- イントロダクション:ポップソングの顔をした、英国都市生活の短編小説
- バンドの背景と歴史:リヴァプールの周縁から生まれた奇妙なポップ
- 音楽スタイル:ニューウェイヴ、フォーク、シンセ、語りの奇妙な融合
- 代表曲の解説:It’s Immaterialの楽曲世界
- アルバムごとの進化
- Life’s Hard and Then You Die:折衷ポップの豊かな迷宮
- Song:ポップの定型を崩した静かな傑作
- House for Sale:27年越しに届いた、失われた3rdアルバム
- Driving Away from Home の文化的意味:英国式ロードソングの奇跡
- 歌詞世界:日常、地名、皮肉、そして小さな逃避
- 他アーティストとの比較:Prefab Sprout、The Blue Nile、China Crisisとの距離
- 影響を受けた音楽:英国ポップ、フォーク、ニューウェイヴ、生活の観察
- 影響を与えた音楽と再評価
- 社会的・文化的意味:一発屋の影に隠れた、英国生活の記録者
- まとめ:It’s Immaterialは、英国ポップの片隅に残る静かな名匠である
イントロダクション:ポップソングの顔をした、英国都市生活の短編小説
It’s Immaterial(イッツ・イマテリアル)は、1980年にリヴァプールで結成された英国のインディー・ポップ/ニューウェイヴ・ユニットである。John CampbellとJarvis Whiteheadを中心に、ポップ、フォーク、シンセポップ、カントリー、ブルース、ミュージックホール、朗読的な語り、都市の風景描写を混ぜ合わせ、1980年代英国ポップの中でも独特の位置を築いた。彼らの音楽は派手ではない。だが、一度耳に入ると、忘れがたい。まるで雨上がりの道路、郊外のバス停、夜の食堂、誰かが去った部屋の空気を、そのまま音にしたようなバンドである。
最も広く知られている曲は、1986年の Driving Away from Home (Jim’s Tune) である。この曲はUKシングルチャートで最高18位、8週間チャートインした。Official Charts Companyも、同曲のピーク順位を18位、チャート滞在を8週として記録している。公式チャート しかしIt’s Immaterialを単なる一発屋として扱うのは、あまりにも惜しい。彼らの魅力は、ヒット曲の明るい旅情だけではなく、その背後にある観察眼、皮肉、寂しさ、そして英国的な生活感にある。
1986年のデビュー・アルバム Life’s Hard and Then You Die は、シンセポップ、ニューウェイヴ、フォーク、カントリー、ブルース、アートロック的な語りを自在に行き来する作品だった。Trouser Press系の評では、同作はシンセポップ、アトモスフェリックなアートロック、朗読、英国的カントリー感覚に触れる「魅力的な音楽的ハイブリッド」と評されている。ウィキペディア 1990年の2ndアルバム Song では、より静かで物語的な方向へ進み、ポップの定型を崩した都市の短編小説集のような作品を作った。2009年にはCherry Redから再発され、後年には再評価も進んだ。
さらに驚くべきことに、彼らは2020年、長く未完成だった3rdアルバム House for Sale を発表した。同作は1993年に録音が始まった作品で、Burning Shedは「30年以上前にCastlesound studioで始められた10曲の録音集」と紹介している。Burning Shed Guardianも、同作が27年を経て世に出たカルト・ポップ・バンドの帰還として取り上げた。
It’s Immaterialは、英国ポップの寡黙な詩人たちである。彼らは大きな声で時代を変えたわけではない。だが、都市の片隅で暮らす人々の心の動き、旅立ちの高揚、生活の滑稽さ、孤独、記憶、そして「大したことではない」と言いながら実は大切なものを、繊細なポップソングへ変えてきた。
バンドの背景と歴史:リヴァプールの周縁から生まれた奇妙なポップ
