
発売日:1980年5月23日
ジャンル:Art Rock / Pop Rock / Sophisti-Pop
概要
Flesh and Bloodは、Roxy Musicが1980年に発表した7作目のスタジオ・アルバムである。1979年の復帰作Manifestoに続く作品だが、ここでは初期からバンドを支えたドラマーのポール・トンプソンが制作途中で離脱し、正式メンバーはブライアン・フェリー、フィル・マンザネラ、アンディ・マッケイの3人となった。演奏には複数のセッション・ミュージシャンを迎えており、固定されたロック・バンドの音というより、スタジオで各パートを精密に組み上げる方向が強くなっている。
音楽的にも、初期Roxy Musicの奇妙な電子音や急激な曲展開は大幅に後退した。フェリーの抑制された歌を中心に、滑らかなベース、整ったドラム、薄く重なるシンセサイザー、必要な場所だけに置かれるギターやサックスによって、余白の多いサウンドを作っている。The Byrdsの「Eight Miles High」とWilson Pickettで知られる「In the Midnight Hour」というカバーを含むことも特徴で、1960年代の楽曲を当時の洗練されたスタジオ感覚で作り直している。
この変化は、1982年の次作Avalonへ直接つながる。もっとも、Flesh and Bloodにはまだロックらしい硬さやファンク的なリズムが残り、全編が滑らかなムードに統一されているわけではない。1970年代前半のアート・ロックから出発したRoxy Musicが、1980年代的なポップ・サウンドへ移行する途中を記録した作品として聴くと、その独特のバランスが見えてくる。
全曲レビュー
1. 「In the Midnight Hour」
Wilson Pickettで広く知られるソウル曲を、原曲の熱気とはかなり違う方法で演奏している。リズムは引き締まっているものの汗ばむような勢いは抑えられ、シンセサイザーやギターを整理して配置することで、夜の都会を思わせる冷たい質感へ変えている。フェリーも力強く歌い上げず、距離を取ったような声で誘惑を表現する。カバー曲を入口に置くことで、本作が過去の音楽をそのまま再現する作品ではないことを早々に示している。
2. 「Oh Yeah」
ピアノと柔らかなリズムに支えられた、簡潔で親しみやすいポップ・ソングである。車のラジオから流れる曲と過去の恋愛の記憶が重なっていく歌詞が特徴で、音楽を聴くこと自体が記憶を呼び戻す装置として描かれる。フェリーの歌唱には大げさな悲痛さがなく、すでに終わった出来事を少し離れた場所から眺めているように聞こえる。メロディの分かりやすさと感情の曖昧さが共存し、後期Roxy Musicらしいロマンティシズムが明確になった曲だ。
3. 「Same Old Scene」
一定のビートを刻むドラムと動きのあるベースが曲を引っ張り、シンセサイザーがその上に明るい色を加える。ディスコやファンクからの影響を感じさせるダンサブルな曲だが、フェリーの歌は高揚する演奏とは反対に、恋愛の中で繰り返される失望を冷静に見つめている。華やかなサウンドと醒めた歌詞を重ねることで、単純なダンス曲にはならない。後半に広がるシンセの響きも含め、1980年代のRoxy Musicを代表する洗練が早くも完成に近づいている。
4. 「Flesh and Blood」
タイトル曲ではギターの刻みとベースを組み合わせ、前曲より乾いたファンク・ロックへ向かう。楽器同士が隙間を残して演奏するため、音数そのものは多くなくてもリズムの細かな動きがよく聞こえる。フェリーの歌もメロディを長く伸ばすより、ビートに合わせて短く区切る場面が多い。身体的な欲望を思わせるタイトルに対して演奏はむしろ制御されており、感情を露出させるのではなく、スタジオで磨かれた音の表面から官能性を作っている。
5. 「My Only Love」
静かな導入から徐々に演奏を広げていくバラードで、前半の大きな山場となる。フェリーは失った、あるいは手の届かなくなった相手への思いを抑えた声で歌い、サビではメロディが大きく開く。後半になるとマンザネラのギターが長く前へ出て、それまで保たれていた抑制を崩すように音を伸ばしていく。このソロがあることで、整ったスタジオ・ポップの中にも1970年代のRoxy Musicが持っていたロック・バンドとしての力が残っていることが分かる。
6. 「Over You」
軽快なビートと明るい鍵盤を使ったコンパクトなポップ・ソングで、メロディは一度聴いただけでもつかみやすい。その一方、歌詞では終わった関係を忘れようとしても完全には整理できない状態が描かれ、題名の断定的な響きほど気持ちは単純ではない。フェリーは感情を強く押し出さず、淡々とした声を保つことで未練を逆に浮かび上がらせる。短い曲の中でリズム、フック、切なさを過不足なくまとめた、本作のポップ志向を象徴する一曲である。
7. 「Eight Miles High」
The Byrdsのサイケデリック・ロックを大胆に組み替えたカバー。原曲のきらめく12弦ギターを再現するのではなく、低く粘るリズムと反復するギターを中心に置き、ファンクに近い身体的な演奏へ変えている。フェリーの声も幻想的な風景を熱っぽく描かず、どこか無関心な調子を保つ。その結果、1960年代的なサイケデリアへの敬意を示すカバーというより、既存曲を1980年のRoxy Musicの音響へ解体して組み直した録音として面白い。
