・ロックの亡霊”をポストパンク時代に蘇らせるような響きを持つ。

このカバーが優れているのは、ボウイのスター神話を称賛しながら、同時にその神話がすでに遺物であることも感じさせる点だ。ピーター・マーフィーのヴォーカルはボウイ的演劇性を継承しつつ、もっと冷たく、もっと空虚だ。アルバムの締めくくりとしても象徴的で、バウハウス自身がどの幻想の上に立っていたかを示している。

総評

The Sky’s Gone Outは、バウハウスの最高傑作として一枚岩の完成度を誇るタイプのアルバムではない。しかし、その不均一さこそが価値になっている。ここには、ゴシック・ロックの様式が完成する前の揺らぎ、ポストパンクの実験精神、ロックスター幻想の残骸、自己演出と自己崩壊の同居がある。『In the Flat Field』の鋭さ、『Mask』の奇妙な統一感に比べ、本作は散漫に聞こえる瞬間もある。だが、その散漫さはアイデアの豊かさでもあり、バウハウスがジャンルの記号に回収されないバンドだったことの証明でもある。

全体のテーマは、虚無、欲望、自己演出、パラノイア、儀式性、そして暗さの多面性にある。音楽性の特徴は、ポストパンクの痩せた緊張感を土台にしながら、ダブ的空間処理、グラム的演劇性、アート・ロック的構成意識を自由に行き来する点にある。そのため本作は、単純な“ゴスの名盤”としてよりも、“ゴシックへ向かう過程で拡散したポストパンクの名盤”として捉えるほうが実態に近い。

バウハウス入門としては、代表曲の強さから言えば『In the Flat Field』や『Mask』のほうが輪郭をつかみやすいかもしれない。しかし、バンドの本当の面白さ、すなわち彼らがどれほど演技的で、どれほど知的で、どれほど一筋縄ではいかないかを知るには、本作は非常に重要である。The Sky’s Gone Outは、空が失われたあとの静かな絶望だけでなく、その絶望をどれだけ多彩に演出できるかという問いに対する、バウハウス流の回答でもある。

おすすめアルバム

1. Mask / Bauhaus

前作にあたり、バウハウスの実験性とまとまりが高い次元で両立した重要作。The Sky’s Gone Outの多面性をもう少し凝縮した形で味わえる。

2. In the Flat Field / Bauhaus

デビュー作。より尖鋭的で攻撃的なポストパンクとしてのバウハウスが前面に出ており、本作に至る初期衝動を確認するのに最適である。

3. Juju / Siouxsie and the Banshees

ゴシック・ロック/ポストパンクの交点にある代表作。闇の質感と実験精神、バンド・アンサンブルの緊張感という点で本作と強く響き合う。

4. Pornography / The Cure

同時代の暗色ロックの極北。バウハウスほど演劇的ではないが、絶望を音響空間として構築する手法において比較価値が高い。

5. The Idiot / Iggy Pop

直接的な音楽性は異なるが、ポストパンク世代が継承した退廃、演技性、冷たい都市感覚の源流として重要。バウハウスボウイ的側面を考えるうえでも有益である。

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