It’s Immaterialは、1980年にリヴァプールで結成された。初期メンバーにはJohn Campbell、Martin Dempsey、Henry Priestman、Paul Barlowらが関わっていた。Henry PriestmanはのちにThe Christiansでも知られる存在となる。バンドは初期に複数のシングルを発表し、BBC Radio 1のJohn Peel Sessionsにも出演した。1984年頃には、John CampbellとJarvis Whiteheadのデュオを中心とする形へと絞られていく。
リヴァプールという土地は、彼らの音楽を理解するうえで重要である。The Beatles以降、リヴァプールはポップの街として神話化されてきたが、1970年代末から80年代には、Echo & the Bunnymen、Teardrop Explodes、Orchestral Manoeuvres in the Dark、The Pale Fountains、The Christians、China Crisisなど、多様なポストパンク/ニューウェイヴ/ポップの才能を生んだ。It’s Immaterialもその文脈にいる。しかし、彼らは同時代のどのバンドとも少し違っていた。
彼らの音楽は、シンセポップほど未来的ではない。ギターポップほど単純でもない。アートロックほど難解でもない。フォークほど素朴でもない。むしろ、英国の地方都市に生きる人々の断片的な物語を、ポップの形にそっと置くような音楽だった。
初期シングルには、Young Man (Seeks Interesting Job)、A Gigantic Raft (In the Philippines)、White Man’s Hut、Fish Waltz など、タイトルだけでも奇妙な観察眼がうかがえるものが並ぶ。これらは大きな商業的成功にはつながらなかったが、It’s Immaterialの風変わりな作風を形作った。
転機となったのが、1986年の Driving Away from Home (Jim’s Tune) である。この曲は、都市を抜け出すような開放感と、どこか頼りない旅情を持っていた。まるで車窓から見える英国の郊外を、ポップソングにしたような一曲である。同曲の成功によって、バンドは一躍広い注目を浴びることになった。
しかし、It’s Immaterialはその後、典型的なヒット・バンドの道を歩まなかった。1986年の Life’s Hard and Then You Die、1990年の Song は、むしろ商業ポップの定型から離れ、より物語的で、より静かな方向へ進んでいく。そこにこそ、彼らの本質がある。
音楽スタイル:ニューウェイヴ、フォーク、シンセ、語りの奇妙な融合
It’s Immaterialの音楽は、ジャンルの説明が難しい。一般的にはニューウェイヴ、インディーポップ、シンセポップと呼ばれることが多い。だが、実際に聴くと、そこには英国フォーク、カントリー、ブルース、ミュージックホール、アートポップ、朗読、室内楽的なアレンジ、時にラテンやマリアッチ的な響きまで入っている。
Life’s Hard and Then You Die について、後年のレビューでは、ニューウェイヴ、カントリー、ブルース、フォーク、シンセポップを横断する作品として整理されている。Classic Popの再発評でも、シャンソン風ポップ、Pogues的なアイリッシュな賑やかさ、フラメンコ、マリアッチまで含む「失われた宝物」のような作品と評されている。
John Campbellのボーカルは、伝統的なロックシンガーの歌唱とは違う。彼は歌うというより、語りかける。ときに皮肉っぽく、ときに素朴に、ときに物語のナレーターのように声を置く。Jarvis Whiteheadのギターやキーボードは、その声の周囲に風景を作る。派手なリフよりも、空気、余白、場面転換を重視する。
この「語り」の感覚が、It’s Immaterialを特別にしている。彼らの曲は、サビで感情を爆発させるよりも、ひとつの場面を見せる。車で家を離れる。食堂にいる。町の通りを歩く。近所で誰かが消える。屋根の上に上がる。普通の人の普通の瞬間が、少しだけ不思議な光を帯びる。
Prefab Sprout、The Blue Nile、China Crisis、The Christians、Talk Talk、The Lilac Time、Aztec Cameraなどと比較することもできる。だが、It’s Immaterialはそれらのどれよりも、やや奇妙で、やや地味で、やや文学的である。彼らは英国ポップの中心ではなく、中心から少し外れた場所で、静かに鋭い物語を紡いだ。
