
1. 歌詞の概要
「Body」は、ロンドン出身のシンガーソングライター、Gretel Hänlyn(グレーテル・ヘンリン)が2022年にリリースしたデビューEP『Slugeye』に収録されている楽曲であり、身体と心の分離、自己否定、そして自己受容の葛藤をテーマにした、彼女の音楽的・詩的感性が最も明確にあらわれた作品のひとつである。
この曲は、身体という「物理的な存在」と、そこに収まりきらない「内面的な自己」とのギャップに焦点を当てる。つまり、自分の体が自分のもののように感じられないという、現代的な“解離”の感覚——身体性の喪失や、自分自身との関係の歪みを、詩的かつ鋭敏に表現している。
タイトルの“Body”という単語は、単に肉体的な存在を指すのではなく、そこに宿る違和感や疎外感、あるいはその“重さ”そのものを象徴している。Gretel Hänlynはこの曲で、身体を「所有物」ではなく「居場所」として再定義しようとする試みを行っているのだ。
2. 歌詞のバックグラウンド
Gretel Hänlynは、インタビューなどで繰り返し「自分の身体との関係性が音楽の中心テーマのひとつである」と語っている。特に「Body」は、思春期から続く自己イメージの揺らぎ、身体に対する居心地の悪さ、それでもなおその身体で生きていかなければならないという“受容のプロセス”を、等身大のまま音楽に変換した楽曲である。
EP『Slugeye』全体を通して提示される“人間の不完全さ”や“感情のねじれ”といったテーマが、「Body」ではより直截的に、そしてある種の脆さをもって語られる。サウンドはミニマルで浮遊感があり、声とベースがあたかも“内面と肉体”の対話のように絡み合っている。これにより、聴き手はただ歌を聴くのではなく、語り手の心の中に入り込むような感覚を得ることになる。
3. 歌詞の抜粋と和訳
I live in this body
But it doesn’t feel like home
この体の中で生きてるけど
ここが“自分の家”のようには感じられない
I look in the mirror
And I see someone else
鏡を見ても
映っているのは“誰か別の人”
They say love yourself
But they never said how
「自分を愛せ」って言うけど
どうやって、なんて誰も教えてくれない
I wear this skin
Like it was passed down
この皮膚をまるで
誰かから“受け継いだもの”のように着ている
歌詞引用元:Genius – Gretel Hänlyn “Body”
4. 歌詞の考察
「Body」は、現代の若者たちが抱える“身体との関係”にまつわる問題を極めて繊細に描き出した楽曲である。特に「この体に住んでいるけれど、ここが“家”だとは思えない」というラインは、多くの人が密かに抱える“身体の違和感”や“疎外感”を的確に表現している。
これはジェンダーやメンタルヘルス、自己像の問題にも深く関わるテーマであり、“自分であること”が必ずしも快適ではないという感覚に対して、Gretel Hänlynは嘆いたり怒ったりするのではなく、それをそのまま“歌として差し出す”という、非常に誠実な姿勢を取っている。
「自分を愛せ」というフレーズへの懐疑も興味深い。「愛し方が分からない」という告白は、ポジティブであることを求められる時代において、あえてネガティブな感情を肯定する姿勢を示している。これは自己啓発ではなく、自己観察の歌であり、表面的な解決ではなく“共に抱える”ことの大切さを教えてくれる。
また、「この皮膚を受け継いだもののように着ている」という表現は、身体を“自分の意志で選んだものではない”とする認識を象徴しており、その中でどう折り合いをつけていくかという問いが、静かに響く。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Shadowboxer by Fiona Apple
自分と他者、自分の感情との距離を、繊細かつ攻撃的に描く内省的な作品。 - Every Time the Sun Comes Up by Sharon Van Etten
自己嫌悪と日常の繰り返しの中で、静かな抵抗を描く、皮肉と温かさを併せ持った楽曲。 - I’m Not Your Dog by Baxter Dury
アイデンティティの曖昧さや社会的期待への反発をユーモアで包んだ、語りの妙が光る一曲。 -
Liability by Lorde
“面倒な存在”としての自己を受け入れようとする、傷ついた心の告白と浄化。 -
Bodies by Sex Pistols
過激だが身体と自己決定の関係を早期に問題提起した、時代を先取ったパンクアンセム。
6. “この体”で生きていくことの、怖さと静けさ
「Body」は、自分の肉体を完全に“自分のもの”と思えないときの痛みや混乱を、淡々と、しかし深く描き出す。Gretel Hänlynはこの曲で、「自分の中に住む自分」という極めて抽象的で曖昧なテーマに対し、詩的な言葉と静かなサウンドを用いて、聴き手と一緒に“問いの中に留まる”ことを選んでいる。
この曲が伝えるのは、「自己受容が簡単ではないこと」の肯定である。そしてその姿勢自体が、現代においてきわめて誠実で、優しい。激しいカタルシスや感情の爆発ではなく、ただ“ここに在ること”の難しさと美しさを受け入れるという、小さな哲学が宿っている。
「Body」は、自分自身を完全に愛せなくても、その不完全さごと“音楽にしてしまう”というGretel Hänlynの美学が凝縮された一曲である。痛みは癒されないかもしれない。違和感は残るかもしれない。でもそれでも、「この体で生きていく」ということを選ぶ。その選択の尊さが、曲の静けさのなかに深く息づいているのだ。
コメント