
発売日:1968年7月26日
ジャンル:サイケデリック・ロック、プログレッシヴ・ロック、シンフォニック・ロック、アート・ロック、フォーク・ロック、ラーガ・ロック、コンセプト・アルバム
概要
The Moody Bluesの3作目にあたる『In Search of the Lost Chord』は、1960年代後半の英国ロックが、単なるビート・ポップやブルース・ロックから、精神世界、哲学、東洋思想、サイケデリックな意識拡張へと向かっていく過程を象徴する重要作である。1967年の『Days of Future Passed』で、オーケストラ的な発想とロック・バンドを結びつけ、一日の時間の流れをコンセプト化したThe Moody Bluesは、本作でさらに内面的・精神的なテーマへ踏み込んだ。タイトルの「失われたコードを探して」は、単なる音楽的な和音の探索ではなく、人間存在の根源的な調和、宇宙とのつながり、精神的な覚醒を求める旅を意味している。
本作は、The Moody Bluesの「クラシック・セヴン」と呼ばれる代表的アルバム群の中でも、特にサイケデリック色が濃い作品である。『Days of Future Passed』では外部オーケストラとの共演が重要だったが、『In Search of the Lost Chord』ではメンバー自身が多様な楽器を演奏し、アルバム全体の音世界を自分たちの手で作り上げている。シタール、タンブーラ、フルート、チェロ、メロトロン、ハープシコード、サックス、各種パーカッションなどが導入され、ロック・バンドの枠を越えた響きが構築されている。
The Moody Bluesは、Justin Hayward、John Lodge、Mike Pinder、Ray Thomas、Graeme Edgeによって、1967年以降に独自の表現を確立した。彼らの音楽の特徴は、メロディの美しさ、ハーモニーの厚み、メロトロンによる幻想的な音響、詩的・哲学的な歌詞にある。本作では、その特徴がよりサイケデリックな方向へ拡張されている。宇宙、輪廻、瞑想、愛、知覚、時間、自己探求といった主題が、ポップ・ソングの連なりとして展開される点が重要である。
1968年という時代背景を考えると、本作のテーマは非常に時代精神と結びついている。1960年代後半の西洋ロック・ミュージシャンたちは、インド音楽、東洋思想、瞑想、LSDを含む意識拡張文化、神秘主義、反戦思想、共同体的な理想に強い関心を持っていた。The Beatlesの『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』や『Magical Mystery Tour』、Pink Floydの初期作品、Traffic、The Incredible String Band、Donovanなどが、それぞれの形で日常的なポップ・ソングを超えた精神的・幻想的世界を追求していた。『In Search of the Lost Chord』もまた、その流れの中にある。
ただし、The Moody Bluesの特徴は、過激な実験や混沌よりも、整えられた旋律とコンセプトの明快さにある。本作はサイケデリックでありながら、極端に破壊的ではない。むしろ、内面の旅を穏やかで詩的な音楽として表現している。冒頭の「Departure」から、アルバムは精神の出発を宣言し、「Ride My See-Saw」で現実と幻覚の間を揺れ動き、「Dr. Livingstone, I Presume」では探検へのユーモラスな視点を提示し、「Legend of a Mind」ではティモシー・リアリーを題材に意識拡張文化を描き、「Om」で東洋的な瞑想と宇宙的な調和へ到達する。
本作のもう一つの特徴は、メンバー全員の個性が強く反映されている点である。Justin Haywardは、透明感ある声と叙情的なメロディによって、作品に繊細な美しさを与える。John Lodgeは、より力強いロック感覚と推進力を持ち込む。Mike Pinderは、メロトロンと精神的なテーマを通じて、アルバムの神秘的な核を担う。Ray Thomasは、フルートや牧歌的な感覚、ユーモアを加える。Graeme Edgeは、詩的なナレーションやコンセプト面で作品全体に哲学的な枠組みを与える。
『In Search of the Lost Chord』は、後のプログレッシヴ・ロックの視点から見ても重要である。長大な組曲や複雑な拍子を前面に出す作品ではないが、アルバム全体を一つの精神的な旅として構成する姿勢は、明らかにプログレッシヴである。曲ごとに異なる楽器やムードが導入され、最後には「Om」によって大きな円環的な結論へ至る。その意味で本作は、ポップ・ロックの形式を保ちながら、アルバムを思想的・音響的な体験へ拡張した作品である。