代表曲の解説:It’s Immaterialの楽曲世界
Driving Away from Home (Jim’s Tune)
Driving Away from Home (Jim’s Tune) は、It’s Immaterial最大の代表曲である。1986年にシングルとしてリリースされ、UKシングルチャートで最高18位、8週間チャートインした。
この曲は、タイトル通り「家を離れて車で走り去る」歌である。しかし、単なるロードソングではない。アメリカ的な荒野の旅ではなく、英国的な道路、郊外、曇った空、やや冴えない自由の感覚がある。軽やかなリズム、口笛のようなメロディ、語りに近いボーカルが、奇妙な高揚感を作る。
Super Deluxe Editionの記事では、バンドがこの曲を「British on-the-road song」として捉えていたこと、当初はTalking HeadsのJerry Harrisonとミルウォーキーで録音したが、最終的に英国でDave Bascombeと録り直したこと、タイトルのJimはミルウォーキーのバーで出会ったハーモニカ奏者Jim Lieberに由来することが紹介されている。
この背景を知ると、曲の不思議な国際感覚も見えてくる。アメリカのロードムービー的な憧れを持ちながら、実際には英国の生活感から離れられない。遠くへ行きたい。でも、行き先は曖昧である。だからこの曲は、旅の歌であると同時に、逃避の歌でもある。
Ed’s Funky Diner
Ed’s Funky Diner は、It’s Immaterialの初期代表曲のひとつである。1985年に最初にリリースされ、Driving Away from Home の成功後に再リリースされたが、UKチャートでは最高65位にとどまった。
タイトルからして、どこか映画的だ。Edのファンキーな食堂。そこには人物がいて、匂いがあり、会話があり、少し滑稽な生活がある。It’s Immaterialの曲は、こうした場所の設定がうまい。彼らは抽象的な愛や怒りを歌うよりも、特定の場面を作る。
曲調には軽妙さがあるが、単純なファンクではない。むしろ、ファンクを英国的なポップの中で少し斜めに解釈したような感覚だ。食堂という日常的な場所が、どこか演劇の舞台のように見えてくる。
Rope
Rope は、Life’s Hard and Then You Die に収録された楽曲であり、It’s Immaterialの暗い側面を感じさせる曲である。初期John Peel Sessionでも演奏されていた曲のひとつとして知られる。
タイトルの「Rope」は、縄、結び目、拘束、救助、あるいは危険を連想させる。彼らの曲名には、日常的な物体が不穏な象徴へ変わることが多い。この曲も、軽いポップのようでありながら、心の奥に引っかかる暗さを持つ。
It’s Immaterialの美点は、こうした重さを過度に dramatize しないことだ。大げさに叫ばず、日常の温度のまま不安を置く。だからこそ、じわじわと効いてくる。
The Better Idea
The Better Idea は、初期から重要なレパートリーであり、Life’s Hard and Then You Die に収録された楽曲である。1985年の Fish Waltz EPにも関連する曲として知られる。
タイトルは「より良い考え」。しかし、It’s Immaterialの場合、この言葉には少し皮肉がある。人生をうまく進めるための“より良い考え”など、本当に存在するのか。そう問いかけるような軽い諧謔がある。
曲は、彼ららしい折衷的なポップ感覚を持つ。フォーク的でもあり、シンセポップ的でもあり、どこか英国の古い舞台音楽のようでもある。明るく聞こえるが、簡単には割り切れない。
Space
Space は、Life’s Hard and Then You Die 収録曲であり、のちにシングルとしても扱われた曲である。タイトルの「Space」は、宇宙というよりも、余白、距離、生活の空間を思わせる。
