
発売日: 2023年5月12日
ジャンル: インディーロック、ダークポップ、ポストグランジ
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概要
『Head of the Love Club』は、Gretel Hänlynが2023年にリリースしたセカンドEPであり、彼女のアーティストとしての進化と大胆な自己表現が色濃く刻まれた作品である。
前作『Slugeye』では静かな内省と繊細な言葉遣いが際立っていたが、本作ではより攻撃的で、時にユーモラスでさえある“対外的エネルギー”が印象的だ。
タイトルの「ラブクラブの主将(Head of the Love Club)」という表現は、愛や関係性の中での権力、演技、皮肉を象徴しており、現代的な恋愛観や自己アイロニーが巧みに投影されている。
彼女の低く包み込むようなボーカルと、グランジやダークウェイブの影響を感じさせるサウンドはそのままに、より自由で多様なアレンジが取り入れられており、インディーとオルタナティブの境界をしなやかに越えていく。
このEPは、痛みと笑い、孤独とカリスマ性が共存する「現代のアンチヒロイン像」としてのGretel Hänlynを明確に打ち出すものとなっている。
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全曲レビュー
1. Drive
EPの幕開けは、歪んだギターと抑制されたビートが印象的なオルタナ・ロックチューン。
恋人との逃避行を描きながら、「走ることでしか自分を保てない」という焦燥がにじむ。
曲全体が疾走と沈黙の間で揺れ続ける。
2. Today (Can’t Help But Cry)
『Slugeye』からの再録。
ここではEP全体の空気に合わせて、より粗いミックスとノイズ寄りの質感で再構成されている。
感情が不意に溢れる瞬間のリアルさが、より強調されている。
3. War With America
タイトルの挑発的な印象とは裏腹に、私的な“距離感”の物語。
「アメリカ」とは比喩的な対象で、個人間のすれ違いや文化的違和の象徴として登場する。
エレクトロニックなビートとアシッドなギターが斬新。
4. Head of the Love Club
本作の核心であり、彼女の世界観を象徴するタイトル曲。
「愛される側でいるために、私は主将の仮面をかぶる」というリリックは、SNS時代のセルフブランディングと自己喪失を重ねる。
ビート感とユーモア、冷たさと欲望が渦巻く名曲。
5. Loop Machine
中毒性の高いベースラインと、同じフレーズを反復する構成が特徴。
無限ループする日常、人間関係、自己否定のスパイラル——すべてを「機械」に例える視点が新鮮である。
クラウトロックの要素すら感じるミニマリズムの美学。
6. 1000 Daffodils
ラストを飾るのは、静かに感情を波立たせるバラード。
「1000本の水仙」が、愛と喪失、記憶と回復を象徴する詩的イメージとして使われている。
彼女の声の深みと、言葉の選び方の美しさが最も際立つ1曲。
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総評
『Head of the Love Club』は、Gretel Hänlynが持つ“声”の多面性、そして“自分というキャラクター”をどう外界に対して提示するかというテーマを探った、濃密な自己演出の記録である。
『Slugeye』では内面世界を閉じた部屋で呟くように描いていたのに対し、本作ではより開かれた舞台——時に他者、時に社会に向けて、挑発的なメッセージを投げかけている。
それは「愛の主将」としての仮面をかぶりながら、本当の自分を掘り出す試みでもある。
音楽的にも、ポストグランジ的な轟音とダークポップの親密さ、クラウトロックの反復性、あるいはアシッドフォークの幻影までが融合し、EPという枠を超えたスケールを感じさせる。
Gretel Hänlynはここで、10代の内向きな感受性を乗り越え、「表現者」としての成熟の兆しを見せている。
にもかかわらず、そのまなざしはどこまでも不安定で、観察的で、優しい。
愛と演技、自我と虚構、痛みとポップ——それらが絶妙なバランスで並列されたこの作品は、2020年代の「ポスト・ロマンティック」な音楽の先駆けとなりうる一作である。
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おすすめアルバム(5枚)
- Wolf Alice『Visions of a Life』
グランジとドリームポップの境界を曖昧にするサウンドと女性的自己演出の共通性。 - St. Vincent『Actor』
演じること、感情の誇張と抑制、その矛盾に焦点を当てた知的ポップ。 - Sharon Van Etten『Are We There』
恋愛の崩壊と再生を、声と詞で情熱的に描く姿勢に共鳴点あり。 - Mitski『Be the Cowboy』
感情と演技、虚無とカリスマ性を同時にまとった“女性像”の再構築。 - Fiona Apple『Fetch the Bolt Cutters』
自意識と自己解放を鋭利に捉えた、2020年代以降のフェミニンな実験作の金字塔。
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7. 歌詞の深読みと文化的背景
『Head of the Love Club』では、「仮面をかぶること」「演じること」「期待される女性像」というテーマが何度もリフレインされる。
タイトル曲である“Head of the Love Club”では、恋愛関係における主導権と演出を「クラブ活動」に見立てることで、愛を“競技化”し、自己を“リーダー像”としてパッケージングする行為が揶揄されている。
また、“Loop Machine”では、日常の反復が機械的であることを強調し、人間の感情や行動ですら「オートマティック」に陥っていく現代的虚無を描く。
このように、本作の歌詞群はZ世代的な社会批評とメディア文化への違和感を背景に持ちつつ、それをユーモアとウィットで包み込んでいる。
Gretel Hänlynは、“痛み”を“エンターテイメント”にするのではなく、その“構造”そのものを暴き出し、再定義しようとしているのだ。
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