発売日: 2020年11月13日
ジャンル: インディーポップ、ベッドルームポップ、オルタナティブR&B
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概要
『Hey u x』は、ニュージーランド出身のシンガーソングライター BENEE によるデビュー・フルアルバムであり、Z世代の孤独、皮肉、混乱、ユーモアをカラフルで予測不能なポップサウンドで包み込んだ、ポップの“現在形”を示す記念碑的作品である。
先行EP『FIRE ON MARZZ』『STELLA & STEVE』で世界的な注目を集めたBENEEが、本作では多数のコラボレーターを迎え、サウンド面でもリリック面でもスケールを拡張。
タイトルの「Hey u x」は、親しいSNSメッセージのような親密さを感じさせる一方で、誰にも届かないメッセージのような寂しさも漂わせており、その二面性こそがこのアルバムの本質を物語っている。
TikTok発のヒット「Supalonely(feat. Gus Dapperton)」を含む全13曲は、恋愛の不安、自己嫌悪、気だるさ、そして時おり訪れる高揚感を等身大で描きながら、誰かに話しかけるように、そして自分自身に問いかけるように進行していく。
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全曲レビュー
1. Happen to Me
静かで不安に満ちたイントロ。
「私が死んだら誰が悲しむ?」という衝撃的な問いから始まり、メンタルヘルスや存在の不安を率直に描く。
アルバム全体のテーマを象徴するような1曲。
2. Same Effect
相手に何度裏切られても惹かれてしまう、“感情の麻薬性”を描いたリリカルなナンバー。
ミニマルなビートと浮遊感のあるサウンドが、中毒的な恋愛を表現。
3. Sheesh (feat. Grimes)
グライムスとの異色コラボ。
機械的なビートとサイケなサウンドが織りなす、サイバー・フェミニズム的世界観が新鮮。
“シーシュ”という口語のリフレインが癖になる。
4. Supalonely (feat. Gus Dapperton)
TikTokを通じて世界的にヒットした代表曲。
失恋の痛みを自嘲気味に「スーパー孤独」と歌いながら、踊りたくなるビートで包み込む。
悲しみとユーモアのバランスがBENEEらしさの真骨頂。
5. Snail
“カタツムリになった自分”という不条理なイメージをユーモアで描く、ポップな逸曲。
ロックダウン中の生活の孤独や停滞感が反映されており、BENEE流の“ソーシャル・ディスタンス・ポップ”。
6. Plain (feat. Lily Allen & Flo Milli)
ポップスとヒップホップ、UKエレポップの融合。
三者三様の女性的視点が交錯する贅沢な構成で、リリックのテンションも絶妙。
7. Kool
中毒性のあるメロディとテンポが心地よい、アルバム中でも最もキャッチーなトラック。
「クールでいたいのにうまくいかない」という、Z世代的“セルフブランディングの疲れ”を描く。
8. Winter (feat. Mallrat)
オーストラリアのシンガーMallratとの共作。
淡く儚いサウンドの中に、冬の感情的な静けさと寂しさが広がる。
9. A Little While
ノスタルジックなムードと語りかけるようなメロディ。
失った時間や関係に対する静かな回想が美しく描かれている。
10. Night Garden (feat. Kenny Beats & Bakar)
ヒップホップ色が強いクールなトラック。
夜の不安と妄想がテーマで、サウンド的にはトラップ×ダブ×ベッドルームポップの融合。
11. All the Time
軽快なテンポの中で、同じ失敗を繰り返す自分への愛憎が綴られる。
“考えすぎる脳”と“止められない感情”のループ。
12. If I Get to Meet You
ベッドルームR&B的なローテンポトラック。
未来に会うかもしれない“あなた”へ語りかける、願望と不安が混ざる内省的作品。
13. C U
「会えるかな、会えないかな」という曖昧な別れの感覚を、美しいメロディで包み込むラストトラック。
この“閉じ方の曖昧さ”が、アルバム全体の余韻を強くする。
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総評
『Hey u x』は、BENEEがポップというフォーマットの中で、どこまで個人的な感情や社会的な不安を昇華できるかに挑んだ作品であり、その試みは見事に成功している。
歌詞は一見カジュアルでも、そこには死生観、セルフイメージの分裂、他者との断絶など、Z世代の“日常に潜む重大な問い”が詰まっている。
それをベッドルームポップやR&B、エレクトロ、ヒップホップという多様な音楽性で包み込むことで、BENEEは「悲しみさえも自分らしく歌える」スタンスを確立した。
またコラボレーターの顔ぶれ——Grimes、Lily Allen、Mallrat、Gus Dapperton、Kenny Beatsなど——が示す通り、BENEEはポップの枠を超えた文化的キュレーターとしての資質も発揮している。
このアルバムを聴き終えたとき、あなたの感情は少し疲れていて、でも少し笑っているかもしれない。
それこそがBENEEというアーティストの魔法なのだ。
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おすすめアルバム(5枚)
- Gracie Abrams『Good Riddance』
繊細な語りとベッドルームポップの親密さが共鳴。 - Beabadoobee『Beatopia』
夢のような世界観と日常的憂鬱の融合。 - Rina Sawayama『SAWAYAMA』
ジャンル横断とセルフアイデンティティの闘いをポップに昇華。 - Mallrat『Butterfly Blue』
オーストラリア発のベッドルームポップ代表格。BENEEとの親和性高し。 - Faye Webster『I Know I’m Funny haha』
ユーモアと寂しさ、緩さと詩情の絶妙なバランス。
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7. 歌詞の深読みと文化的背景
『Hey u x』におけるBENEEのリリックは、SNS世代の「表層的なポジティブ」の裏に潜む、“小さくてリアルな不安”や“語られない悲しみ”をそっと差し出すという点で極めて現代的である。
「Happen to Me」のように、死を口にすることすらタブーとされるなかで、それを自然な独り言として語る。
「Supalonely」では、失恋や孤独を“踊れるユーモア”に変換する。
「Snail」では、意味のなさすら意味あるものとして受け入れる遊び心を見せる。
それらはすべて、「わざと軽く言う」ことで、深さをより際立たせるという詩的技法の応用であり、BENEEの最大の武器である。
『Hey u x』は、感情を“取り繕わずに響かせる”ための、新しいポップのかたちを提示した傑作なのだ。
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