8. 「Rain Rain Rain」
タイトル通り雨を思わせる沈んだ空気を持ち、前曲の強いリズムから温度を落とす。ベースとドラムは控えめに反復し、その上を鍵盤やギターの淡い音が覆うため、明確なリフよりも全体の質感が耳に残る。フェリーの歌も前面へ迫らず、孤独や関係の不確かさを思わせる言葉を静かに運んでいく。後のAvalonでさらに深められる、空間そのものをアレンジの一部として使う方法がよく表れた曲である。
9. 「No Strange Delight」
ゆったりしたテンポの中で、ベース、ギター、鍵盤がそれぞれ目立ちすぎない位置を保ち、フェリーの声を囲む。題名が示すような「奇妙な喜び」を期待させながら、演奏にはむしろ疲労や諦めに近い感覚が漂う。初期Roxy Musicなら急な展開や電子音で不安定さを作ったところを、ここでは反復と余白によって落ち着かなさを生んでいる。派手なフックは少ないが、本作の静かな側面を終盤へつなぐ役割を果たしている。
10. 「Running Wild」
アルバム最後は、速さを押し出すのではなく、広がりのあるメロディを中心にしたバラードで締めくくられる。フェリーの歌には恋愛への期待と失望が入り混じり、何かを完全に解決したというより、感情を抱えたまま遠ざかっていくような終わり方になっている。鍵盤やギターも劇的なクライマックスを無理に作らず、声の周囲に余韻を残す。この抑制された幕引きは、華やかなロック・バンドだったRoxy Musicが静けさそのものを表現として使うようになった変化をよく示している。
総評
Flesh and Bloodで最も大きく変わったのは、演奏の巧さではなく、楽器を鳴らさない空間の扱いである。初期Roxy Musicではサックス、シンセサイザー、ギター、ピアノが互いに割り込むことで奇妙な密度を作っていたが、本作ではそれぞれが一歩引き、歌とリズムを邪魔しない場所へ配置される。結果として曲の輪郭が明確になり、「Oh Yeah」や「Over You」のような素直なメロディが以前より自然に前へ出るようになった。
同時に、完全なソフト・ロックへ移行したわけでもない。「Flesh and Blood」や「Eight Miles High」ではファンク的なリズムが強く、「My Only Love」の後半ではマンザネラのギターが感情を大きく押し広げる。こうした部分があるため、次作Avalonほど音響が均一ではなく、ときには曲同士の方向性がばらついて聞こえる。しかし、その不均一さには1970年代のRoxy Musicと、これから完成する1980年代のRoxy Musicが同居する面白さがある。
フェリーの歌詞と歌唱も、このサウンドによく適応している。恋愛を扱っていても幸福な現在より、過去の記憶、別れた後の未練、同じ失敗の反復といった距離のある視点が多い。感情を叫ぶのではなく、整った服装で平静を装うような歌い方をすることで、演奏の滑らかさと歌詞の寂しさの間にずれが生まれる。このずれが、単なる上品なポップスではない後期Roxy Music独特の緊張を作っている。
Flesh and Bloodは、初期の大胆な実験性を求めれば物足りなく感じる部分もあるが、バンドが自分たちの音楽を根本から整理した作品として価値がある。複雑な構成や奇抜な音色を減らしても個性を失わず、メロディ、リズム、音の配置だけでRoxy Musicだと分かるスタイルを作り始めたからだ。その方法がさらに研ぎ澄まされたAvalonを完成形とするなら、本作はそこへ至る変化が最もはっきり聞こえるアルバムである。
おすすめアルバム
Manifesto by Roxy Music
1979年の再結成作で、初期のアート・ロックとディスコや洗練されたポップの間に位置する。Flesh and Bloodで整理されるサウンドが、まだ荒さを残した状態からどのように生まれたかを追える。
Avalon by Roxy Music
本作で進めた余白の多いアレンジと抑制された歌唱をさらに徹底した1982年作。ギターや鍵盤を個別に主張させず、アルバム全体を一つの滑らかな音響としてまとめた点で後期Roxy Musicの到達点となった。
Boys and Girls by Bryan Ferry
Roxy Music解散後のフェリーが1985年に発表したソロ作。Flesh and BloodからAvalonへ続いた都会的で精密なサウンドをさらに磨き、バンドよりもスタジオ制作を中心とする方向へ発展させている。
Remain in Light by Talking Heads
同じ1980年に発表され、ロック・バンドの編成を保ちながらファンク的な反復を大胆に取り込んだ作品。方向性は異なるものの、ギターをリフやソロだけでなくリズムと音色の部品として扱う点で興味深く比較できる。
Penthouse and Pavement by Heaven 17
1981年の英国で、電子楽器、ファンク、ソウル、洗練されたポップを結びつけた作品。Roxy Musicとは世代が異なるが、Flesh and Bloodで進んだロックから都会的な1980年代ポップへの変化が、その後どう広がったかを知るのに適している。

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