発売日: 2003年8月26日
ジャンル: ロック、フォークロック、アコースティックロック
概要
『The Wind』は、ウォーレン・ジヴォンが2003年に発表した11作目にして、遺作となったスタジオアルバムである。
本作の制作中、ジヴォンは末期の肺がん(中皮腫)と診断されており、
死と向き合いながら音楽を作り続けるという、凄絶な状況の中で完成された。
それでも『The Wind』は、単なる別れのレクイエムではない。
そこにはユーモア、怒り、愛、痛み、そして生き抜こうとする驚くべき生命力が溢れている。
ブルース・スプリングスティーン、ドン・ヘンリー、トム・ペティ、エミルー・ハリス、ジョー・ウォルシュら豪華ゲストが参加し、
ウォーレン・ジヴォンの最後のメッセージを支えた。
このアルバムは、グラミー賞(最優秀コンテンポラリーフォークアルバム賞)を受賞し、
ジヴォンのキャリアにおける感動的な頂点となった。
全曲レビュー
1. Dirty Life and Times
軽やかなギターワークに乗せて、
人生の汚れと美しさを茶目っ気たっぷりに歌うオープニングナンバー。
死を目前にしてなお、ジヴォンのウィットは健在だ。
2. Disorder in the House
ブルース・スプリングスティーンとの共演。
生の混沌と世界の乱れを、ダイナミックなロックチューンに仕立て上げた。
3. Knockin’ on Heaven’s Door
ボブ・ディランの名曲カバー。
病と闘うジヴォンの歌声が、原曲以上に生々しい説得力を持って迫ってくる。
4. Numb as a Statue
病による感覚の麻痺と精神的な痛みを、
鋭いブラックユーモアで表現したナンバー。
5. She’s Too Good for Me
ジョー・ウォルシュのギターをフィーチャーした、
軽快なロックンロールナンバー。
愛と憧れを、茶目っ気たっぷりに描いている。
6. Prison Grove
人生の黄昏を、囚人のメタファーに重ね合わせて描いた、
深い哀しみと達観が滲むバラード。
7. El Amor de Mi Vida
過去の恋を振り返りながら、
喪失と赦しを静かに歌う、スペイン語も交えた繊細なナンバー。
8. The Rest of the Night
残された時間を楽しもうとする、
軽やかで生への愛情に満ちたロックチューン。
9. Please Stay
切実な願いと別れの覚悟を、
静かなアコースティックバラードに昇華した名曲。
10. Rub Me Raw
病への怒りと反骨心をむき出しにした、荒々しいブルースロック。
11. Keep Me in Your Heart
ジヴォンのキャリアを締めくくる、
涙なしには聴けない遺言のようなバラード。
「もし僕のことを思い出すなら、心の中に僕を置いていてくれ」
――このシンプルな言葉に、すべてが込められている。
総評
『The Wind』は、
ウォーレン・ジヴォンが死を恐れず、最後までユーモアと愛を失わずに生き抜いた証である。
単なる自己憐憫でも、英雄的な美談でもない。
ジヴォンはこのアルバムで、
生の混沌と苦しみ、そしてその中に潜むかすかな光を、
静かに、しかし確かな声で歌い上げた。
『Excitable Boy』のような破天荒な若さ、
『Life’ll Kill Ya』のような達観とユーモア、
それらすべてを経たジヴォンが、
人生の最終章で辿り着いた境地――
それが『The Wind』なのである。
このアルバムを聴くとき、
リスナーは必ず、
自分自身の生と死について考えずにはいられない。
『The Wind』は、
アメリカンロック史上最も美しく、最も誠実な”さよなら”のひとつなのだ。
おすすめアルバム
- Johnny Cash / American IV: The Man Comes Around
晩年のカッシュによる、死と再生の深い黙示録。 - Leonard Cohen / You Want It Darker
死を前にしたコーエンが到達した、崇高な境地。 - Bob Dylan / Time Out of Mind
老いと孤独をテーマにした、ディラン90年代屈指の傑作。 -
Townes Van Zandt / No Deeper Blue
晩年のヴァン・ザントによる、死と愛への静かな祈り。 -
Tom Petty / Wildflowers
人生の美しさと儚さを見つめた、トム・ペティの内省的名盤。
歌詞の深読みと文化的背景
2003年――
アメリカは9.11後の世界情勢の不安と、国内外の分断に揺れていた。
そんな時代に、『The Wind』は、
生きること、死ぬこと、そして誰かを想うことの普遍的な尊さを、
飾らず、押し付けず、
ただ静かに伝えるアルバムとなった。
「Knockin’ on Heaven’s Door」では、
死を目前にしたリアルな祈りを、
「Please Stay」では、
別れに際しての最後の願いを、
「Keep Me in Your Heart」では、
存在が消えた後も、心の中に生き続けることを――
ウォーレン・ジヴォンは、
死を「終わり」ではなく、
**愛と記憶の中に続いていく”もうひとつの生”**として歌った。
『The Wind』は、
そんな永遠に消えない魂の歌なのである。
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