日本のリスナーにとって本作は、The Moody Bluesの精神性とサイケデリックな側面を理解するうえで非常に重要な一枚である。『Days of Future Passed』の代表曲「Nights in White Satin」から入ったリスナーにとっては、本作はより濃密で、より内面的で、より時代の空気を反映した作品として響くだろう。プログレッシヴ・ロック、サイケデリック・ロック、シンフォニック・ロックの接点を知るうえでも、本作は欠かせないアルバムである。
全曲レビュー
1. Departure
アルバムの冒頭を飾る「Departure」は、Graeme Edgeによる詩的な導入部であり、本作の精神的な旅の始まりを告げるトラックである。タイトルは「出発」を意味し、ここでは物理的な旅というより、意識の旅、内面の探索、現実の枠組みを離れる準備として機能している。
冒頭の笑い声は非常に印象的で、通常のロック・アルバムの始まりとは異なる奇妙な空気を作る。この笑いは、狂気、解放、皮肉、あるいは現実の論理から離れる瞬間を象徴しているように響く。サイケデリック文化において、笑いはしばしば固定された自己がほどける瞬間と結びつく。本作はその笑いから始まることで、聴き手を日常の外へ連れ出す。
語りは、旅立ち、意識、精神の拡張を示唆する。The Moody Bluesのアルバムにおける詩的ナレーションは、単なる飾りではなく、作品全体の思想的な枠組みを作る役割を持つ。「Departure」もまた、続く「Ride My See-Saw」への導入として、アルバムのコンセプトを凝縮している。
短いトラックながら、「Departure」は本作の重要な鍵である。ここでアルバムは、通常の楽曲集ではなく、精神の旅として始まる。失われたコードを探す旅は、この現実からの出発によって初めて可能になる。
2. Ride My See-Saw
「Ride My See-Saw」は、John Lodgeによる楽曲であり、本作の中でも最も力強いロック・ナンバーの一つである。前曲「Departure」の詩的な導入から一気にバンド演奏が展開され、アルバムに強い推進力を与える。タイトルの「see-saw」はシーソーを意味し、上下に揺れ動く感覚、安定しない意識、現実と幻想の間を行き来する状態を象徴している。
サウンドは、The Moody Bluesとしては比較的ハードで、ギター、ベース、ドラムが前面に出ている。John Lodgeのベースは力強く、曲全体を引っ張る役割を果たす。コーラスは厚く、メロディは非常にキャッチーで、アルバムの中でもライブ映えする楽曲である。
歌詞では、人生の浮き沈み、社会の中での役割、自己認識の揺れが描かれる。シーソーに乗るという比喩は、精神的なバランスの不安定さを示すと同時に、人生そのものの動的な性質を表している。人は上がり、下がり、また上がる。その中で何を学ぶのかが問われている。
「Ride My See-Saw」は、本作の精神的な旅を勢いよく始める楽曲である。サイケデリックなテーマを持ちながらも、ロック・バンドとしてのThe Moody Bluesの力強さがはっきり表れている。哲学的なアルバムでありながら、身体的なリズムとコーラスの高揚を備えた重要曲である。
3. Dr. Livingstone, I Presume
「Dr. Livingstone, I Presume」は、Ray Thomasによる楽曲であり、本作の中でも特にユーモラスで、英国的な軽さを持つ一曲である。タイトルは、探検家デイヴィッド・リヴィングストンに関連する有名な言葉「Dr. Livingstone, I presume?」に由来している。19世紀の探検文化を題材にしながら、The Moody Bluesはそれを精神的な探検の比喩として扱っている。
サウンドは明るく、やや子どもの歌やミュージック・ホール的な雰囲気を持つ。Ray Thomasの歌唱には親しみやすさがあり、フルートや軽快なアレンジによって、曲全体に牧歌的なユーモアが生まれている。前曲の力強いロック感覚とは対照的で、アルバムの多彩さを示す。
歌詞では、リヴィングストン、コロンブス、キャプテン・スコットといった探検家の名前が登場し、外部世界を探索する人間の欲望が描かれる。しかし、本作のコンセプトを考えると、この探検は単なる地理的なものではない。失われたコードを探す旅は、地図の空白地帯ではなく、精神の未知の領域へ向かう旅でもある。
この曲は、The Moody Bluesが深刻な精神世界だけでなく、ユーモアと遊び心を持っていたことを示している。哲学的なテーマを扱いながらも、アルバム全体を重くしすぎないバランスがここにある。「Dr. Livingstone, I Presume」は、探検というテーマを軽妙に扱いながら、本作の内面探索の主題へ自然に接続している。
