1. 歌詞の概要
「Not Ready to Make Nice」は、The Chicks(旧名Dixie Chicks)が2006年に発表したアルバム『Taking the Long Way』の中核を成すシングル曲であり、アメリカの政治的・社会的風土の中で起きた“言論の代償”とそれに対する彼女たちの応答を、極めて個人的かつ情熱的に描いたパワフルなバラードである。
この楽曲のタイトル「Not Ready to Make Nice(まだ仲直りする気はない)」が象徴するのは、理不尽な非難や社会的制裁に対して、「私は悪くない」と立ち上がる意思表示である。歌詞の中でナタリー・メインズは、「私は自分の意見を言っただけ」「誰かを傷つけるつもりなんてなかった」と語りながらも、その発言によって巻き起こった波紋と向き合い、痛みを抱えながらも信念を曲げない姿勢を貫いている。
「人を許すのは簡単じゃない。でも私は、自分自身を裏切りたくない」
そんな葛藤が、静かなピアノから始まり、やがて力強く高揚していくメロディの中に、燃えるような感情とともに表現されていく。
2. 歌詞のバックグラウンド
この楽曲が書かれた背景には、2003年にThe Chicksのリードシンガーであるナタリー・メインズ(Natalie Maines)がロンドンでのコンサート中に発した、「私たちはテキサス出身だけど、ブッシュ大統領がこの国を代表していることを恥ずかしく思う」という発言がある。
当時、イラク戦争の開戦直前であったアメリカ社会は極めてナショナリズムが高まっており、この発言は保守的なカントリーミュージック界とそのファンから激しい非難を浴びることになった。ラジオ局では彼女たちの楽曲がボイコットされ、殺害予告すら受けるなど、まさに“発言の代償”を体験したのである。
「Not Ready to Make Nice」は、その出来事から3年後に発表された“返答”とも言える楽曲であり、単なる反論ではなく、自身の傷と怒りを昇華しながらも、自分の言葉を守り抜く勇気を歌った“再出発の歌”でもある。
この曲の作詞には、The Chicksの3人に加え、カントリー・フォーク系の名ソングライターであるDan Wilson(ダン・ウィルソン)も参加しており、彼の繊細で強靭な言葉遣いが、感情の激しさと静けさのバランスを巧みにとっている。
3. 歌詞の抜粋と和訳
“I’m not ready to make nice”
今はまだ、仲直りする準備なんてできてない“I’m not ready to back down”
今はまだ、引き下がるなんてできない“I’m still mad as hell and I don’t have time to go ‘round and ‘round and ‘round”
私はまだ激しく怒ってる 同じことを何度も繰り返してられない“It’s too late to make it right”
もう正すには遅すぎる“I probably wouldn’t do it any different if I had it all to do again”
もしやり直せたとしても たぶん私は同じことを言うだろう
引用元:Genius
4. 歌詞の考察
この曲は、怒り、失望、恐怖、そして信念という複雑な感情が幾重にも重なった“告白の詩”として成立している。冒頭の「Forgive, sounds good. Forget, I’m not sure I could.(許す?それはいい言葉。でも、忘れることはできそうにない)」というラインから始まるこの曲は、すでに“許し”を表面的に済ませようとする風潮への抵抗として響く。
「I’m not ready to make nice(仲直りなんてできない)」というフレーズは、アメリカ的価値観の中で美徳とされる“和解”や“前向きさ”をあえて拒絶する姿勢を取り、それが女性アーティストとして、そして社会の一員としての強い自我の表明となっている。
また、「I probably wouldn’t do it any different if I had it all to do again」という一節は、過去の言動への後悔がないこと、そしてそれがどれほどの代償を伴おうと、「沈黙することのほうが自分にとっては裏切りだった」という覚悟の表明である。
この曲は、感情を爆発させるのではなく、緻密にコントロールされた構造と旋律の中で、静かにしかし確固たる主張を放っている。だからこそ、そのメッセージはより鋭く、より深く心に刺さる。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Brave by Sara Bareilles
「自分の声を恐れずに使え」というメッセージが、The Chicksと共鳴する自己表現のアンセム。 - I Am Not a Woman, I’m a God by Halsey
女性性と神性の境界を超えて、怒りと再生を同時に描くポストモダンなフェミニスト・ソング。 - Praying by Kesha
逆境と苦しみを経て得た内面的な強さと赦しの難しさを、壮絶なヴォーカルで描いた名曲。 - The Man by Taylor Swift
性別によるダブルスタンダードを風刺しながら、女性の怒りと願望をポップに昇華した楽曲。 - Gaslighter by The Chicks
同バンドによる2020年のカムバックソング。嘘、操作、裏切りへの鋭いカウンター。
6. 沈黙しない女性たちのバラード——怒りを燃料に変えて
「Not Ready to Make Nice」は、カントリーミュージックの枠を超えて、ポピュラー音楽史における“反骨のバラード”として燦然と輝く一曲である。それは、理不尽な沈黙を強いられた女性が、沈黙を拒み、言葉を取り戻すための闘争の歌でもある。
この曲は単に“怒り”を歌っているのではない。むしろそれは、信念に従った結果、自らが引き受けることになった痛みと孤立を、静かに、そして力強く受け止めるプロセスを描いている。だからこそ、この曲が放つエネルギーは、聴く者に勇気を与える。
「まだ許せない」——それは、成熟した強さの表現であり、弱さを認めながらも進もうとする人間の真摯な姿なのだ。
「Not Ready to Make Nice」は、The Chicksが音楽という手段を用いて、世の中に語りかけたメッセージであり、言葉と感情と意志が、最も美しいかたちで結晶した“現代のプロテスト・ソング”である。
この歌は、誰かにとっての声なき声を、確かに代弁してくれる。今も、これからもずっと。
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