発売日: 1997年11月17日
ジャンル: オルタナティヴ・ロック、ポップロック、アートポップ、ブリットポップ後期
概要
『Lustra』は、Echobellyが1997年に発表したサード・アルバムであり、
ブリットポップの熱狂が静まり始めた時代に、内省と音楽的実験を深めた“変化の記録”として重要な位置づけを持つ作品である。
前作『On』までに確立した鮮烈なメロディと鋭い社会意識は、今作でより抽象的・情緒的な形に姿を変えた。
ソニヤ・マダン（Sonya Madan）の歌詞は一層詩的になり、時に現実から距離を置くような夢幻的世界を描きつつも、
“生きるという感覚そのもの”に迫ろうとする誠実さがアルバム全体を貫いている。
同時に、音の質感も従来のギターポップ中心から一歩踏み出し、
アコースティック・アレンジ、エレクトロ的処理、空間的プロダクションなど、より洗練された音響的アプローチが見られる。
商業的には前作までの勢いを保てなかったが、
本作はEchobellyの最も静かで深い場所にある“核心”を写し出すアルバムとして、現在において再評価されるべき一枚である。
全曲レビュー
1. Bulldog Baby
しなやかなイントロとともに幕を開ける本作。
“攻撃性”の象徴ともいえるブルドッグを可愛らしく呼ぶこのタイトルは、力強さと親密さの同居を象徴する。
メロディの輪郭が柔らかく、開放的な空気に満ちている。
2. Kali Yuga
ヒンドゥー教の概念“カリ・ユガ”（＝破壊と混沌の時代）を題材にした、ソニヤ・マダンの出自と精神世界を反映した哲学的ナンバー。
西洋的ポップロックに東洋思想を織り交ぜた、ユニークで象徴的な試み。
3. Lustra
アルバムタイトル曲。
“Lustra”はラテン語で“光を放つ／輝き”の意味を持つが、その輝きが持つ儚さと偽りを詩的に描いた一曲。
内面的な問いかけと幻想的なアレンジが美しく交差する。
4. Here Comes the Scene
“また新しいシーンがやってくる”という皮肉。
流行の浮き沈みに対する批評精神が込められた、ブリットポップの余韻を見つめるようなメタ視点のロックチューン。
5. Dying
その名の通り“死”をテーマにした静かなバラード。
とはいえ、重苦しいのではなく、死と再生を受け入れるような淡い光に包まれた楽曲。
6. Solar Mood
“太陽的な気分”と題されたこの曲は、暖かくメロディアスなギターサウンドと内面的なリリックが美しく共鳴する。
アルバム中でも特にオーガニックで穏やかなナンバー。
7. The World Is Flat
地球平面説という奇抜なタイトルを借りながら、現代の思考停止や情報の過剰さを批評するインテリジェント・ポップ。
ソニヤのリリックが冷静かつ挑発的に響く。
8. Obsessive
恋愛や社会における“強迫性”を描いたトラック。
シンプルなループと緊張感のあるアンサンブルが、内に渦巻く焦燥感を抑制の美で表現する。
9. A Map Is Not the Territory
“地図は領土ではない”——哲学者アルフレッド・コージブスキーの言葉を想起させるタイトル。
言葉や表象と実体の乖離をテーマにした、知的かつ叙情的な佳曲。
10. One in a Million
ストレートなラブソング。
万人の中の“あなた”というロマンティックな視線と、そこに感じる奇跡のような違和感と孤独が、甘さの奥に潜む。
11. Ondine
神話的存在「オンディーヌ（水の精）」を題材にした幻想的ナンバー。
水のように流れるアコースティックサウンドが、聖性と儚さを繊細に表現する。
総評
『Lustra』は、Echobellyにとって最も内省的で、最も音楽的に豊かな挑戦作である。
ブリットポップというラベルから離れ、よりアート性と詩性を重視したこのアルバムには、
言葉にしがたい“気配”や“揺らぎ”が漂っており、それがリスナーの深層に静かに染み込んでいく。
Sonya Madanの歌詞は、これまでの社会的／政治的視点を維持しつつも、
より哲学的で個人的なレイヤーへと変化しており、まるで一冊の詩集を読むかのような体験を提供する。
音楽的にも、リズム、ギター、空間の使い方が丁寧に設計されており、
決して派手ではないが、何度も聴くごとに深みを増していく“スルメ的名盤”と言える。
おすすめアルバム
- Radiohead / The Bends
内省とメロディの共存、ブリットポップ後期の静かな異端児として共振。 - Mansun / Six
哲学とポップの交差点にある実験的UKロック。 - Heather Nova / Oyster
幻想性と個人的リアリズムを融合した女性シンガーによる名作。 -
Cocteau Twins / Heaven or Las Vegas
叙情的なサウンドと声の霧のような浮遊感が『Lustra』の夢幻性と重なる。 -
PJ Harvey / Is This Desire?
静かな怒りと神話的象徴を扱うポストロック的アプローチ。
歌詞の深読みと文化的背景
『Lustra』のリリックは、ソニヤ・マダンの精神的成熟と、移民女性としての自己位置の再考を映し出すものとなっている。
「Kali Yuga」や「A Map Is Not the Territory」では、
哲学や神話、宗教的モチーフが散りばめられ、日常の中に非日常的思索を持ち込む静かな実験が行われている。
また、「Here Comes the Scene」では、シーンや流行の移り変わりに対して、
自らの立ち位置を冷静に見つめ返す姿勢が垣間見える。
それは90年代UK音楽の過剰な商業化に対する、静かな“外側からの批評”とも言える。
『Lustra』は、語られすぎることを拒む作品である。
だがその沈黙の中には、深く鋭い問いと、美しい解像度が確かに宿っている。
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