4. House of Four Doors
「House of Four Doors」は、John Lodgeによる楽曲であり、本作の中でも特にコンセプト性が強い作品である。「四つの扉の家」というタイトルは、精神の内部、知識の領域、人生の段階、あるいは意識の異なる次元を象徴している。聴き手は、この家の中を進みながら、扉の向こうにある世界へ導かれる。
サウンドは、メロトロンやハープシコード的な響き、古風な室内楽風の質感を持ち、The Moody Bluesのシンフォニックな側面がよく表れている。曲には中世的・バロック的な雰囲気もあり、サイケデリック・ロックと古典的なイメージが混ざり合っている。
歌詞では、扉を開くことが、知識や経験、精神的な成長の比喩として扱われる。人間は一つの部屋に閉じこもっているだけでは、真実に到達できない。異なる扉を開き、異なる経験を通過することで、自分自身と世界への理解が深まっていく。この構造は、本作全体の探索のテーマと強く結びつく。
「House of Four Doors」は、アルバムの中で非常に重要な中間地点である。ここで精神の旅は、より明確に象徴的な建築空間として描かれる。扉を開くことは、未知へ踏み出すことであり、失われたコードへの接近でもある。
5. Legend of a Mind
「Legend of a Mind」は、Ray Thomasによる楽曲であり、本作を代表するサイケデリック・ロックの名曲である。歌詞に登場するティモシー・リアリーは、1960年代の意識拡張文化、LSD、カウンターカルチャーを象徴する人物である。本曲は、そのリアリーを神話的・幻想的な存在として描きながら、サイケデリックな精神の旅を音楽化している。
有名なフレーズ「Timothy Leary’s dead」は、文字通りの死ではなく、現実の人格が神話化され、精神世界の象徴へ変化していく感覚を持つ。リアリーはここで、単なる人物ではなく、意識の扉を開く案内人のように描かれる。1960年代後半のサイケデリック文化を理解するうえで、この曲は非常に重要な記録である。
サウンドは、ゆったりとした幻想的な導入から始まり、途中でフルートが大きな役割を果たす。Ray Thomasのフルートは、曲に浮遊感と神秘性を与え、サイケデリックな旅の感覚を強めている。メロトロンとコーラスも、現実を離れた空間を作る。
「Legend of a Mind」は、本作のサイケデリックな中心である。意識の拡張、精神の航海、現実の変容といったテーマが、The Moody Bluesらしいメロディアスで幻想的な音楽として表現されている。後のプログレッシヴ・ロックにもつながる、音響的な旅の感覚を持つ楽曲である。
6. House of Four Doors, Pt. 2
「House of Four Doors, Pt. 2」は、前半で提示された象徴的な空間へ再び戻る短い楽曲であり、アルバム全体の構成を組曲的に結びつける役割を持つ。前曲「Legend of a Mind」によるサイケデリックな拡張の後、再び「四つの扉の家」へ戻ることで、旅が単なる幻覚ではなく、意識の構造の中で進んでいることが示される。
この曲では、アルバムの前半で提示された旋律やムードが再現されるが、聴き手はすでに前とは異なる地点にいる。扉を開けるという行為は、同じように見えても、経験を通過した後では意味が変わる。これはコンセプト・アルバムとしての本作の巧みな点である。
音楽的には、メロトロンや古風な鍵盤の響きが再び強調され、神秘的で室内楽的な雰囲気が戻ってくる。The Moody Bluesはここで、ロック・アルバムを一つの物語的空間として扱っている。
「House of Four Doors, Pt. 2」は短いながら、アルバムの統一感を高める重要なトラックである。個々の楽曲が独立しながらも、全体として一つの探索になっていることを示している。
7. Voices in the Sky
「Voices in the Sky」は、Justin Haywardによる美しい楽曲であり、本作の中でも特に叙情的で透明感のある一曲である。タイトルは「空の声」を意味し、自然、精神、宇宙からのささやきのようなものを感じ取る感覚が描かれる。The Moody Bluesのロマンティックで詩的な側面が最もよく表れた楽曲のひとつである。
サウンドは穏やかで、アコースティックな響きとメロトロン、柔らかなハーモニーが調和している。Justin Haywardの声は非常に澄んでおり、歌詞の持つ空気感を繊細に伝える。曲全体には、朝の空や広がる雲を見上げるような感覚がある。
