はじめに
Boards of Canada(ボーズ・オブ・カナダ)は、スコットランド出身の兄弟ユニット、マイケル・サンディソンとマーカス・イオンによって構成される電子音楽デュオである。
彼らの音楽は、アンビエント、IDM(Intelligent Dance Music)、ヒップホップのビート、そして何より“記憶”や“郷愁”といった言語化しづらい感情をサウンドに昇華させたものである。
どこかで聴いたことがあるようで、どこにも存在しない音。
Boards of Canadaの楽曲は、時に懐かしく、時に不穏に、私たちの心の奥底に眠るイメージを揺さぶるのだ。
アーティストの背景と歴史
マイケルとマーカスの兄弟は、スコットランドの田園地帯で育ち、幼少期から古いテレビ番組や教育映像の断片に触れていた。
この経験が、彼らの作品に強く反映されている。
グループ名の由来も、カナダの国立映画制作機関「National Film Board of Canada」からであり、70年代の教育用映像の雰囲気こそが、彼らの音楽的DNAとなっている。
1990年代初頭から活動を始め、1998年のアルバム『Music Has the Right to Children』で世界的な注目を集めた。
以降も作品のリリースペースは非常にゆっくりながら、そのたびに深い芸術性とコンセプト性で評価され続けている。
音楽スタイルと影響
Boards of Canadaの音楽をひとことで表すなら、“記憶の中の風景音楽”だろう。
ローファイな質感、カセットテープ的な音の劣化、微細なノイズ、逆再生やアナログ機材による歪み――すべてが「完璧ではない」ことを前提として構築されている。
旋律は短く、断片的。だがその反復が、リスナーの記憶を刺激し、まるで幼少期に見た夢の断片のような情景を呼び覚ます。
影響を受けたアーティストには、Aphex Twin、Brian Eno、My Bloody Valentine、Public Enemy、Pink Floydなどが挙げられる。
電子音の構築美に加えて、ヒップホップ的なブレイクビーツや、ニューエイジ的な浮遊感も備えており、ジャンルを横断した存在として唯一無二の地位を確立している。
代表曲の解説
Roygbiv
『Music Has the Right to Children』収録の代表曲で、わずか2分ほどの短いトラックながら、彼らの美学が詰まった名曲。
温かいアナログシンセの旋律と、浮遊感あるリズムが絡み合い、言葉では説明できない幸福感と郷愁を呼び起こす。
まるで日曜の午後、陽だまりの中でまどろむような音楽である。
Dayvan Cowboy
2005年のアルバム『The Campfire Headphase』に収録された、彼らの中でも特に映像的な一曲。
冒頭は広がるギターサウンドと共に空へ舞い上がるような感覚があり、後半ではドラムが加わり、まるでスカイダイビングのような落下のイメージへと転じる。
PVも高評価で、NASAの映像を用いた視覚体験がこの曲の世界観をより際立たせている。
Everything You Do Is a Balloon
初期作品に収録されたこのトラックは、メランコリーと美しさの境界線を行き来するような楽曲である。
繰り返されるメロディは決して派手ではないが、静かに、しかし確実に胸を締め付けてくる。
それはまるで、失われた記憶を音でなぞるような体験なのだ。
アルバムごとの進化
Music Has the Right to Children(1998)
記念すべきフルアルバムデビュー作であり、IDM界に衝撃を与えた作品。
教育テレビやフィールドレコーディングの断片が随所に散りばめられ、アルバム全体がひとつの記憶装置のように機能している。
「Telephasic Workshop」「Turquoise Hexagon Sun」など、サンプルのコラージュ技法が際立つ実験的でありながらも情緒的な一枚。
Geogaddi(2002)
よりダークで謎めいた作風へと進化した2作目。
楽曲には逆再生、数秘術、宗教的モチーフが多数隠されており、リスナーを不安にさせる音の選び方が意図的に組み込まれている。
「1969」「Sunshine Recorder」など、どこか宗教的な響きを持った音像は、まるで夢と悪夢の狭間に立たされるような体験をもたらす。
The Campfire Headphase(2005)
アコースティックギターの導入により、過去2作と比べて温かみと有機性が増した作品。
「Dayvan Cowboy」「Chromakey Dreamcoat」など、ノスタルジーと広がりを感じさせる楽曲が並ぶ。
自然の中で過ごす時間のような、穏やかなトーンがアルバム全体を包み込む。
Tomorrow’s Harvest(2013)
8年ぶりに発表された4作目は、過去最も“冷たい”音像を持つポストアポカリプティックなアルバム。
80年代SF映画のサウンドトラックに影響を受けたという音は、未来に対する不安と美を同時に映し出している。
「Reach for the Dead」「Cold Earth」など、都市の廃墟に降る朝霧のような、静謐な破滅感が漂う。
影響を受けたアーティストと音楽
Brian EnoやAphex Twinといったアンビエント/IDMの巨匠に加え、Public Enemyのようなサンプル・コラージュの手法、さらにはCocteau Twinsのような感覚的な浮遊感も彼らの音に反映されている。
また、子供向け教育番組や古いカセット映像といった「視覚的ノスタルジア」も大きな影響源である。
影響を与えたアーティストと音楽
Boards of Canadaは、Tycho、Bibio、Ulrich Schnauss、Com Truiseといった現代のエレクトロニカ/チルウェイヴ系アーティストに多大な影響を与えている。
また、ポストロック、インディーロック、ビートミュージックの領域においても、彼らの“記憶に作用する音楽”という美学は継承されている。
オリジナル要素
彼らは決して多作ではないが、その一音一音には圧倒的なまでの思想と美意識が込められている。
作品には無数の暗号、メッセージ、数列、隠しトラックが仕込まれており、リスナーは単に“聴く”だけでなく“読み解く”ことを求められる。
また、メディア露出をほとんど行わず、匿名性を保ったまま活動している点も彼らの神秘性を強めている。
まとめ
Boards of Canadaの音楽は、ただの“電子音”ではない。
それは、記憶と夢、風景と感情が静かに溶け合った、サウンドによる心理風景の描写である。
彼らは喧騒から距離を取り、静かに、深く、心の奥に語りかけてくる。
ヘッドフォンを通して、耳ではなく記憶に直接届く音楽。
Boards of Canadaは、音楽という媒体を通じて“懐かしさとは何か”を私たちに問いかけ続けている。
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