
発売日:2020年12月18日
ジャンル:Rock / Pop Rock / Indie Rock
概要
McCartney III は、ポール・マッカートニーが2020年、新型コロナウイルス流行下の活動休止期間を利用して制作したソロ・アルバムである。1970年の McCartney、1980年の McCartney II に続くセルフタイトル・シリーズの第3作で、基本的に作詞作曲から演奏、録音までを本人が担った。出発点になったのは、1990年代にジョージ・マーティンと制作していた未発表曲「When Winter Comes」に手を加える作業で、そこからスタジオに通いながら新しい曲を一人で録音していった。
ただし、過去2作の音楽性を再現した作品ではない。アコースティック・ギターによるフォーク、太いエレクトリック・ギターのロック、ピアノ・バラード、簡素なリズム・ボックスなど、マッカートニーが長いキャリアで使ってきた方法を自由に行き来している。声には年齢によるかすれが明確に聞こえるが、それを若い頃の状態へ加工するのではなく、低い声や小さな発声も含めて曲の一部としている点が特徴だ。
また、緻密にコンセプトを組んだ大作というより、一人で楽器を触ることから曲を育てたホームメイド感覚が作品をまとめている。完成度を均一に整えるより、長いジャム、素朴なフォーク、奇妙な歌詞、突然の音色変化まで残しているため、78歳の大物ミュージシャンによる作品でありながら妙に身軽である。過去を振り返るだけでなく、現在の声と演奏能力で何ができるかを確かめたアルバムになった。
全曲レビュー
1. 「Long Tailed Winter Bird」
アコースティック・ギターの短い反復から始まり、楽器が少しずつ加わって大きなグルーヴへ成長していく。通常の歌もののようにヴァースとサビを明確に切り替えるのではなく、同じモチーフを繰り返しながらベース、ドラム、エレクトリック・ギターの密度を変える構成だ。ボーカルも長い物語を語る役割ではなく、演奏の中へ声の響きを加えるように使われる。一人多重録音という本作の作り方を、説明なしに音で示すオープニングである。
2. 「Find My Way」
ピアノと軽快なリズムを中心にした、アルバムでも特に明るいポップ・ソングである。ベースはコードの土台だけを弾かず、歌の周囲を動きながらメロディを補強するという、マッカートニーらしい役割を担う。歌詞では不安の中にいる相手を導こうとする語り手が描かれるが、その自信にはどこか自分自身を励ましているような響きもある。閉塞した2020年の空気と結びつけて聞くこともできるが、特定の状況だけに限定されない書き方になっている。
3. 「Pretty Boys」
アコースティック・ギターを中心に音数を絞り、華やかな世界を少し離れた場所から観察する。題名の「Pretty Boys」はカメラの前で見られる若い男性たちを指し、外見が商品として扱われる状況を皮肉と同情の両方を含む目線で描いている。マッカートニーの乾いた声と簡素な演奏には、派手な批判よりスケッチに近い親密さがある。前曲の明るいポップから急に小さな音へ移ることで、アルバムの振れ幅も早い段階で示される。
4. 「Women and Wives」
低く響くピアノのコードに、現在のマッカートニーのかすれた低音が重なる。若々しく歌おうとせず、声のざらつきと重さをそのまま利用しているため、人生経験を振り返る歌詞に自然な説得力が生まれた。言葉は次の世代へ向けた助言のようにも聞こえるが、人生を完全に理解した人物として語るのではなく、失敗を知ったうえで何を残せるか考えているような慎重さがある。簡潔な構成だからこそ、声そのものが曲の中心になる。
5. 「Lavatory Lil」
一転して、歪んだギターを前面に押し出した短いロック・ナンバーである。リフは単純で太く、ドラムも細かな技巧より拍を強く打ち出すため、演奏にはガレージ・ロックに近い粗さがある。歌詞では「Lavatory Lil」という人物を辛辣かつ漫画的に描き、人物像を細かく説明するより呼び名と毒のある言葉でキャラクターを作っていく。アルバムの中では深刻さをいったん切り離し、一人で大音量のロックを楽しむ感覚が前に出た曲だ。
6. 「Deep Deep Feeling」
8分を超える長さを使い、一つの感情が簡単には整理できない状態を反復によって描く。ベースとドラムが作る重い脈動の上にギターや鍵盤、加工された声が少しずつ重なり、一般的なポップソングのサビへ解決する代わりに音の層そのものが変化していく。歌詞では愛情が深くなるほど喜びだけでなく苦しさも増すという矛盾を反復し、音楽もその堂々巡りから抜け出さない。実験性とメロディ感覚が無理なく共存した、本作の中心的な演奏である。
7. 「Slidin’」
重く低いギター・リフが曲を引っ張り、アルバムのロック面をさらに押し広げる。ヴァースでは声を比較的低い位置に置き、サビになるとギターが広がって視界が開けるような変化を作る。歌詞には高所から滑空するような自由のイメージがあり、地面から離れる感覚と巨大なギター・サウンドがよく合う。細部を磨き込んだポップというより、反復するリフの気持ちよさを中心に曲を成立させている。
8. 「The Kiss of Venus」
ほぼ裸のアコースティック・ギターと高い声から始まる、繊細なフォーク・ナンバーである。天体や愛を結びつけた歌詞には少し神秘的な響きがあり、具体的な恋愛の場面を説明するより、理解しきれない大きな力に引き寄せられる感覚を描く。高音のボーカルは若い頃の滑らかさとは異なり、細く揺れる瞬間もあるが、その不安定さが曲の壊れやすい雰囲気と一致する。「Slidin’」の重量感から極端に音を減らす曲順も効果的だ。
9. 「Seize the Day」