歌詞では、自然の中にある声、見えないものからのメッセージ、人間の内面に響く感覚が描かれる。ここでの「voices」は、外部の神秘的な声であると同時に、内なる直感や精神の声でもある。失われたコードを探す旅において、聴くこと、感じ取ることは非常に重要である。
「Voices in the Sky」は、本作の精神性を穏やかに表現する楽曲である。派手なサイケデリックではなく、静かな感受性によって世界の奥にある響きを感じ取る。その姿勢が、The Moody Bluesの美点である。
8. The Best Way to Travel
「The Best Way to Travel」は、Mike Pinderによる楽曲であり、本作の中でも最も宇宙的でサイケデリックな音響を持つ一曲である。タイトルは「旅をする最良の方法」を意味するが、ここでの旅は物理的な移動ではなく、精神や意識の移動である。The Moody Bluesがサイケデリック時代の精神をどのように自分たちの音楽へ取り込んだかがよく分かる楽曲である。
サウンドは浮遊感に満ちており、メロトロンや音響効果が宇宙空間のような広がりを作る。Pinderの声は落ち着いていて、聴き手を瞑想的な状態へ導く。ビートは強く前へ進むというより、空間の中を漂うように感じられる。
歌詞では、意識の力によって旅をすること、思考や精神が距離を超えることが示唆される。1960年代後半のサイケデリック文化では、旅とは必ずしも地理的な移動を意味しなかった。内面の旅、精神の旅、知覚の旅こそが重要だった。この曲は、その考えを音楽化している。
「The Best Way to Travel」は、本作のテーマを非常に明確に示す楽曲である。失われたコードを探すには、外へ向かうだけでは足りない。最良の旅は、内面へ向かう旅であり、意識を開く旅である。The Moody Bluesの音響的な想像力が強く発揮された一曲である。
9. Visions of Paradise
「Visions of Paradise」は、Justin HaywardとRay Thomasによる楽曲であり、東洋的な響きと幻想的なメロディが結びついた美しい小品である。タイトルは「楽園の幻視」を意味し、理想郷、精神的な安らぎ、自然と調和した世界への憧れが描かれる。
サウンドにはシタールやフルート的な響きが感じられ、1960年代後半のラーガ・ロックや東洋思想への関心が反映されている。ただし、The Moody Bluesはそれを激しい実験としてではなく、非常に穏やかで詩的なポップ・ソングとして表現している。曲全体に柔らかい光が差しているような印象がある。
歌詞では、現実世界を超えた美しい場所、精神的な楽園への幻視が描かれる。これは単なる逃避ではない。むしろ、人間が内面の中に理想の場所を見出し、そこから現実を見直すためのイメージとして機能している。楽園は地理的な場所ではなく、意識の状態でもある。
「Visions of Paradise」は、本作の中で最も繊細で幻想的な楽曲の一つである。Haywardの叙情性とThomasの牧歌的感覚が美しく融合し、アルバム後半の精神的な深まりを支えている。
10. The Actor
「The Actor」は、Justin Haywardによる楽曲であり、本作の中でも特に内省的で、個人の自己認識を扱った名曲である。タイトルの「俳優」は、舞台に立つ人物であると同時に、社会の中で役割を演じるすべての人間を象徴している。The Moody Bluesの哲学的な歌詞とHaywardの美しいメロディが深く結びついた楽曲である。
サウンドは静かで、メロトロンとアコースティックな響きが曲に広がりを与えている。Haywardの声は繊細で、孤独な人物の内面を丁寧に表現する。曲全体には、舞台の上に一人立つ人物を遠くから見つめるような感覚がある。
歌詞では、人間が社会の中で仮面をつけ、役割を演じ、本当の自分を隠しながら生きる姿が描かれる。これはサイケデリック時代における自己探求の重要なテーマである。本当の自分とは何か。演じている自分と内面の自分は一致しているのか。人は誰のために演じているのか。
「The Actor」は、本作の中で個人の自己探求を深く掘り下げる楽曲である。失われたコードを探す旅は、宇宙や神秘へ向かうだけではなく、自分自身の仮面を見つめる旅でもある。Haywardの代表的な叙情曲の一つとして、非常に重要な位置を占めている。
11. The Word
「The Word」は、Graeme Edgeによる詩的なナレーションであり、アルバム終盤において思想的なまとめを担う短いトラックである。タイトルの「言葉」は、創造、知識、真理、啓示を連想させる重要な概念である。失われたコードを探す旅の中で、言葉とは何か、音とは何か、真理はどのように伝えられるのかが問われる。
