1. 歌詞の概要
「Our House(アワ・ハウス)」は、イギリスのスカ/ポップ・バンドMadness(マッドネス)が1982年にリリースしたシングルであり、アルバム『The Rise & Fall』に収録された代表曲である。この楽曲は、UKチャートで5位、アメリカのBillboard Hot 100でも7位を記録し、Madnessにとって国際的成功を収めた作品として広く知られている。
タイトルの「Our House」は、まさに“僕たちの家”という意味で、ごく普通の家庭の日常生活を描いた曲である。父は仕事に出かけ、母は掃除に忙しく、兄弟たちは喧嘩し、バタバタしながらも愛情に包まれた時間が過ぎていく。そんな光景を、ユーモアと温かさ、そして少しのノスタルジーを交えて描いている。
重要なのは、この「家」が単なる建物ではなく、記憶や感情が染み込んだ“心の拠り所”としての象徴であるということだ。家庭という、誰もが持ちうる最も身近な宇宙を舞台に、Madnessはポップミュージックの中に小さな叙事詩を紡ぎ出している。
2. 歌詞のバックグラウンド
Madnessは1976年にロンドンのカムデンで結成され、2トーン・スカのブームとともに台頭したが、次第にその枠を超えて、より洗練されたポップ性と社会的な視線をもつバンドへと進化していった。
「Our House」が発表された1982年、イギリスはサッチャー政権下の社会的緊張にさらされており、多くのロック/パンクバンドが反抗や怒りを前面に出していた時代である。そうした中で、Madnessは政治を直接的に語るのではなく、“市井の人々”の暮らしを温かく描くことによって、逆説的に社会を映し出すという手法をとっていた。
本作の作詞は、バンドの中心人物であるChris Foreman(ギター)とCathal Smyth(”Chas Smash”)が担当し、プロデュースはClive LangerとAlan Winstanleyのコンビが手がけている。彼らのタイトなアレンジとキャッチーなメロディ、そしてメンバーSuggsの語りかけるようなヴォーカルによって、家庭の風景がまるで一つの短編映画のように再生されるのだ。
3. 歌詞の抜粋と和訳
(引用元:Genius Lyrics)
Father wears his Sunday best / Mother’s tired, she needs a rest
父は日曜用の服を着て、母は疲れて休息が必要だ
The kids are playing up downstairs / Sister’s sighing in her sleep
子供たちは階下で騒ぎ、姉は眠りながらため息をつく
Our house, in the middle of our street
僕たちの家、それは通りの真ん中にある
Our house, that was where we used to sleep
あの家、そこが僕たちが眠っていた場所だった
この歌詞は、一見すると何気ない日常の描写であるが、それぞれの行動に細やかな感情の揺らぎが込められている。母の疲れ、姉のため息、子供たちの賑やかさ、そして父の威厳——そうした要素が積み重なって、「家」という空間が“生きた時間”として立ち上がってくる。
そして何より、「Our house, in the middle of our street」というリフレインが、家という場所が単なる建築物ではなく、家族の中心、記憶の核心、人生の起点であることを暗示している。
4. 歌詞の考察
「Our House」は、社会や政治といった大きな主題を避けながらも、最も普遍的な「家庭」という場所を通して、誰もが感じる温もりと喪失を描いた稀有なポップソングである。
家族とは何か。家庭とは何か。それは完璧ではないし、時に煩わしく、時に笑える。だが、そこには愛されていた記憶と、戻れない時間が確かに存在する。Madnessはそのことを、軽快なリズムと明るいメロディで語ることで、聴き手に懐かしさと切なさを同時に呼び起こさせる。
そして、この曲には英国的な“階級意識”や“日常の詩情”も潜んでいる。中産階級的な生活の描写には、どこか控えめで、しかし誇らしいトーンがあり、それが「大げさに語らない」イギリス的な美徳として響いてくる。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Come Dancing by The Kinks
失われた家庭の風景とノスタルジーを描いた名曲。 - Penny Lane by The Beatles
日常の中の魔法と記憶をポップに表現した街角の叙情詩。 - Start! by The Jam
日常の断片を切り取った、パンキッシュで都会的なモダンライフの視点。 - The Lovecats by The Cure
遊び心とユーモアに満ちた恋愛の寓話的楽曲。 - Baggy Trousers by Madness
学校生活をテーマにした、コミカルで愛おしい青春讃歌。
6. ノスタルジーの中にある、かけがえのない居場所
「Our House」は、Madnessというバンドが持つ陽気さ、観察力、社会的洞察、そして優しさが結晶化した一曲である。音楽としてはキャッチーで耳なじみの良いポップ・ソングであるが、聴けば聴くほど、その奥にある感情の層が滲み出てくる。
家庭とは、人が人生で最初に属する“社会”である。そこにいる人々は完璧ではなく、日常は退屈で、時に喧騒に満ちている。それでもそこには、**“そこにしかない時間”**が流れている。そしてその時間は、もう戻ってこない。
だからこそ、「Our House」は心に残る。笑い声や怒鳴り声、パンの焼ける匂い、洗濯物の音、父の咳払い——そんなささやかな記憶が、この曲とともによみがえる。
“僕たちの家”とは、記憶のなかにしか存在しない、最も美しい場所のことなのかもしれない。
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