It’s Immaterialの音楽には、空間感覚がある。音を詰め込みすぎず、声と楽器の間に余白を作る。Space という曲名は、彼らの音楽的姿勢そのものにも重なる。都市生活では、人は常に空間を求める。部屋、距離、逃げ場、心の余白。そうしたものを、彼らはポップソングの中で探している。
Happy Talk
Happy Talk は、Life’s Hard and Then You Die の中でも、タイトルの明るさと内容の微妙なズレが印象的な曲である。It’s Immaterialは、明るい言葉をそのまま明るく鳴らさない。そこにはいつも、少し斜めの視線がある。
「楽しい会話」「幸せな話」。しかし、その背後には、言葉だけが空回りする感覚もある。英国ポップらしい皮肉と軽さがあり、同時に寂しさもある。彼らは幸福を信じていないわけではない。ただ、幸福がしばしば言葉だけで消費されることを知っている。
Festival Time
Festival Time は、初期のライブや映像でも印象を残した曲であり、Life’s Hard and Then You Die に収録された楽曲である。タイトルからは祭りの賑わいが想像されるが、It’s Immaterialらしく、単純な祝祭にはならない。
彼らにとって祭りは、共同体の喜びであると同時に、日常の滑稽さが露出する場でもある。人々が集まり、騒ぎ、また帰っていく。その一瞬の高揚を、少し距離を置いて眺めているような曲である。
Hang On Sleepy Town
Hang On Sleepy Town は、It’s Immaterialの都市観、あるいは地方都市観がよく表れたタイトルである。眠たげな町に「持ちこたえろ」と呼びかける。そこには、地方の停滞と、そこに住む人々への愛着が同時にある。
It’s Immaterialの英国性は、ロンドン中心ではない。リヴァプール、港町、郊外、地方都市、古い通り、うまくいかない生活。Hang On Sleepy Town には、そうした場所への複雑な感情がにじむ。
Lullaby
Lullaby は、Life’s Hard and Then You Die の締めくくりに置かれた楽曲である。タイトルは子守唄を意味する。しかし、アルバムタイトルが「人生はつらく、それから死ぬ」なのだから、この子守唄は単なる安らぎではない。
ここには、It’s Immaterial特有の優しさと皮肉がある。人生はつらい。それでも眠らなければならない。明日が来る。だから子守唄が必要になる。彼らの音楽は、人生の問題を解決しない。ただ、眠る前にそっと横に座るようなところがある。
Heaven Knows
Heaven Knows は、1990年の2ndアルバム Song からのシングルである。Song は商業的には大きな成功に至らなかったが、ファンや批評家からは高く評価されてきた。2009年にはCherry Redから再発され、ボーナス音源とライナーノーツが加えられた。
Heaven Knows というタイトルには、諦めと祈りが同居している。「天のみぞ知る」。人間には分からない。だから、語り手はただ状況を見つめるしかない。Song 期のIt’s Immaterialは、より静かで、より物語的で、より余白の多いポップへ向かっている。
New Brighton
New Brighton は、Song の冒頭曲である。New Brightonはマージーサイドに実在する海辺の町であり、リヴァプール周辺の地理的感覚を強く持つタイトルである。
この曲は、It’s Immaterialの「場所を歌う」力を象徴している。地名を出すことで、曲は抽象的な感情ではなく、特定の海風、特定の町並み、特定の思い出を持つ。Song は、こうした英国の生活風景を、静かなアートポップとして並べた作品である。
Endless Holiday
Endless Holiday は、Song に収録された楽曲である。終わらない休暇。言葉だけなら幸福に聞こえるが、終わらない休暇は、同時に終わらない停滞でもある。
It’s Immaterialは、こうした二重の意味を扱うのがうまい。自由な時間は、時に不安を生む。仕事がないこと、予定がないこと、帰る場所が曖昧なこと。Endless Holiday は、休暇の眩しさと空虚さを同時に感じさせる。
An Ordinary Life
An Ordinary Life は、It’s Immaterialの核心的なテーマを示すタイトルである。「普通の生活」。彼らの音楽は、まさに普通の生活を観察する音楽である。