ピアノを軸に、ビートルズ以来のマッカートニーらしい明快なコード感と歌いやすいメロディを聞かせる。題名は「今を生きる」という直接的な言葉だが、歌詞は単純な楽観論ではなく、世界の冷たさを認めながら限られた時間をどう使うかへ目を向ける。サビでは声を重ねて曲を広げる一方、演奏自体は必要以上に壮大にしない。親しみやすいポップの形で老いと時間を扱えるところに、長年のソングライターとしての技術が表れている。
10. 「Deep Down」
鍵盤とベースによる粘りのあるリズムを延々と回し、その上でボーカルやギターを入れ替えていく。完成した曲を演奏するというより、スタジオで見つけたグルーヴを手放さず発展させていったような構造である。「Deep Deep Feeling」と同様に長尺だが、こちらは感情の劇的な変化より身体的な反復が中心だ。少し粗い音や反復の長さまで残したことで、McCartney II にも通じる「一人だから好きなところまで試す」というシリーズの性格が強く現れている。
11. 「Winter Bird / When Winter Comes」
冒頭では「Long Tailed Winter Bird」のギター・モチーフを短く呼び戻し、そこから「When Winter Comes」へ移る。「When Winter Comes」は本作の他曲よりはるか以前、1990年代にジョージ・マーティンと録音されていた音源を基礎としており、そのため声の質感にも違いがある。歌詞は冬に備え、畑や動物の世話をする暮らしを具体的に描き、壮大な人生論ではなく日々の仕事から時間の循環を感じさせる。現在の録音から過去の声へ戻りながら冒頭ともつながる、静かな円環構造でアルバムを閉じる。
総評
McCartney III を特徴づけるのは、セルフプロデュースという形式を「すべてを完璧に管理すること」ではなく「思いついたことをすぐ試せる自由」として使っている点である。アコースティック・ギターだけの曲から巨大なロック、長い反復を使った実験的な曲まで並び、統一されたジャンルへ収めようとしていない。それでも散漫になりきらないのは、ベースラインの動かし方、声を重ねるコーラス、短いモチーフから曲を広げる方法など、マッカートニー固有の作曲感覚がどの曲にも残っているからだ。
特に興味深いのは、78歳だった本人の声を欠点として隠していないことである。「Women and Wives」では低くざらついた声が曲に重さを与え、「The Kiss of Venus」では細くなった高音が逆に繊細さを生む。若い頃なら同じメロディをもっと滑らかに歌えたはずだが、本作はその過去を再現しようとしない。現在の身体で出る音を作曲やアレンジの条件として受け入れており、それが単なる懐古作品になることを防いでいる。
一方で、一人で自由に作ったことによる粗さも残る。「Deep Deep Feeling」や「Deep Down」の長い反復は、簡潔なポップソングを期待すれば冗長にも聞こえるし、曲ごとの仕上がりには意図的なばらつきがある。しかし、その均一でなさはシリーズ第1作 McCartney や第2作 McCartney II とも共通している。三作とも時代も使用機材も違うが、完成されたブランドとしてのPaul McCartneyではなく、スタジオで一人遊びながら曲を作る音楽家の姿を記録している。
そして最後に約30年前の「When Winter Comes」を置いたことで、本作の時間感覚は独特なものになった。2020年のマッカートニーと1990年代のマッカートニーが同じアルバムに存在しながら、歌われるのは季節に備えるごく普通の生活である。50年間隔で作られた三部作の第3作という肩書きは大きいが、実際の音楽はそれほど記念碑的ではない。長いキャリアを総括するより、まだギターやピアノを手に取れば新しい曲が生まれるという創作の日常を記録したことが、McCartney III の強さである。
おすすめアルバム
McCartney by Paul McCartney
1970年のシリーズ第1作。家庭的な録音環境と一人多重録音から、完成曲とスケッチを区別せず並べた自由さがある。McCartney III の手作り感が、50年前から続く創作方法だったことを確認できる。
McCartney II by Paul McCartney
1980年の第2作ではシンセサイザーやリズム・マシンを大胆に使用。音色は McCartney III と大きく異なるが、一人で録音する環境を利用して普段とは違うアイデアを試す姿勢は三部作で最も明確につながっている。
Flaming Pie by Paul McCartney
「When Winter Comes」が生まれた時期につながる1997年作。ジェフ・リンらとの制作による整ったポップ・サウンドと、親密で簡潔な曲作りが共存しており、McCartney III 終盤に現れる過去との接点をたどれる。
Chaos and Creation in the Backyard by Paul McCartney
ナイジェル・ゴッドリッチと制作した2005年作で、マッカートニー自身が多くの楽器を演奏している。内向的な曲調と慎重なアレンジが特徴で、一人多重録音をより統制された作品作りへ使った例として対照的だ。
The Age of Adz by Sufjan Stevens
一人のソングライターが持つ親密な作曲感覚を、電子音、歪み、長尺曲へ大胆に広げた2010年作。音楽的な出発点は異なるが、整ったポップと個人的なスタジオ実験を一枚の中で共存させる点が McCartney III と響き合う。

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