1. 歌詞の概要
「Chance」は、スコットランド出身のロック・バンド、Big Countryのデビュー・アルバム『The Crossing』（1983年）に収録されたバラード調の楽曲である。勇壮なギターとダイナミックなドラムが特徴のバンドにおいて、この「Chance」はその流れとは対照的な、静謐で切実なトーンを持つ作品であり、スチュアート・アダムソンのソングライティングが持つ、繊細で詩的な側面を如実に示している。
この曲は、個人の尊厳、女性の苦境、そして人間関係における不平等と自己犠牲をテーマとして扱っており、特にスコットランドや英国労働者階級に根ざした現実と痛みを浮き彫りにするような描写がなされている。メロディは哀しみと優しさを含みながら高揚していき、聴く者の胸に深く沁み入る情感をたたえている。
繰り返されるフレーズ「He will take, she will give（彼は奪い、彼女は与える）」に象徴されるように、この曲は関係性の非対称性と、沈黙の中にある耐え忍ぶ意志の力を、静かに、しかし強く訴えかけるバラッドなのである。
2. 歌詞のバックグラウンド
「Chance」は、アルバム『The Crossing』に収録された中でも特に感情的に訴えかける楽曲であり、リリース当時からファンの間で深い支持を集めていた。シングルとしてもリリースされ、UKチャートでは9位を記録するなど、バンドにとって大きな商業的成功となった作品でもある。
この曲で中心となるモチーフは、スチュアート・アダムソンが育ったスコットランドの社会背景、特に女性が家庭や社会の中で置かれていた立場に対する共感である。当時の労働者階級における女性の役割――家族の中での自己犠牲、経済的依存、抑圧された夢――そうした現実を、アダムソンは詩的な比喩ではなく、むしろ真正面から、ナイーヴな誠実さで描いている。
また、アダムソン自身がThe Skids時代から繰り返し扱ってきたテーマ、「誇り」と「傷つきやすさ」の二重性が、「Chance」においてはとりわけ柔らかく、美しく表現されている。
3. 歌詞の抜粋と和訳
以下に「Chance」の印象的なフレーズを抜粋し、日本語訳を添える。
All the rain came down on a cold new town
→ 雨はすべて降りしきった 冷たい新興住宅地の町にAs he carried you away
→ 彼が君を連れて行ったときFrom your father’s hand that always seemed to land
→ 父親の手から、いつも君に降りかかっていたその手からAs he stood there, you could hear him say
→ 彼が立ち尽くしながら、こう言ったのが聞こえたHe will take, she will give
→ 彼は奪い、彼女は与えるShe will die so he may live
→ 彼女は死に、彼は生き延びるために
引用元：Genius Lyrics – Big Country “Chance”
ここでは、暴力と逃避、赦しと犠牲、そして絶え間ない関係の非対称が描かれている。それは個人的な物語であると同時に、集団的な記憶としてのスコットランドの社会構造をも映し出している。
4. 歌詞の考察
「Chance」は、ロマンティックなバラードではなく、むしろ人間関係の構造的な不均衡を見つめたルポルタージュのような詩的作品である。
特に強調されているのは、「彼は奪い、彼女は与える」「彼女は死に、彼は生きる」というフレーズに見られるように、女性が男性のために自己を削りながら生きていく構造への無言の告発である。このリフレインがもたらす沈鬱なリズムは、単なる愛の終焉を語っているのではなく、継続的に受け継がれてきた不平等なパターンそのものを照射している。
また、“雨が降る”“町が冷たい”といった描写は、社会的な抑圧、あるいは階級的な停滞感と重なり合っており、スコットランドという土地に生きる人々のリアルな情景が浮かび上がってくる。それでも曲の語り口は静かで、怒りや告発をむき出しにすることはない。むしろ、その穏やかな語りが、逆にこの歌詞の悲しさと誠実さを際立たせている。
そして何よりも、「Chance（チャンス）」というタイトルが皮肉めいているのは、主人公の女性がどこかで“より良い人生への可能性”を信じていたにもかかわらず、その機会が与えられなかったことへの哀しみと諦観を示している点にある。この“チャンスのなさ”が、この曲の最も深く、胸を締め付ける部分なのである。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Shipbuilding by Elvis Costello
労働者階級と戦争という主題を詩的かつ静謐に描いた社会派バラード。 - She’s in Parties by Bauhaus
女性のアイデンティティと存在のかけらを、幻想的に描いた名曲。 - Working Class Hero by John Lennon
構造的な抑圧と階級の現実を直球で突く、シンプルかつ力強いフォークロック。 - There Is a Light That Never Goes Out by The Smiths
愛と死と逃避願望が同居する、抒情的な英ロックの傑作。 -
Hollow Horse by The Icicle Works
手の届かない理想と、そこに手を伸ばし続ける心の在り方を歌った美しいバラード。
6. “沈黙の物語”としてのバラード
「Chance」は、静かな歌である。しかし、その沈黙には怒りがあり、悲しみがあり、願いがある。語られないことの中に、実は最も多くの真実が潜んでいることを、この曲は知っている。
スチュアート・アダムソンは、この楽曲において自らの声を“語り手”として控えめに使いながらも、その行間に社会の現実と人間の感情の深さをしっかりと刻み込んでいる。まさに“民衆の叙事詩”のように、語られぬ歴史や見過ごされてきた人々の人生に光を当てるバラード、それが「Chance」なのである。
この曲を聴くことは、誰かの生きづらさを共に感じることでもある。そしてそのことが、音楽の力を最も根本的なところで証明してくれるのだ。沈黙の声に耳を傾ける――その優しさと誠実さが、この歌には満ちている。
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