派手な成功や劇的な破滅ではなく、普通の人の普通の日々。その中にある小さな違和感、希望、諦め、ユーモア。An Ordinary Life は、彼らがポップソングを短編小説のように扱っていたことをよく示す。
In the Neighbourhood
In the Neighbourhood は、近所、周辺、生活圏をテーマにした楽曲である。It’s Immaterialの世界では、近所は単なる背景ではない。そこには人間関係、噂、記憶、階級、古い建物、日常の歴史が詰まっている。
都市の大きな物語ではなく、近所の小さな物語を歌う。この姿勢が、It’s Immaterialを英国ポップの寡黙な詩人にしている。
Missing
Missing は、Song に収録された楽曲で、喪失感を直接的に示すタイトルである。誰かがいない。何かが欠けている。だが、その不在は大声で泣くものではなく、生活の中でふと気づく空白として描かれる。
It’s Immaterialの悲しみは静かである。大きなバラードのように盛り上げない。むしろ、部屋の中の椅子、電話の沈黙、帰ってこない足音のように、そこにある。
Homecoming
Homecoming は、帰郷を意味する曲である。It’s Immaterialにとって「家」は単純な安らぎの場所ではない。Driving Away from Home で家を離れた彼らは、Homecoming で戻る。しかし、戻った場所は以前と同じではない。
帰郷とは、場所に戻ることであると同時に、自分が変わったことを知ることでもある。この曲には、その静かな痛みがある。
Summer Winds
Summer Winds は、Song の中でも美しいタイトルを持つ楽曲である。夏の風。そこにはノスタルジー、過ぎ去る時間、少し湿った空気がある。
It’s Immaterialの夏は、完全な解放の季節ではない。むしろ、夏の終わりをすでに含んでいる。風は気持ちよいが、同時に何かを連れ去っていく。Summer Winds は、その儚さを感じさせる。
Life on the Hill
Life on the Hill は、丘の上の生活を描くようなタイトルである。英国の街では、丘、坂、住宅地、眺めが生活の階層や距離感を象徴することがある。
この曲も、It’s Immaterialらしい場所の歌として聴ける。丘の上から見える町。そこに住む人々。下の通りとの距離。見晴らしは良いが、どこか孤独でもある。そんな風景が浮かぶ。
Your Voice
Your Voice は、Song の終盤に置かれた楽曲である。声をテーマにすることは、It’s Immaterialにとって非常に重要だ。彼らの音楽は、まさに声の音楽だからである。
John Campbellの声は、ロック的な強いボーカルではなく、語り手の声である。Your Voice というタイトルは、誰かの声を思い出す歌であると同時に、It’s Immaterial自身の音楽観を示すようにも聞こえる。ポップソングとは、誰かの声が残ることなのだ。
Summer Rain
Summer Rain は、2020年の House for Sale の冒頭曲である。Diskunionの掲載情報でも、同作の1曲目として確認できる。
夏の雨。これもまた、It’s Immaterialらしいイメージだ。明るい季節の中に降る雨。喜びと憂鬱が同時にある。House for Sale は長い時間を経て世に出たアルバムであり、その冒頭にこの曲が置かれていることには、過去から届いた雨のような感触がある。
Kind Words
Kind Words は、House for Sale 収録曲である。優しい言葉。It’s Immaterialの音楽には、派手な慰めではなく、こうした小さな言葉の重みがある。
長い未発表期間を経て届いたこの曲は、バンドの寡黙な美学を象徴している。多くを語らない。ただ、優しい言葉が必要な瞬間を知っている。
Just North of Here
Just North of Here は、House for Sale の中でも地理感覚の強いタイトルである。「ここから少し北」。具体的でありながら曖昧な場所だ。
