アルバムレビュー:The Sky’s Gone Out by Bauhaus

※本記事は生成AIを活用して作成されています。


発売日:1982年10月18日

ジャンル:ポスト・パンク、ゴシック・ロックアート・ロック、ダークウェイヴ

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概要

The Sky’s Gone Outは、バウハウスが1982年に発表した3作目のスタジオ・アルバムであり、彼らのディスコグラフィーのなかでも特に「拡張」と「不安定さ」が同時に刻まれた作品として位置づけられる。デビュー作 In the Flat Field が切迫したノイズと鋭利なポスト・パンクの緊張でバンドの輪郭を打ち出し、続く Mask がファンク、ダブ、実験性を取り込みながら音楽的な可塑性を広げたのに対し、本作はその流れをさらに推し進めつつ、バンド内部の亀裂や過剰な自己拡張の気配までも内包している。結果としてこのアルバムは、バウハウスが単なる「暗いロック・バンド」ではなく、演劇性、絵画性、デカダンス、グラム、実験精神を総合した総合芸術的ユニットであったことをもっとも露骨に示す一枚になった。

バウハウスはしばしば「ゴシック・ロックの始祖」として語られる。確かに“Bela Lugosi’s Dead”が提示した退廃的な空気、ピーター・マーフィーの低く演劇的なヴォーカル、ダニエル・アッシュの痩せたギター、デヴィッド・Jの陰影深いベース、ケヴィン・ハスキンスの硬質なドラムは、その後のゴシック・ロックの語彙を決定づけた。しかし、彼らをジャンルの始祖というラベルだけで理解するのは不十分である。バウハウスの本質は、ポスト・パンクの解体衝動を持ちながら、同時にグラム・ロック的なスター性、表現主義的な美学、実験音楽的な空間感覚を持ち込んだところにある。The Sky’s Gone Outは、その複数の要素がもっとも雑然と、しかし魅力的にせめぎ合う作品だ。

タイトルの“空が消えた”というイメージもきわめて象徴的である。これは単なる暗さの比喩ではなく、世界の基盤、視界、広がり、上方の指標が失われた状態を示している。バウハウスの音楽はもともと、地面に根差すロックというより、重力を失った空間で鳴っているような感覚を持つが、本作ではその傾向がさらに強い。明確な安定点を拒む構成、過剰に引き伸ばされたムード、唐突に挿入されるカヴァー、陰鬱さと滑稽さの境界を揺らす演奏。それらすべてが、空が「ある」ことを前提にしない不安定な世界を作っている。

キャリア上の位置づけとして見ると、本作は非常に興味深い。後年の評価では、バウハウスの最高傑作としてはしばしば In the Flat Field や解散直前の Burning from the Inside が挙げられることが多い。前者は衝撃の初期衝動、後者はバンドの崩壊美を象徴するからである。その中間に置かれる The Sky’s Gone Out は、やや散漫で、作品としての統一性に欠けると見なされることもある。だが、まさにその散漫さこそが本作の価値でもある。ここには、バウハウスが自らの様式を固定化することなく、ゴシック・ロックのテンプレートになることを拒み、あえて奇妙で不均質な作品を作っていた事実が残されている。

音楽史的には、本作は1980年代初頭の英国ポスト・パンクがどこまで多方向に拡散し得たかを示す好例でもある。同時代には、Siouxsie and the Banshees、The Cure、The Birthday Party、Public Image Ltd. などが、それぞれ異なるかたちでポスト・パンクの先へ進んでいた。バウハウスはそのなかで、最も視覚的で、最も演劇的で、最も「ロック・スター的な亡霊性」を帯びた存在だった。本作ではその性質が、デヴィッド・ボウイからの影響をさらに露骨にしつつ、しかし単なる追随ではない歪んだ表現として現れている。

また、本作は後続への影響という点でも重要だ。ゴシック・ロックやダークウェイヴの系譜だけでなく、ポスト・パンク・リヴァイヴァル以降の多くのバンドが、バウハウスから「暗さ」だけでなく「様式化された不安定さ」を学んでいる。つまり、陰鬱なムードを一定の世界観として固定するのではなく、そこへグラム的な華美さ、実験性、皮肉、演劇的誇張を混ぜ込む方法である。The Sky’s Gone Outは、その混合の危うさと魅力をもっともわかりやすく示したアルバムだと言える。

