1. 歌詞の概要
「Wishing (If I Had a Photograph of You)」は、A Flock of Seagullsが1982年にリリースしたセカンド・アルバム『Listen』からの先行シングルであり、バンドのキャリアを代表する楽曲のひとつである。
この曲はタイトルにもある通り、「写真があれば」という願望を繰り返し歌う構成で成り立っている。語り手は、かつて出会った誰かへの想いを胸に抱えながら、その面影をどうにかして保とうとするが、記憶はあまりにもあやふやで、手元には何も残っていない。だからこそ、“写真さえあれば、忘れずにいられるのに”という切実な願いが、曲全体を支配している。
恋愛のようでもあり、実体を持たない幻影のようでもあるこの関係性は、現代的な「距離」の感覚とも重なる。記録と記憶、存在と不在、そして“持っていないこと”がもたらす渇望と痛み。そうした感情の余白を、この曲は非常に洗練されたサウンドと反復表現によって描き出している。
2. 歌詞のバックグラウンド
A Flock of Seagullsは、1980年代初頭のイギリスから登場したニュー・ウェイヴ／シンセポップ・バンドで、ビジュアルやサウンド面においても「未来的」あるいは「宇宙的」と評された独特の世界観を持っていた。
「Wishing」は、1982年11月にリリースされ、イギリスではトップ10入り（UKチャートで10位）、アメリカではそれに続いてBillboard Hot 100で26位を記録するヒットとなった。MTV時代初期のヴィジュアル演出とシンクロしやすい幻想的でロマンティックなサウンド、そしてギターとシンセが絡み合う音像が、リスナーに強烈な印象を与えた。
なお、楽曲のテーマはマイク・スコアが実際に体験したエピソードに基づいており、ツアー先で出会った女性のことを思い返して書いたという。写真も連絡先も残っておらず、ただその記憶だけがある。記憶は徐々に薄れていくが、想いはなぜか消えない——そんな宙ぶらりんな心情が、そのままメロディと詞に反映されている。
3. 歌詞の抜粋と和訳
以下に、印象的なラインを抜粋し、日本語訳を添えて紹介する。全歌詞はこちら（Genius Lyrics）を参照。
It’s not the way you look, and it’s not the way that you smile
君の見た目でも、笑い方でもないんだ
It’s not the way you have your hair
髪型のことでもない
It’s not that certain style
君のスタイルでもない
It could be that perfume
あの香水のせいかもしれない
Yeah, maybe you’re perfume, the one that turns me on
そう、きっと君の香り、それが僕を夢中にさせるんだ
この冒頭では、語り手が“なぜ君のことを思い出すのか”を探ろうとする姿が描かれている。だが、すべてがあいまいで、何一つとして確信を持てない。これは記憶が風化していくプロセスを詩的に表現していると言える。
If I had a photograph of you, it’s something to remind me
もし君の写真があったら、それは僕の記憶をつなぎとめてくれるのに
I wouldn’t spend my life just wishing
人生を“願ってばかり”で過ごすこともなかったのに
このサビは極めて切実で、すべてが「もし～だったら」という仮定法で語られている点に注目すべきである。つまり、語り手は“すでに手遅れ”であることを知っている。だからこそ、その喪失の痛みはより深く、現実味を帯びて響く。
4. 歌詞の考察
「Wishing」は、一見するとロマンティックなラブソングのように思えるが、実際には“空虚”の感情を描いた曲である。語り手には何も残っていない。写真も、記憶も、確かな感情も。残っているのは「願い」だけ。願えば願うほど、失われたものの実体は遠ざかり、想いは虚無に吸い込まれていく。
この曲が心に残るのは、その“儚さ”をあまりに見事に音と詞で表現しているからだ。サウンドはドリーミーで、シンセサイザーが織りなす空間はまるで現実と幻想の境界を漂っているかのよう。ギターはゆっくりと波のように揺れ、ドラムは感情の鼓動のように穏やかに鳴り続ける。
「写真があれば」というフレーズは、現代で言えばスマートフォンやSNSに置き換えられるかもしれない。しかしこの曲では、そうした記録すら残っていない状況が描かれている。だからこそ、そこに漂う“会えなかった人への切望”は、逆に時代を超えて共感を呼ぶ。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Say Hello, Wave Goodbye by Soft Cell
一夜の情事の終焉を描いた、哀切と美が共存するシンセポップ。 - More Than This by Roxy Music
現実と幻想のはざまに消えていく恋の断片を、優雅に描いた80年代の名バラード。 - Souvenir by Orchestral Manoeuvres in the Dark
記憶の中の“君”を呼び戻そうとするメロディアスなエレポップ。 - Forever Young by Alphaville
若さと時間の儚さを美しいシンセサウンドで包んだ時代の象徴的楽曲。 - Pale Shelter by Tears for Fears
愛と依存、拒絶が混ざり合う初期TFFの代表作。内面のゆらぎに共鳴。
6. 「写らなかった想い」に寄り添う音楽
「Wishing (If I Had a Photograph of You)」は、愛が残した“余白”を見事に描いた楽曲である。それは、恋人のことを忘れないという誓いではなく、忘れたくないのに記憶が消えていく苦しみを抱えた者の歌である。
写真という具体的なモチーフが登場することによって、抽象的な喪失感が一気に手触りを持ちはじめる。そして聴く者は、それぞれの“写真のない記憶”を思い出す。あの時、あの場所で見た誰か。名前も、声も、今では曖昧になってしまった誰か。その“何か”に、少しだけでも触れたくて、私たちはこの曲を再生する。
Wishing――それは、言葉にならない感情を繰り返すこと。その繰り返しが、音楽として結晶した時、この曲はどこまでも美しく、そしてどこまでも悲しい。80年代という時代のセンチメントを超えて、今なお私たちに問いかけるのである。「もし、あの人の写真が、ここにあったなら」と。
コメント