It’s Immaterialの楽曲には、この「少し離れた場所」への感覚がよく出る。遠い異国ではない。すぐ近く、けれど少しだけ違う場所。そこに、人生の別の可能性があるように見える。
Up on the Roof
Up on the Roof は、House for Sale 収録曲である。屋根の上という場所は、都市生活の中で少しだけ現実から離れる場所である。通りからは離れ、空に近く、しかし完全な逃避ではない。
It’s Immaterialにとって、屋根の上はよく似合う。彼らの音楽は、地上の生活を見下ろすほど冷たくはないが、完全にその中へ埋もれるわけでもない。少し高い場所から、町と人々を眺める。その視線がある。
アルバムごとの進化
Life’s Hard and Then You Die:折衷ポップの豊かな迷宮
1986年の Life’s Hard and Then You Die は、It’s Immaterialのデビュー・アルバムである。Driving Away from Home (Jim’s Tune) のヒット後に発表され、UKアルバムチャートでは最高62位を記録した。
この作品は、タイトルからして皮肉である。「人生はつらく、それから死ぬ」。しかし音楽は、暗いだけではない。むしろ、軽快で、多彩で、時にユーモラスだ。シンセポップ、フォーク、カントリー、ブルース、ミュージックホール、フラメンコ的なギター、マリアッチ風の響きまで混ざる。
Driving Away from Home はロードソング、Ed’s Funky Diner は都市の食堂劇、Rope は暗い寓話、Festival Time は斜めから見た祝祭、Lullaby は苦い子守唄である。アルバム全体が、英国生活の小さな劇場のように機能している。
このアルバムが特別なのは、折衷的でありながら散漫ではないことだ。ジャンルを混ぜるために混ぜているのではない。曲ごとに必要な風景を作るために、音楽の様式が選ばれている。そこに、It’s Immaterialの知性がある。
Song:ポップの定型を崩した静かな傑作
1990年の Song は、It’s Immaterialの2ndアルバムである。商業的には大きな成功を収めなかったが、ファンの間では非常に高く評価されている。2009年にはCherry Redから再発され、後年の評価も高まった。
このアルバムは、前作よりもさらに静かで、物語的である。New Brighton、Endless Holiday、An Ordinary Life、Heaven Knows、In the Neighbourhood、Missing、Homecoming、Summer Winds、Life on the Hill、Your Voice。曲名を並べるだけで、ひとつの小説の章立てのように見える。
Song は、ポップアルバムでありながら、通常のサビ中心の構造から離れている。Uncutは2024年の「1990年代の500枚」企画で同作を183位に選び、標準的なチャートポップの形式を壊し、シンセポップの雰囲気を残しながらも、労働者階級の英国を舞台にした皮肉な音楽物語の連なりとして評価した。
この作品は、It’s Immaterialの本質が最も純粋に出たアルバムかもしれない。ヒットを狙うというより、ひとつの世界を作る。派手な音ではなく、声、余白、場所、記憶で聴かせる。英国ポップの隠れた名盤である。
House for Sale:27年越しに届いた、失われた3rdアルバム
House for Sale は、It’s Immaterialの3rdアルバムであり、長い間完成を待たれていた作品である。Guardianによれば、このアルバムの制作は1993年の晩夏に始まり、完成まで非常に長い時間を要した。ザ・ガーディアン Burning Shedは同作を、Calum MalcolmのもとでCastlesound studioにて30年以上前に始められた10曲の録音集として紹介している。
この作品の存在自体が、It’s Immaterialらしい。急がない。時代に合わせない。忘れられたようで、消えていない。2020年にようやく世に出たとき、それは単なる懐古ではなく、時間そのものを含んだアルバムになった。