このトラックでは、言葉が人間の理解を広げる手段であると同時に、限界を持つものとしても感じられる。The Moody Bluesの作品では、詩と音楽が常に密接に結びついているが、本作の終盤では、言葉を超えた音、すなわち「コード」や「Om」へ向かっていく流れが作られる。
ナレーションの響きは、説教的でありながらも神秘的で、アルバム全体に儀式的な雰囲気を与える。短いながら、「The Word」は次曲「Om」への橋渡しとして非常に重要である。
ここで提示されるのは、言葉による理解から、音そのものによる体験への移行である。失われたコードは、言葉だけでは見つからない。最後には、音、振動、瞑想の中へ入っていく必要がある。
12. Om
アルバムの最後を飾る「Om」は、Mike Pinderによる楽曲であり、本作の精神的な結論を担う重要曲である。「Om」は、インド思想やヒンドゥー教、仏教、ヨーガにおいて、宇宙の根源的な音、始まりの振動、瞑想の音節として扱われる。本作のタイトルである「失われたコード」を考えると、最後に「Om」へ到達することは非常に象徴的である。
サウンドは、シタールやタンブーラを思わせる響き、メロトロン、合唱的なコーラスによって、東洋的で瞑想的な空間を作る。曲は西洋的なロック・ソングというより、儀式的な祈りやマントラに近い。The Moody Bluesはここで、ポップ・ロックを精神的な音響体験へと拡張している。
歌詞では、宇宙、平和、精神的な調和、愛が示唆される。ここでは、個別の恋愛や社会的な問題を超え、すべての存在が一つの響きの中でつながる感覚が描かれている。アルバム全体が探してきた「失われたコード」とは、最終的にはこの根源的な調和の音なのかもしれない。
「Om」は、1960年代後半の西洋ロックにおける東洋思想受容の典型的な例である。現代の視点では、東洋文化の単純化や理想化も意識されるが、同時に当時のミュージシャンたちが、物質文明や西洋中心的な価値観を超えた精神的な可能性を真剣に探していたことも伝わる。アルバムの終曲として、「Om」は夢と探求の旅を大きな宇宙的調和へと導く。
総評
『In Search of the Lost Chord』は、The Moody Bluesがサイケデリック時代の精神性を最も濃厚に反映させたアルバムである。前作『Days of Future Passed』が一日の流れをオーケストラ的な構成で描いた作品だったのに対し、本作は人間の内面、意識、知覚、神秘、東洋思想をテーマにした精神的なコンセプト・アルバムである。タイトルが示す「失われたコード」は、音楽的な和音であると同時に、人間と宇宙を結ぶ失われた調和の象徴である。
本作の魅力は、サイケデリックなテーマを扱いながらも、The Moody Bluesらしいメロディの美しさと構成の明快さを失っていない点にある。「Ride My See-Saw」のような力強いロック曲、「Voices in the Sky」や「The Actor」のような叙情的な楽曲、「Legend of a Mind」や「The Best Way to Travel」のようなサイケデリックな音響曲、「Om」のような瞑想的終曲が並びながら、アルバム全体は一つの探索としてまとまっている。
音楽的には、メンバー自身による多彩な楽器演奏が重要である。シタール、タンブーラ、フルート、チェロ、メロトロン、ハープシコード、サックスなどが導入され、ロック・バンドの基本編成を超えた音世界が作られている。特にMike Pinderのメロトロンは、The Moody Bluesの幻想的なサウンドの中心であり、本作でも精神的な広がりを作り出す重要な役割を果たしている。
歌詞面では、1968年の時代精神が非常に強く反映されている。意識の拡張、東洋思想、探検、自己認識、宇宙とのつながり、内面の旅。これらは、1960年代後半のカウンターカルチャーが追求したテーマである。ただし、The Moody Bluesはそれを極端に混沌とした形ではなく、詩的で整ったポップ・ロックの形に落とし込んでいる。だからこそ、本作は時代の記録でありながら、現在でも聴きやすい。
メンバーごとの個性も、本作の豊かさを支えている。John Lodgeは「Ride My See-Saw」や「House of Four Doors」で、ロック的な推進力とコンセプトの骨格を作る。Ray Thomasは「Dr. Livingstone, I Presume」や「Legend of a Mind」で、ユーモアとサイケデリックな幻想性を担う。Justin Haywardは「Voices in the Sky」「The Actor」で、作品に繊細な叙情性と透明な美しさを与える。Mike Pinderは「The Best Way to Travel」「Om」で、精神的・音響的な深みを作り出す。Graeme Edgeの詩は、全体を思想的に結びつける。
