イントロダクション
「I’ll stop the world and melt with you」――
この一節だけで、80年代の甘くもほろ苦い空気を思い出す人も多いはずだ。
Modern Englishは、ポストパンクのざらつきとニューウェーブの親しみやすさ、そして繊細な感情表現を絶妙にブレンドしたバンドである。
最も知られるのは「I Melt with You」の一曲かもしれないが、彼らの音楽にはそれ以上の深みと詩情が確かに存在している。
バンドの背景と歴史
Modern Englishは、1979年にイギリス・エセックス州コルチェスターで結成された。
結成当初はポストパンク色の強いバンドとして、Joy DivisionやWireと並ぶ“沈んだ音の波”の中にいたが、次第にメロディアスで開かれたニューウェーブ・ポップへと移行。
1981年にデビューアルバム『Mesh & Lace』を発表。
しかし世界的な知名度を得たのは、1982年のセカンド・アルバム『After the Snow』に収録された「I Melt with You」の大ヒットによるものである。
その後も活動を続け、度重なる解散・再結成を経ながらも、2020年代に入ってもなお精力的に活動を続けている。
音楽スタイルと影響
Modern Englishの音楽スタイルは、初期は明確にポストパンクに根差していた。
ギターのノイジーなカッティング、ミニマルなベースライン、硬質なドラム。
この時期の彼らは、Gang of FourやBauhaus、Joy Divisionといった同時代の“暗黒派”と同じ磁場にいた。
しかし『After the Snow』以降は、より温かみのあるサウンドへと舵を切り、サイケデリックな浮遊感やロマンティックな要素が前景化していく。
それでも、常にどこか“陰り”を残しているのがModern Englishらしさであり、彼らの音楽には「明るいようで明るくない」「前向きだけど寂しい」という、繊細なバランス感覚が宿っている。
代表曲の解説
I Melt with You（1982）
バンド最大の代表曲であり、ニューウェーブ時代のラヴ・アンセム。
シンプルなコード進行とキラキラしたギター、そしてロビー・グレイの柔らかなボーカルが、青春の儚さと恋の高揚感を絶妙に表現している。
歌詞は一見ロマンティックだが、実は核戦争を背景にした刹那的な恋を描いており、希望と終末が同居するという80年代らしい“明るい絶望”が潜んでいる。
映画『Valley Girl』（1983）での使用や、数々のCM起用により、北米では特にカルト的な人気を誇る。
Someone’s Calling（1982）
『After the Snow』収録のもうひとつの名曲。
不穏なギターリフと反復するドラムビートが、都会の孤独と不安を美しく浮かび上がらせる。
幻想と現実が交錯するような音像が、ニューウェーブの美意識を体現している。
Swans on Glass（1981）
初期作『Mesh & Lace』の中でも特に攻撃的なナンバー。
不協和音と焦燥感が支配するポストパンクの真髄で、バンドのアート志向が色濃く表れている。
タイトルの“ガラスの上の白鳥”という比喩もまた、脆さと美しさを同時に喚起させる象徴的なイメージである。
アルバムごとの進化
『Mesh & Lace』（1981）
初期ポストパンク期の集大成的なデビュー作。
無機質で冷たい音像の中に、叙情と緊張が同居する。
商業的成功からは遠いが、批評家からの評価は高く、現在ではカルト的名盤とされている。
『After the Snow』（1982）
サウンドが一気にメロディアスに進化したセカンド・アルバム。
「I Melt with You」や「Someone’s Calling」など、ロマンティックで幻想的なポップが光る傑作。
バンドの知名度を一気に押し上げた作品でもある。
『Ricochet Days』（1984）
さらにシンセサイザーを取り入れ、80年代的なプロダクションに傾倒した一作。
やや過渡期的な印象もあるが、「Hands Across the Sea」など良質なポップ曲も多く収録されている。
『Take Me to the Trees』（2017）
30年以上ぶりにオリジナルメンバーが集結して制作された復活作。
かつてのポストパンク的緊張感を保ちながらも、洗練された現代性も感じさせる円熟の一枚。
影響を受けたアーティストと音楽
Joy Division、Roxy Music、The Velvet Underground、David Bowieなど、70年代後半から80年代初頭のアート志向・実験性を持ったロックに強く影響を受けている。
また、Brian EnoやTalking Headsといったアンビエント／ニューウェーブの文脈もサウンド構築に反映されている。
影響を与えたアーティストと音楽
Modern Englishは、直接的なフォロワーを大量に生んだタイプのバンドではないが、The Ocean BlueやWild Nothing、DIIVといったドリームポップ／インディー系のアーティストたちに通じる“霞んだ感情と浮遊感”の源泉となっている。
特に「I Melt with You」は、カバーや引用を通して何世代にも渡り生き続けており、エモ、オルタナ、インディーポップの中にそのDNAを確認できる。
オリジナル要素
Modern Englishの魅力は、ポストパンク的な冷たさの中に、メロディと感情を宿らせるバランスにある。
それは、ただの“暗さ”ではない。
むしろ、“明るさを信じたいが信じきれない”という微妙な感情を、音で表現することに成功している稀有なバンドなのだ。
また、時代やジャンルに縛られず、一定の“曖昧さ”を保ち続ける姿勢も、彼らを特別な存在にしている。
まとめ
Modern Englishは、「陰りのある美しさ」を音に変えることのできる数少ないバンドである。
彼らの音楽は、青春と喪失、希望と終末、感情と夢の間にある“静かな温度”をそっと伝えてくれる。
そして今もなお、「世界を止めて、君と溶け合いたい」という想いは、時代を超えて胸に響く。
それこそが、Modern Englishの音楽が持つ、永遠のメッセージなのだ。
コメント