発売日: 2021年11月5日
ジャンル: シンセポップ、ポストパンク、ニューウェーブ
⸻
概要
『A Way Forward』は、ブルックリンを拠点に活動するトリオ、Nation of Languageが2021年にリリースした2作目のスタジオ・アルバムであり、前作『Introduction, Presence』で築かれた80年代的美学をさらに洗練し、よりダークかつリリカルな表現へと深化させた作品である。
タイトルの“A Way Forward（前進の道）”が象徴するように、本作はパンデミックや社会不安の中で個人がどう進むか、どのように意味を見出していくかという問いを内包している。
サウンド面では引き続きOMD、New Order、Depeche Modeといったニューウェーブの影響を色濃く感じさせる一方で、メロディと詩の緻密さが格段に向上し、物語性のある構成が印象的だ。
シンセとベースラインの反復に頼りながらも、どの曲にも「揺れ」や「詩的な余白」があり、それが本作全体を“思考するポップス”へと昇華している。
⸻
全曲レビュー
1. In Manhattan
オープナーにして、都会の孤独と回想をテーマにした代表曲。
「マンハッタンにいるのに、どこにもいない気がする」という感覚が、抑制されたシンセと淡々としたボーカルによって静かに描かれる。
2. Across That Fine Line
アップテンポでメロディアスな楽曲。
「踏み越えてしまった境界線」——その後悔や曖昧な関係性を、柔らかなコードと緊張感あるリズムで表現する。
3. Wounds of Love
本作中でも特にポップなナンバー。
愛によって生まれる傷と快楽、依存と離脱のあいだを踊るように描いた一曲。
リズムの心地よさとリリックの切実さが対照的。
4. Miranda
タイトルの「ミランダ」は比喩的な存在。
実在しない誰か、あるいは失われた誰かとの対話を思わせる構成で、音数は少ないが、想像力を強く刺激するナンバー。
5. The Grey Commute
“グレイな通勤”というユニークなタイトル通り、現代の反復的労働と精神的空洞を風刺した曲。
冷ややかなシンセとメカニカルなビートが、テーマを見事に増幅している。
6. This Fractured Mind
代表曲のひとつ。
心の分裂、記憶の断片化を主題に、繊細なリリックとエモーショナルなボーカルが組み合わさる。
“壊れかけた精神”にこそ宿る光を感じさせる名曲。
7. Former Self
シンセの波に漂うようなバラード調の曲。
「かつての自分」との距離や対話が描かれ、自我の複層性に迫るリリックが秀逸。
瞑想的な響きがアルバム中盤の静かな中継点となる。
8. Whatever You Want
唯一の女性的な視点を感じさせる語り口が印象的。
タイトル通り“あなたが望むものは何でも”というフレーズが、自己犠牲的かつアイロニカルに繰り返される。
9. A Word & A Wave
言葉と身振り——すれ違うコミュニケーションを主題にした内省的な曲。
その曖昧さこそが現代的で、構成もサウンドも緻密かつ抑制的。
10. They’re Beckoning
アルバムを閉じる幻想的なラスト曲。
「誰かが呼んでいる」という不穏で詩的なリフレインが、まるで夢の中のように揺れながら、静かに終わりを迎える。
リスナーを思考の彼方へと連れ去る幕引き。
⸻
総評
『A Way Forward』は、Nation of Languageが“80年代を再現するバンド”ではなく、“現代を80年代風に描写する新しい語り手”であることを強く印象づける作品である。
ニューウェーブやポストパンクの語彙を借りながらも、それをノスタルジーではなく、“いま”を描くためのツールとして活用している点が秀逸だ。
本作では、都市の孤独、内面の分裂、労働の機械化、感情の曖昧さといった、現代人の不安と焦燥が、ビートとシンセに置き換えられ、時に踊れる形で提示されている。
それは“消費されるポップ”ではなく、“考えさせられるポップ”であり、ニューウェーブの精神を最も誠実に受け継いでいると言っても過言ではない。
『A Way Forward』は、立ち止まりながら進むしかない私たちの現実を、静かに、しかし確かに鳴らす——そんな音楽なのだ。
⸻
おすすめアルバム（5枚）
- Wild Nothing『Nocturne』
ドリーミーなサウンドと内省的な歌詞の融合が共通。 - The Killers『Hot Fuss』
シンセとロックのバランス感覚、ポストモダンな視線の交差点。 - Beach Fossils『Clash the Truth』
ジャングリーなギターとポストパンク的抑制の共存。 - Depeche Mode『Black Celebration』
冷たさと宗教的モチーフ、機械と感情の交差する名盤。 - Lower Dens『Escape from Evil』
闇と光が混じる構成、シンセの深さ、歌詞の内省が共鳴。
⸻
7. 歌詞の深読みと文化的背景
本作のリリックは、日常の中に潜む“存在の不安”や“言葉の不確かさ”を描き出している。
たとえば「The Grey Commute」では、現代労働の反復性と意味の喪失が、「This Fractured Mind」では、記憶と自己認識の分裂が、「A Word & A Wave」では、非言語的コミュニケーションの限界がそれぞれ主題となっている。
Nation of Languageは、こうしたテーマを明確な結論に導くのではなく、曖昧なまま提示し、リスナーに思考の余白を委ねる。
この“決めつけないポップ”こそが、彼らの詩的な知性であり、哲学的スタンスである。
『A Way Forward』は、明日を指し示す作品ではない。
ただし、“昨日から続く今日の不安”を音にしてそっと受け止めてくれる作品なのだ。
コメント