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全曲レビュー

1. Third Uncle

アルバムの幕開けを飾るのは、ブライアン・イーノの楽曲をバウハウス流に変形したこのカヴァーである。この選曲自体が象徴的だ。バウハウスはしばしば死、退廃、吸血鬼的イメージで語られるが、彼らの根にはグラムやアート・ロック、さらにはポスト・ロキシー的な知性も深く流れている。“Third Uncle”は、その知的系譜を正面から示すと同時に、原曲の神経質な反復を、より攻撃的で痙攣的なロックへ変えている。

ダニエル・アッシュのギターは鋭く、切迫したフレーズが楽曲全体を押し進める。原曲にあったミニマルな冷たさが、ここではより肉体的な緊張へと変化しており、アルバム冒頭から「今回はより動く、より騒ぐ、より過剰な作品だ」と宣言しているようだ。カヴァー曲で始まることを弱さと見る向きもあるが、実際にはこの冒頭は、バウハウスの美学がどこまで外部の素材を自分たちのものにできるかを示す強力な導入になっている。

2. Silent Hedges

一転して、この曲ではバウハウス特有の陰影と空間感覚が立ち上がる。タイトルの“静かな生け垣”というイメージは具体的でありながら、不穏な閉塞感を持つ。開かれた風景ではなく、何かを隠し、境界を作る植物の壁。その中に沈黙があるという構図は、まさにバウハウス的な心理風景である。

音楽的には、ベースとドラムが作る乾いた骨格のうえに、ギターが薄く引き裂くように絡み、ピーター・マーフィーの声が呪文のように漂う。派手な展開はないが、そのぶんムードの持続力が強い。バウハウスはしばしば一つの音像を長く保つことで緊張を作るが、この曲はその手法がよく表れている。派手さよりも、不穏な静けさを前景化することで、アルバムの暗い核を早い段階で示している。

3. In the Night

この曲では、タイトル通り「夜」が単なる時間帯ではなく、認識の変質そのものとして現れる。バウハウスにとって夜は、ロマンティックな逃避の場というより、ものの輪郭が崩れ、欲望と不安が表面化する時間である。本曲でもその感覚が強く、リズムは比較的前進するが、空気はあくまで湿ったままだ。

ピーター・マーフィーのヴォーカルはここでかなり芝居がかっており、その過剰さが曲の魅力になっている。バウハウスの演劇性は時に滑稽さと紙一重だが、この曲ではその危うさがうまく機能している。夜を歌うという古典的な主題を、退廃的で不健康な都市の空気に変える手腕は見事で、ゴシック・ロック的感性の一つの完成形と言える。

4. Swing the Heartache

本作中でもっともバウハウスらしいタイトルの一つであり、「心痛を振り回す」という言い回しからすでに、感情が静かな内省ではなく、パフォーマティヴな身振りとして処理されていることがわかる。バウハウスは失恋や苦悩を、シンガーソングライター的な告白としてではなく、舞台の上で誇張された身振りとして提示する。この曲はその典型だ。

サウンドにはしなやかなグルーヴがあり、ただ暗いだけではない。むしろ少し踊れるような感触があることが重要で、バウハウスがクラブ・カルチャーやポスト・パンクのダンサビリティを完全には捨てていなかったことがわかる。陰鬱でありながら身体を引き寄せる。この両義性こそが、彼らのゴシック性を単なる沈鬱とは違うものにしている。

5. Spirit

“Spirit”という言葉は、魂、霊、気配、気迫など多くの意味を含むが、バウハウスの場合はそれらがすべて重なって聞こえる。ここでの「霊」は宗教的な救済ではなく、むしろ物質世界からずれた存在感そのものを指しているようだ。ピーター・マーフィーの声は肉声でありながら、どこか人間離れしており、この曲でもその特性がよく活きている。

楽曲自体は比較的抽象的で、明確なフックよりも雰囲気の濃度で押していくタイプである。そのため一聴で派手な印象を残す曲ではないが、アルバム全体の文脈の中では重要だ。バウハウスというバンドが、明確なストーリーよりも、気配や霊的な圧をどう作るかに長けていたことがよくわかる。

6. The Three Shadows, Part I

ここから始まる三部構成は、本作の実験性を象徴するセクションである。タイトルが示す通り、影が三つあるというだけで、すでに演劇的・象徴的な世界が立ち上がる。Part Iでは、緊張感のあるリズムと抽象的な構成が特徴で、通常のロック・ソングの流れから少し外れた場所へ聴き手を連れていく。