本作は、後のプログレッシヴ・ロックの視点から見ると、技巧的な複雑さよりもアルバム全体の思想性を重視した作品である。King CrimsonやYesのような緊張感や演奏技術の前面化とは異なり、The Moody Bluesは、詩、メロディ、ハーモニー、音色によってコンセプトを構築する。そのため、『In Search of the Lost Chord』は、プログレッシヴ・ロックの入り口としても、サイケデリック・ポップの到達点としても聴くことができる。
一方で、現代の耳には、東洋思想や意識拡張文化への接近が時代特有の理想主義として響く部分もある。特に「Om」やシタール風の響きには、1960年代西洋ロックにおける東洋文化の受容の限界も感じられる。しかし、その真摯な探求心は本作の重要な魅力である。The Moody Bluesは、単に流行として東洋的な要素を使ったのではなく、音楽を通じて精神的な調和を探ろうとしていた。
日本のリスナーにとって本作は、The Moody Bluesの中でも特にサイケデリックな側面を理解するための最重要作である。『Days of Future Passed』のクラシカルな美しさや、『On the Threshold of a Dream』の夢幻性、『A Question of Balance』の社会的・倫理的な問いとは異なり、本作には1968年の精神世界への熱狂が濃く刻まれている。サイケデリック・ロック、初期プログレ、フォーク・ロック、東洋思想に関心のあるリスナーには非常に興味深い作品である。
『In Search of the Lost Chord』は、失われた調和を探すアルバムである。外の世界を探検するだけではなく、内面の扉を開き、空の声を聴き、仮面を見つめ、最後には「Om」という根源的な響きへ到達する。The Moody Bluesはこの作品で、ロック・アルバムを精神的な旅として構成した。1960年代後半の理想主義、神秘主義、ポップ・メロディ、シンフォニックな音響が結びついた、彼らの代表的なコンセプト・アルバムである。
おすすめアルバム
1. Days of Future Passed by The Moody Blues
1967年発表の代表作であり、The Moody Bluesがビート・グループからシンフォニックなコンセプト・ロックへ大きく転換した作品。「Nights in White Satin」を収録し、一日の時間の流れをテーマにしている。『In Search of the Lost Chord』の前段階として、バンドのコンセプト志向の出発点を確認できる。
2. On the Threshold of a Dream by The Moody Blues
1969年発表の次作。夢、意識、機械文明、精神の旅をテーマにしたアルバムであり、『In Search of the Lost Chord』のサイケデリックな内面探索を、より洗練されたコンセプトへ発展させている。メロトロンを活かした幻想的な音響も非常に美しい。
3. To Our Children’s Children’s Children by The Moody Blues
1969年発表の作品で、宇宙開発、人類の未来、時間の広がりをテーマにしている。『In Search of the Lost Chord』が内面と精神世界を探ったアルバムだとすれば、本作はその視線を宇宙的なスケールへ広げた作品である。The Moody Bluesのクラシック期を理解するうえで重要な一枚である。
4. The Piper at the Gates of Dawn by Pink Floyd
1967年発表のPink Floydのデビュー作。Syd Barrett期の英国サイケデリック・ロックを代表する作品であり、夢、童話、宇宙、知覚の歪みが独特の音楽として表現されている。The Moody Bluesよりも奇妙で不安定だが、1960年代後半の意識拡張的なロックを理解するうえで関連性が高い。
5. Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band by The Beatles
1967年発表の歴史的アルバム。ロック・アルバムを一つのコンセプト的な作品として提示し、サイケデリックな音響、スタジオ実験、東洋的要素、ポップ・メロディを融合した。『In Search of the Lost Chord』が登場する背景にある、1960年代後半のアルバム表現の拡張を理解するために欠かせない作品である。

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