
発売日: 1988年5月10日
ジャンル: ファンク、ゴスペル、サイケデリック・ポップ、アートポップ
概要
『Lovesexy』は、プリンスが1988年に発表したアルバムであり、
前作『Sign “☮” the Times』(1987)で到達した社会的・音楽的高みの後、
彼が「光と闇」「罪と救済」をテーマに挑んだ最も象徴的な作品である。
前年にリリース予定だった幻のアルバム『The Black Album』を突然発売中止とし、
その代替として制作された本作は、
まさに“闇に触れたあとで光を選ぶ”という物語的構造を持っている。
『The Black Album』が肉体・欲望・暴力の象徴であったのに対し、
『Lovesexy』はその“カウンター・アルバム”として、
愛と神性の再生を描くスピリチュアルなファンク交響曲である。
アルバムは当初、CDで1トラック全体を通して再生される仕様でリリースされた。
それは、曲を分けて聴くのではなく、
“ひとつの旅として体験してほしい”というプリンスの意図を反映している。
全曲レビュー
1曲目:Eye No
冒頭の「Rain is wet / Sugar is sweet / Clap your hands and stomp your feet」という陽気なフレーズで幕を開ける。
ファンク・ブラスと宗教的コーラスが混ざり合い、
“愛による救済”というテーマを宣言するかのような祝祭的な導入曲。
まるで闇を抜けた後の朝日のようなエネルギーに満ちている。
2曲目:Alphabet St.
アルバムの代表曲にして、プリンスらしい官能と遊び心が炸裂するファンク・ポップ。
軽やかなギターリフと手拍子がリズムを牽引し、
ラップ風のボーカルが自由に弾む。
一見セクシーな恋の歌だが、その根底には“肉体的愛と精神的愛の融合”というテーマがある。
後半には当時のプリンスのミューズ、シーラ・Eのボイスも登場。
3曲目:Glam Slam
グラマラスなベースラインと美しいストリングスが交錯する、ミッドテンポのファンク。
“Glam Slam”という言葉には“美と快楽の爆発”という意味が込められ、
セックスを神聖な儀式として描くプリンスの世界観が色濃く反映されている。
宗教的比喩と肉体的快楽の融合――この相反する二つが共存するのが『Lovesexy』の真髄である。
4曲目:Anna Stesia
アルバムの中心的楽曲。
タイトルは“Anastasia(復活)”と“Anna Stesia(罪)”を掛け合わせた造語とされ、
肉体の快楽と信仰の狭間で揺れる心を描いている。
“Love is God, God is love”という印象的なフレーズは、
プリンスの宗教観の核心をなすものだ。
ピアノとギターが絡み合い、最後は救済の光に包まれるように終わる。
5曲目:Dance On
硬質なリズムマシンが支配する政治的ファンク。
“子どもたちは戦争を見て育つ”という社会への批判が込められており、
『Sign “☮” the Times』の流れを汲むメッセージ性を持つ。
“踊ることは生きること”というプリンスの信念が炸裂するアジテーション的ナンバー。
6曲目:Love Sexy
アルバムのタイトル曲であり、コンセプトの要となる楽曲。
“Lovesexy”という言葉は、彼にとって“肉体と精神の完全調和”を意味している。
ブラスとシンセが交錯する華やかな構成で、まるで教会でのゴスペルをファンク化したような高揚感を持つ。
“これはセックスではなく、神への愛の表現だ”――その思想が音に昇華している。
7曲目:When 2 R in Love
唯一『The Black Album』から流用されたトラック。
濃密なスロウ・バラードで、
愛と官能を極限まで純化させたような艶やかさを持つ。
“神聖なエロティシズム”という本作の二面性を象徴する重要曲である。
8曲目:I Wish U Heaven
アルバムの中でも特に光に満ちたポップ・ナンバー。
“君に天国を願う”というタイトル通り、愛の純粋な祈りを歌う。
後半に向けてリズムが加速し、トランスのような状態へと導かれる。
『Lovesexy』の精神的クライマックスを形成している。
9曲目:Positivity
アルバムの最終曲にして、メッセージ性の強い締めくくり。