Summer Rain、Kind Words、Just North of Here、Tell Me Why、Up on the Roof など、曲名には相変わらず場所、季節、問いかけ、生活の断片がある。House for Sale、つまり売りに出された家というタイトルも象徴的だ。家は記憶の容器であり、人生の跡が残る場所である。その家が売られるとき、過去もまた誰かの手へ渡る。
このアルバムは、失われた時間から届いた手紙のような作品である。
Driving Away from Home の文化的意味:英国式ロードソングの奇跡
Driving Away from Home (Jim’s Tune) が特別なのは、英国のバンドがアメリカ的なロードソングを、そのまま模倣せず、英国的な感覚へ変換した点にある。
アメリカのロードソングには、広大な高速道路、砂漠、自由、反抗、逃亡のイメージがある。しかし、It’s Immaterialのロードソングはもっと小さい。道路は湿っていて、空は曇っていて、車の中には少し頼りない高揚がある。そこには、Bruce Springsteen的な英雄性も、The Eagles的な西海岸の解放感もない。むしろ、普通の人が普通の家を離れる瞬間の、ささやかな自由である。
だからこの曲は、今も独特に響く。大きな冒険ではない。だが、誰にでもある。「もうここを離れたい」と思う瞬間。その気持ちを、軽やかで、少し可笑しく、少し寂しいポップソングにしたところに、この曲の永続的な魅力がある。
歌詞世界:日常、地名、皮肉、そして小さな逃避
It’s Immaterialの歌詞世界は、派手なロック的神話から遠い。そこにあるのは、普通の生活である。仕事、町、食堂、家、近所、道路、海辺、夏の風、眠たげな町。だが、それらはただの背景ではない。どれも小さな物語の入口になる。
彼らの歌詞には、英国的な皮肉がある。人生はつらい。でも、それを大げさに嘆くのではなく、少し笑ってしまう。家を離れる。食堂にいる。丘の上で暮らす。誰かの声を思い出す。そうした出来事を、まるで短編小説の語り手のように描く。
It’s Immaterialの世界では、逃避は大きな革命ではない。少し北へ行く。車で家を離れる。屋根の上へ上がる。夏の雨を見る。その程度の逃避である。しかし、その小さな移動が、人間には必要なのだ。
他アーティストとの比較:Prefab Sprout、The Blue Nile、China Crisisとの距離
It’s Immaterialは、しばしばPrefab SproutやThe Blue Nileと比較される。KEXPのReview Revueでも、同作がPrefab SproutやThe Blue Nileを思わせるが、まったく同じ領域ではないという当時のコメントが紹介されている。
Prefab Sproutと比べると、It’s Immaterialはより語り口が地味で、文学的で、都市の片隅に近い。Prefab Sproutが洗練されたソングライティングとロマンティックな知性を持つなら、It’s Immaterialはもう少し素朴で、滑稽で、生活の匂いがある。
The Blue Nileと比べると、どちらも都市の孤独を扱うが、The Blue Nileはより夜の都市、光、ロマンティックな寂しさへ向かう。It’s Immaterialは、昼間の通り、地方都市、食堂、家、近所を見ている。
China Crisisと比べると、同じリヴァプール周辺の洗練されたポップ感覚を共有するが、It’s Immaterialはより語りが強く、曲が小さな物語として機能する。
彼らのユニークさは、ポップソングを「物語の器」として扱った点にある。サビで感情を爆発させるより、情景を残す。だから、聴き終えたあとに、メロディだけでなく場所の記憶が残る。
影響を受けた音楽:英国ポップ、フォーク、ニューウェイヴ、生活の観察
It’s Immaterialの背景には、英国ポップの長い伝統がある。The Beatles以降のリヴァプール・ポップ、Ray Davies的な日常観察、Brian Eno以降のアートポップ、Talking Heads的なリズム感覚、シンセポップ、フォーク、カントリー、ミュージックホール。それらが、彼らの音楽の中で奇妙に共存している。
特に重要なのは、生活の観察である。彼らは音楽的な影響だけでなく、街の風景、人々の会話、英国の階級感覚、地方都市の空気から影響を受けているように聞こえる。It’s Immaterialの曲は、音楽理論だけでは説明できない。そこには、街を歩く目がある。
