発売日: 2022年7月29日
ジャンル: オルタナティヴ・ロック、インディーポップ、クィア・ポップ、ドリームポップ
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概要
『Hold On Baby』は、King Princessが2022年にリリースしたセカンド・フルアルバムであり、自己不信、関係性の迷い、心の再生といったテーマを、より成熟したサウンドスケープと強度あるリリックで描き出した作品である。
デビュー作『Cheap Queen』で見せたローファイで等身大の感情はそのままに、今作ではよりオルタナティヴ・ロック寄りのサウンドを導入。特に、プロデューサー陣にMark Ronson、Ethan Gruska、Aaron Dessner(The National)らを迎えたことで、音楽的にもリリック的にも深度が増し、「感情の空白にある静けさと混乱」をよりリアルに映し出している。
King PrincessことMikaela Strausは、本作について「自分を肯定するまでに、どれだけの否定があったかを歌っている」と語っており、アルバム全体が“感情の中間地帯”にとどまる誠実さを持っている。
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全曲レビュー
1. I Hate Myself, I Want to Party
内面の破壊的衝動と、それをどうにかして愛と快楽に変えようとする若者の叫び。ギターリフとビートの強度が高く、ライブでも映える一曲。
2. Cursed
傷ついた関係性を“呪い”として描くダークポップバラード。King Princessの脆さが最も率直に表現された曲のひとつ。
3. Winter Is Hopeful
The National風のミニマリズムが漂う、美しくも哀しいトラック。ピアノとストリングスが、曲名に反した希望のない空気を引き裂くように響く。
4. Little Bother (feat. Fousheé)
自己嫌悪と失恋が交差するコラボトラック。Fousheéのスモーキーな声が、King Princessのセンチメンタルなボーカルと見事に重なり、深い余韻を残す。
5. For My Friends
アルバム中最も明るいトーンを持つ曲の一つ。友情の大切さと依存性の境界線を歌い、ギターとコーラスがポジティブなカタルシスを生む。
6. Crowbar
自己防衛としての“鈍器(crowbar)”をメタファーに用いたロックチューン。力強いサウンドと冷めたトーンが、不安と強さの間にある葛藤を象徴。
7. Change the Locks
“もう同じ場所には帰らない”という決意をテーマにした曲。メロディは優しく、リリックは断絶を選ぶ強さに満ちている。
8. Too Bad
関係の終わりを「残念だったね」と言い切るクールなナンバー。ユーモアと皮肉が入り混じる、King Princessらしいリリックセンスが光る。
9. Let Us Die
アルバムのクライマックス。ラウドなバンドサウンドと「死なせてくれ」という大胆なフレーズが、絶望の中にある愛の形を描き切る。Foo FightersのTaylor Hawkinsがドラムを叩いた遺作でもあり、楽曲に重みを与えている。
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総評
『Hold On Baby』は、King Princessが「脆く、不安定で、でも確かに生きている自分自身」と向き合ったアルバムである。
この作品では、ポップソングの“美しい瞬間”よりも、その裏にある“混乱や空白”に重きを置き、完成された答えではなく「答えを探す旅そのもの」を描いている。
その旅は、聴く者にとっても“自己理解の鏡”となり、曖昧で揺らぎのある感情を肯定してくれるものだ。
音楽的には、前作よりもバンド的でエッジの効いたサウンドが増え、クィア・ポップの枠を越えてオルタナティヴ・ロック、アートポップの領域に踏み込んでいる。にもかかわらず、歌の中心にあるのは常にKing Princessの“ひとりの人間としての声”であり、その誠実さが本作の最大の魅力なのだ。
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おすすめアルバム(5枚)
- MUNA『MUNA』
クィア・ロック/ポップとしての親密さと高揚感を併せ持つ作品。 - Lucy Dacus『Home Video』
個人の記憶と成長をバンドサウンドで語るスタイルが響き合う。 - Phoebe Bridgers『Stranger in the Alps』
抑制された表現とエモーショナルな世界観が『Hold On Baby』と共通。 - Julien Baker『Little Oblivions』
自己破壊と再生の狭間を描いたバンドサウンドによる内省的傑作。 - Boygenius『The Record』
友情と自己認識を描くクィア女性3人によるオルタナ・ポップの結晶。
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歌詞の深読みと文化的背景
『Hold On Baby』のリリックは、クィアな恋愛やジェンダーの葛藤だけでなく、広く「自分をどう扱っていいかわからない人間」の物語でもある。
“Little Bother”では、他者からの疎外感を「ちょっとした迷惑」という言葉で覆い隠し、“Let Us Die”では、愛と破壊が表裏一体であることを大胆に描き切る。
King Princessは、クィアであることを大上段に構えるのではなく、それが「日常の一部」であることを自然に描く。だからこそ、本作はクィア・ポップであると同時に、誰の心にも触れる“普遍的な孤独”と“やわらかい強さ”のアルバムなのだ。
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