“ネガティブなものに屈するな、光を選べ”という言葉が繰り返され、
全編を通しての“愛と再生”のテーマがここで完成する。
プリンスの語り口は預言者のようであり、
まるで自己の内なる悪魔と対話するかのように展開する。
総評
『Lovesexy』は、プリンスが肉体の快楽と精神の救済を統合しようとした哲学的アルバムである。
『Dirty Mind』(1980)で性の解放を掲げ、
『Controversy』(1981)で宗教と政治に切り込み、
『Sign “☮” the Times』(1987)で社会全体を俯瞰した彼は、
本作でついに“内なる神との和解”に到達した。
サウンド面では、ファンクの躍動とゴスペルの荘厳さが同居し、
80年代後半特有の明快なシンセサウンドを活かしながらも、
どこか有機的で人間的な温かさを保っている。
特筆すべきは、全体を通したストーリーテリングである。
アルバム全体がひとつの“宗教的儀式”として構成され、
欲望から罪、そして赦しと光へと進む。
その流れはまさにプリンス自身の精神史をなぞるようでもあり、
『The Black Album』との対比によって初めて意味を持つ。
商業的にはやや難解と評されたが、
アーティストとしての精神性と肉体性の統合という意味で、
プリンスのキャリアの中でも最も深く、最も美しい作品のひとつである。
おすすめアルバム(5枚)
- The Black Album / Prince (1987)
本作の“闇の対”として制作された幻の作品。 - Sign “☮” the Times / Prince (1987)
社会的・精神的視点の源泉となった前作。 - Controversy / Prince (1981)
宗教とセクシュアリティを初めて融合させた前駆作。 - Love Deluxe / Sade (1992)
官能と霊性を共存させた作品として美学的に共鳴する。 - Parade / Prince (1986)
ファンクとアートの均衡を極めた先行的名盤。
制作の裏側
『Lovesexy』は、ミネアポリスのペイズリー・パーク・スタジオで録音され、
エンジニアにはスーザン・ロジャースとエディ・Mが参加。
プリンスは『The Black Album』を完成させた直後、
“その作品は暗すぎる”と直感的に悟り、
突如として本作の制作に着手したという。
その創作過程はまるで宗教的啓示のようで、
わずか数週間で全曲が書かれ、録音された。
レーベル側は混乱したが、プリンスは“神の声がそう告げた”と語り、
発売中止を貫いた。
この逸話自体が、『Lovesexy』という作品の精神的背景を象徴している。
歌詞の深読みと文化的背景
1980年代後半、アメリカではMTV文化と消費主義が頂点に達し、
同時に宗教保守主義の高まりも見られた。
プリンスはその狭間で、
“セックスを罪ではなく、神聖な愛の表現として捉える”という逆説的メッセージを打ち出した。
「Anna Stesia」や「Positivity」における宗教的言語は、
キリスト教の再解釈であり、
神を外ではなく“自分の中に見出す”という東洋的な思想にも通じる。
“Love is God, God is Love”という一節は、
単なるフレーズではなく、
プリンスの芸術全体を貫く信条である。
ビジュアルとアートワーク
ジャケットは、全裸のプリンスが花に囲まれて微笑むという大胆な構図。
その裸体はエロティックでありながらも神聖で、
まさに“肉体=神殿”というアルバムの主題を体現している。
撮影は写真家ジャン・バティスト・モンディーノ。
当時、このアートワークは宗教団体からの抗議を受け、
一部店舗では販売拒否もあった。
だが、プリンスは“真の愛は恥ではない”と語り、
その信念を貫いた。
このビジュアルは、音楽・身体・精神の三位一体という
プリンスの芸術観を象徴する最も有名なイメージのひとつである。
『Lovesexy』は、プリンスが自らの闇を越えて光へ向かった瞬間の記録であり、
“欲望=罪”という常識を覆し、“愛=救済”という新たな神話を創り出したアルバムである。
ファンクと祈り、快楽と悟りが同じ音の中で共存する――
それこそが、プリンスという存在の奇跡なのだ。



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