バウハウスはここで、楽曲単位の快楽よりも、アルバム全体の劇構造を優先しているように聞こえる。影というモチーフは自己の分裂や、舞台上の複数の人格を思わせるが、その曖昧さが良い。説明されないことで、音そのものが不安を担う。彼らが単なるシングル・バンドではなく、アルバムで空間を組み立てる集団であったことを示すパートである。

7. The Three Shadows, Part II

第二部では、より動きが強まり、前パートの不穏さが少し具体的な運動へ変わる。とはいえ、ここでも通常の意味での「キャッチーさ」は後景にあり、構成の奇妙さと空間の捻れが前面に出る。バウハウスのこの種の楽曲は、ともすると自己模倣的なゴシック様式から彼らを救っている部分でもある。彼らは常に、自分たちの世界観を固定するより、その世界観を歪める方向へ進んでいた。

ベースとドラムの緊張の保ち方は見事で、ギターは線的というより陰のように漂う。影の連作というコンセプト自体に、視覚芸術的発想が色濃い。バンド名に“Bauhaus”を掲げた彼ららしい、美術館的な冷たさと、地下室的な湿気が同居している。

8. The Three Shadows, Part III

第三部でこの組曲は完結するが、決して明快な解決には至らない。むしろ断片がさらに増え、影の存在感だけが強まる印象がある。三部作を通じて重要なのは、バウハウスがこの時期すでに、自分たちの「ゴシック・ロック」的なわかりやすさを解体しようとしていたことだろう。ここには不親切さがある。しかし、その不親切さが、このバンドを後続の単なる模倣対象以上の存在にしている。

アルバムの中盤にこうしたパートを置くことで、作品全体は単なる曲集ではなく、一種の劇場空間として感じられるようになる。聴きやすさという点では難があるが、バウハウスの実験精神と美意識の高さを示す重要セクションであることは間違いない。

9. All We Ever Wanted Was Everything

本作、ひいてはバウハウスの全キャリアの中でも屈指の名曲である。タイトルの時点で、欲望の過剰さと空虚さが同時に示されている。「私たちが望んだのはすべてだった」という言葉は、若さの傲慢さ、ロマンティックな飽和、そして何も手に入らなかった後の虚脱を含んでいる。この一行だけで、バウハウスの退廃美学がほとんど言い尽くされている。

音楽的には比較的シンプルで、ピアノとゆるやかな進行が曲の中心にある。だからこそ、ピーター・マーフィーの歌が強く響く。ここでは彼の演劇性が過剰にならず、むしろ深い諦念と気品に変わっている。バウハウスの魅力はノイズや不穏さだけではなく、このような静かな退廃を鳴らせるところにもある。ゴシック・ロックという語を越えて、1980年代英国ロックの名バラッドとして記憶されるべき一曲である。

10. Exquisite Corpse

タイトルはシュルレアリスムの共同制作技法を指し、それ自体がこの曲の成り立ちや世界観を暗示している。断片がつぎはぎされ、整合性よりも異様な連なりが優先される。その意味で、本曲はアルバム全体の美学を象徴するようでもある。美しい死体、あるいは細分化された身体。この語感には、バウハウスのデカダンスとアート志向が濃厚に宿る。

サウンドはかなり奇妙で、通常のロック曲としての快感より、むしろ不快な引力が強い。ベースの存在感、ギターのざらつき、声の距離感がいずれも不安定で、曲が終わっても輪郭がはっきり定まらない。この曖昧さは本作全体の散漫さにもつながるが、同時に唯一無二の魅力でもある。完成度より、異形であることを優先した美学がここにある。

11. Martyr

この曲では宗教的・殉教的イメージが前景化する。バウハウスにおける宗教モチーフは、敬虔さというより、儀式、犠牲、肉体の演出として使われることが多い。“Martyr”でもその傾向は明確で、救済の歌というより、苦痛を様式化した舞台のように聞こえる。

音楽はやや重苦しく、アルバム後半の陰鬱さをさらに強める。ここまで来ると、本作がかなり過飽和な作品であることもわかるが、それが悪い方向にだけ働いているわけではない。むしろ、バウハウスがこの時期「やりすぎること」によってしか到達できなかった空気がある。本曲はその一例であり、節度ある作品作りとは逆の方向で成立する迫力を持つ。

