
発売日: 1972年10月**
ジャンル: アヴァンギャルド・ロック、ブルースロック、アートロック、サイケデリック・ソウル
明晰さの中にひそむ魔法——ビーフハートが見せた“光と輪郭”の瞬間
『Clear Spot』は、1972年にリリースされたCaptain Beefheart and The Magic Bandの6作目のスタジオ・アルバムであり、
キャリアの中でもっとも“明瞭”で、“アクセス可能”で、“ポップ”に近づいた異色の傑作である。
その“明るさ”や“聴きやすさ”は意図されたものであり、商業的成功を視野に入れてワーナー系レーベルから発表されたという背景も含めて、極めてユニークな立ち位置の作品である。
だがもちろん、ただの妥協作ではない。
むしろこれは、ブルース、ファンク、ソウル、ジャズといったアメリカ音楽の文脈を巧みに取り込みながらも、
詩的跳躍とアヴァンギャルドな知覚操作を怠らない“Captain Beefheart流ポップの理想形”と言える。
録音には有能なセッション・ミュージシャンも加わり、音質や演奏精度も格段に向上。
一部は前作『The Spotlight Kid』と同時期に録られたが、よりスリムで切れ味のある編集がなされており、
“ポップ・ミュージックの中に潜む詩と奇跡”を凝縮した一枚となっている。
全曲レビュー
1. Low Yo Yo Stuff
ゆったりとしたスワンプ・ファンクに乗って、キャプテンが“ヨーヨーのような人生”をぶっきらぼうに語る。
スライドギターがうねり、ベースが蠢き、静かな熱を帯びた開幕曲。
2. Nowadays a Woman’s Gotta Hit a Man
時代の変化とジェンダー観を独自の視点から捉えた風刺ブルース。
タイトルの強烈さと裏腹に、演奏はグルーヴィーで洒脱。
女の自立も男の哀愁も笑い飛ばすような視線が鋭い。
3. Too Much Time
ソウルフルなバラード。
ホーン・アレンジと甘く切ないメロディが印象的で、本作中もっとも“ラジオ向け”な一曲。
Beefheartのヴォーカルが“美しく歌う”という、ある種の裏切りがここでは成功している。
4. Circumstances
ダウンビートでスモーキーなファンク・トラック。
状況(circumstances)に翻弄される男の語りが、詩的でありながらどこか人間臭い。
ギターとベースのインタープレイが光る。
5. My Head Is My Only House Unless It Rains
この詩的タイトルだけで、Beefheartがただのアヴァンギャルドではないと分かる。
室内楽的構成とメロウな歌唱で、“頭の中の家”に雨が降る風景が浮かび上がる。
カヴァーされることも多い名曲。
6. Sun Zoom Spark
キャプテンの独自造語が炸裂するアブストラクト・ファンク。
エネルギーの塊のようなドラムとギターが、“太陽”と“爆発”をイメージさせる音塊として迫ってくる。
7. Clear Spot
タイトルトラックは、自己肯定と自己神話が交錯する詩的モノローグ。
Beefheartの“俺はここにいる”という宣言が、決して傲慢でなく、静かな闘志として響く。
演奏はミニマルでありながら精緻。
8. Crazy Little Thing
陽気で奇天烈なスワンプ・ソング。
キャプテン流“変な愛の歌”の典型例で、ふざけながら真実を言ってしまう語りが魅力。
9. Long Neck Bottles
ブギー調のリズムと泥臭いギターが心地よい、酔いどれブルース。
タイトル通り、酒と体と記憶が絡まり合う。ダンスもできるビーフハート。
10. Her Eyes Are a Blue Million Miles
本作中もっとも美しいトラックにして、Beefheart史に残るラヴソングの傑作。
静謐で内省的な雰囲気の中、キャプテンが“青く無数のマイルの瞳”という比喩で心象風景を描く。
レッチリなどにもカヴァーされた。
11. Big Eyed Beans from Venus
終盤に放り込まれる超異色作。
異星の豆、戦争、愛、ギターの爆音が混然一体となり、カオスと詩が交わる。
ビーフハートの“実験本能”が完全復活する瞬間。ラストにして別世界へ突入。
総評
『Clear Spot』は、Captain Beefheartが“わかりやすくなろうとした”のではなく、“詩と構造を最大限に活かしたうえで、音楽として機能させた”稀有な作品である。
奇妙さは後退していない。むしろ、ポップの皮をかぶったまま、内側でアヴァンギャルドが静かに蠢いている。
それゆえに、これほど豊かでリスナーに開かれたビーフハート作品は他にない。
“デカールを剥がした”あとの彼は、
今度は“光”の当たる場所で、なおも異物であり続けた。
おすすめアルバム
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Tom Waits『Blue Valentine』
夜と愛とスモーキーな言葉。『Clear Spot』の情緒を継承するアーバン・ブルース。 -
Little Feat『Dixie Chicken』
南部のグルーヴと不思議なユーモア。Beefheart的ファンクとポップの架け橋。 -
Frank Zappa『Zoot Allures』
複雑な演奏と詩的ポップの融合。盟友ザッパの“明快で深い側面”。 -
The Kinks『Muswell Hillbillies』
ルーツ音楽と社会詩が交錯する、英国版“Clear Spot”的作品。 -
Red Hot Chili Peppers『The Uplift Mofo Party Plan』
“Her Eyes〜”のカヴァーあり。ファンク・ロックに宿るBeefheartスピリット。
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