影響を与えた音楽と再評価
It’s Immaterialは、巨大な商業的影響を持つバンドではない。しかし、後年のリスナーや批評家、コレクター、英国ポップ愛好家の間で、じわじわと再評価されてきた。Life’s Hard and Then You Die の30周年デラックス再発や、Song の再発、House for Sale の発表は、その再評価を支える出来事である。
特に Song は、1990年代ポップの中でも異色の作品として、後年になって評価が高まっている。ポップの形式を解体し、語りと雰囲気でアルバムを構成する姿勢は、後のアートポップやアンビエント・ポップ、ナラティブ重視のシンガーソングライターにも通じる。
It’s Immaterialの影響は、目立たない。しかし、彼らの音楽を深く聴いた人の中には、その静かな語り口に強く惹かれる者がいる。彼らは大通りの看板ではなく、細い路地に残された手書きのメモのようなバンドである。
社会的・文化的意味:一発屋の影に隠れた、英国生活の記録者
It’s Immaterialは、一般的には Driving Away from Home の一発屋として記憶されがちである。実際、同曲は彼らの最大のヒットであり、Official Chartsでも明確な記録を残している。公式チャート しかし、その枠組みだけでは彼らを捉えきれない。
彼らは、1980年代英国の生活感を、非常に独自のポップに変換したアーティストである。サッチャー時代の英国、地方都市、労働者階級的な日常、ポップ文化の軽さと生活の重さ。その狭間で、彼らは大げさな政治スローガンではなく、普通の人々の小さな物語を歌った。
これは非常に重要である。ポップ音楽は、しばしば大きな感情や大きな時代性で語られる。しかし、It’s Immaterialは、小さなものを歌った。近所。家。食堂。車。夏の風。眠たげな町。そうしたものの中に、時代の空気は確かに宿っている。
まとめ:It’s Immaterialは、英国ポップの片隅に残る静かな名匠である
It’s Immaterialは、都市の狭間で語りかける、英国ポップの寡黙な詩人たちである。1980年にリヴァプールで結成され、John CampbellとJarvis Whiteheadを中心に、ニューウェイヴ、インディーポップ、フォーク、シンセ、カントリー、語りを混ぜた独自の音楽を作り上げた。
1986年の Driving Away from Home (Jim’s Tune) は、UKチャート最高18位を記録した代表曲であり、英国式ロードソングの奇跡である。公式チャート しかし、彼らの本質はその一曲にとどまらない。Ed’s Funky Diner、Rope、The Better Idea、Space、Hang On Sleepy Town、Lullaby などを収めた Life’s Hard and Then You Die は、折衷的でありながら不思議な統一感を持つ英国ポップの隠れた名盤である。
1990年の Song では、New Brighton、Endless Holiday、An Ordinary Life、Heaven Knows、Missing、Homecoming などを通じて、より静かで物語的な世界へ進んだ。同作は後年、ポップの定型を崩したアートポップ作品として再評価されている。ウィキペディア そして2020年の House for Sale は、1993年に始まった録音が長い時間を経て届いた、失われた3rdアルバムである。
It’s Immaterialの音楽は、大きな声で自分を主張しない。むしろ、小さな声で語りかける。人生はつらい。家を離れたい。普通の生活は退屈で、でも愛おしい。町は眠たげで、でも持ちこたえている。誰かの声は消えたようで、まだ残っている。
彼らのポップは、軽く見えて深い。地味に見えて奇妙だ。笑っているようで、少し泣いている。だからこそ、It’s Immaterialは今も英国ポップの片隅で静かに光っている。都市の狭間で、誰にも聞かれないような声を拾い上げ、それをそっと歌に変える。そんな稀有な詩人たちである。


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