12. Paranoia, Paranoia

タイトルが示すように、この曲はきわめて直接的に不安と監視感覚を扱っている。だが、その「パラノイア」は精神医学的記述ではなく、都市生活、名声、自己意識、他者の視線が絡み合ったポスト・パンク的心理状態として鳴っている。バウハウスは内面を歌うときも、必ず空間と演出を伴う。本曲でも、その不安は閉ざされた部屋の独白ではなく、薄暗いクラブや舞台裏の空気として立ち上がる。

リズムには奇妙な躍動感があり、完全に沈み込むことを拒んでいる点が面白い。不安に取り憑かれていながら、身体はまだ動いている。このアンビバレンスがポスト・パンク的であり、バウハウスの魅力でもある。

13. Crowds

アルバムを締めくくるこの曲は、群衆という主題によって、個人の不安と集団の気配を結びつける。バウハウスの音楽はしばしば孤独の音楽と見なされるが、実際には群衆のなかで孤立する感覚、観客と演者の境界、集団に飲み込まれることへの違和感が常にある。“Crowds”はその感覚を終曲にふさわしいかたちで提示している。

音楽的には派手なクライマックスを用意せず、むしろじわじわと不穏な余韻を残して終わる。この締め方が非常にバウハウスらしい。空が失われた世界で、最後に現れるのが救済ではなく群衆のざわめきだという点に、このアルバムの本質がある。個人的退廃と都市的集団感覚が最後に重なり、作品全体を暗い輪の中に閉じる。

総評

The Sky’s Gone Outは、バウハウスの作品群のなかで最も整ったアルバムではない。むしろ、統一感の面では In the Flat Field より散漫で、最終作 Burning from the Inside ほど崩壊美が露骨でもない。その中間にあることで、評価がやや定まりにくい作品でもある。しかし、その不安定さと過剰さこそが、このアルバムの大きな魅力である。ここには、バウハウスが自分たちの様式を単純に反復することなく、ゴシック、アート・ロック、ポスト・パンク、グラムの境界を揺らし続けた痕跡が刻まれている。

本作の音楽性を特徴づけるのは、まず空間の使い方である。音数そのものは多くなくても、各楽器の配置、声の距離、残響の扱いによって、常に不安定で薄暗い劇場空間が生み出されている。また、カヴァー曲の導入、三部構成の実験、バラッドの挿入などによって、アルバムは一つのジャンルへ安住しない。結果として作品はややまとまりを欠くが、その代わりに、バウハウスの美学の幅広さがよく見える。

とりわけ重要なのは、本作がゴシック・ロックを「暗くて厳粛なもの」として固定していない点である。ここには退廃もあるが、同時にグラム的な誇張や、アート・ロック的な知性、そして時に皮肉すらある。その多層性が、後続の多くのゴシック系バンドが見落としがちなバウハウス本来の豊かさであり、The Sky’s Gone Outはその豊かさを最も雑多な形で保存した作品と言える。

バウハウスの入門盤としては、より直截な魅力を持つ作品が他にあるかもしれない。だが、彼らの本質が単なる暗黒美学ではなく、様式化された不安定さ、演劇性、実験性、そしてロックの形をした芸術的逸脱にあることを知るには、本作はきわめて重要である。傑作であると同時に、欠点までもが魅力へ転じているアルバムだ。

おすすめアルバム

1. Bauhaus – In the Flat Field

バウハウスのデビュー作にして、最も切迫したポスト・パンク作品。The Sky’s Gone Outの拡張性を理解するためには、まずこの原点を押さえたい。

2. Bauhaus – Mask

ファンク、ダブ、実験性が混ざり合った2作目。The Sky’s Gone Outに至る音楽的拡張の過程をたどるのに最適。

3. Bauhaus – Burning from the Inside

解散前夜の最終作。統一感より崩壊美が前景化した作品で、本作の不安定さがどのような終着点へ向かったかが見える。

4. Peter Murphy – Should the World Fail to Fall Apart

バウハウスのフロントマンであるピーター・マーフィーの初期ソロ作。演劇性と退廃美が、より洗練された形で展開されている。

5. Siouxsie and the Banshees – Juju

同時代ゴシック/ポスト・パンクの金字塔。呪術的な空気、鋭いギター、暗い身体性という点で、バウハウスと比較しながら聴く価値が高い。

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