発売日: 2008年4月28日
ジャンル: ソフィスティ・ポップ、ニュー・ウェイヴ、ブルー・アイド・ソウル
概要
『Traffic』は、ABCが2008年に発表した通算8作目のスタジオ・アルバムであり、長きにわたる沈黙を破っての“原点回帰”として注目された作品である。
マーティン・フライ単独体制となったABCが、再び初期の美学と熱量を取り戻すべく打ち出したこのアルバムは、1982年の金字塔『The Lexicon of Love』を思わせるドラマティックなアレンジとポップ・ソウルの叙情を現代的に再構築した一枚となっている。
プロデューサーにはABC初期のパートナーであるゲイリー・ランガン（元Art of Noise）が復帰し、サウンドの骨格にはアナログ感とデジタルの融合が巧みに施されている。
また、オリジナル・メンバーであるデヴィッド・パーマー（ドラムス）も部分的に参加し、バンド本来のダイナミズムが蘇る重要な要素となっている。
『Traffic』というタイトルは、都市の喧騒や情報過多の現代を象徴すると同時に、人生そのものの混雑や交差をも意味している。
このアルバムは、成熟した視点からポップスを再定義する、50代に突入したマーティン・フライの“知的な情熱”の産物なのである。
全曲レビュー
1. Sixteen Seconds to Choose
イントロから切迫したリズムとブラスが鳴り響く、シネマティックなオープナー。
選択のタイムリミットという緊張感は、現代社会の加速するスピード感そのものを表している。
2. The Very First Time
初恋や出会いの“原点”を回想するノスタルジックなラブソング。
ABCらしい語感の美しさと、弦楽の抑制されたエモーションが調和する。
3. Ride
80年代的ファンク・ポップのリズム感を復活させたナンバー。
人生の“ライド”＝浮き沈みの連続を、軽快かつ余裕あるトーンで描いている。
4. Love Is Strong
『The Lexicon of Love』のスピリットを思わせる情熱的なバラード。
「愛は強い」という直球のメッセージに、フライのヴォーカルがかつてないほどの深みを与えている。
5. Caroline
失われた愛への追憶を綴った叙情的なナンバー。
メロディはどこか70年代ソウルを思わせ、ABCのブルー・アイド・ソウルとしての原点を再認識させられる。
6. Life Shapes You
人生における経験の蓄積と、それによって形成される“今の自分”をテーマにした哲学的ポップ。
打ち込みのドラムとアコースティックな響きが絶妙に交差する。
7. One Way Traffic
アルバムタイトルに通じるテーマを直接扱った一曲。
“一方通行の人生”をテーマに、進むしかない現実と、それに向き合う姿勢が表現されている。
8. Way Back When
懐古的なムードのミディアム・チューン。
フライが描く回想の美学は、常に感傷ではなく再生へと向かうポジティブなエネルギーを帯びている。
9. Validation
“承認欲求”を扱った、ABCにしては異例の社会心理的テーマの曲。
重ためのベースラインと、内省的なリリックが印象的。
10. Lose Yourself
エレガントなコード進行とスウィング感のあるアレンジが光る。
タイトルの通り、自我を忘れて夢中になる瞬間を賛美するダンス・ポップナンバー。
11. Fugitives
逃亡者という比喩を使い、“何かから逃げている”人生の断片を描く。
バンドサウンドが強く前に出ており、アルバム終盤の緊張感を高めている。
12. Minus Love
ラストトラックは、愛を失った後の静寂を綴るバラード。
『The Lexicon of Love』の「All of My Heart」にも通じる余韻を残し、アルバムを美しく閉じている。
総評
『Traffic』は、ABCがキャリアの円熟期において放った、最も“自覚的な”ポップ・アルバムである。
ここには、若さの衝動でも、トレンドへの迎合でもない、音楽に対する知的な愛情と責任感が息づいている。
かつてのABCが提示した“過剰なロマンス”は、今や“静かな感情のリアリズム”へと昇華され、ポップスという形式の奥深さが再確認される。
また、ゲイリー・ランガンとの再会によって、サウンドには80年代的な質感が復活しており、懐古主義に陥らずに「音の文体」を再発見することに成功している。
まさにこれは、ポップ・ミュージックという建築物における“リノベーション”のような作品であり、時間の流れと共に味わいを増す一枚である。
おすすめアルバム（5枚）
- The Style Council – Confessions of a Pop Group (1988)
知的ポップとソウルの融合という点で、ABCの本作と精神的に共鳴。 - Aztec Camera – Frestonia (1995)
成熟したポップ・サウンドと個人的な視点が際立つ後期作として好対照。 - Prefab Sprout – The Gunman and Other Stories (2001)
美しいメロディとストーリーテリングを再構築した大人のポップ。 - Roxy Music – Avalon (1982)
ソフィスティ・ポップの先駆として、ABCのサウンド美学の源流にある名盤。 - Paul Weller – Studio 150 (2004)
クラシックな影響を咀嚼したソウルフルなカバーアルバム。ABCの円熟と通じるものがある。
歌詞の深読みと文化的背景
『Traffic』の歌詞世界には、都市のノイズ、社会の情報過多、個人の孤独、そして愛という永遠の主題が複雑に交差している。
特に「One Way Traffic」や「Validation」においては、現代人が感じる疎外感や承認への渇望が、決して大仰ではない言葉で描かれている。
一方で「The Very First Time」や「Way Back When」といった曲では、過去への眼差しが愛情深く、ABCの描く“懐古”は未来へと開かれたものである。
それは単なるノスタルジーではなく、“時間とともに変わる感情”そのものを描こうとする誠実な姿勢であり、ABCが常に“進化し続けるポップ”を体現してきたことの証左でもある。
『Traffic』は、都市の雑踏の中で、ひとり立ち止まるための音楽なのかもしれない。
そしてそこには、静かに深呼吸しながら、ふたたび歩き出すための“音と言葉の導線”が描かれている。
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