
楽曲の概要
「It’s Not Just Me, It’s Everybody」は、Weyes BloodことNatalie Meringが2022年に発表した楽曲で、同年のアルバム『And in the Darkness, Hearts Aglow』のオープニングを飾る。作詞・作曲はMeringで、プロデュースはWeyes BloodとJonathan Rado、追加プロダクションにはBen Babbittが参加した。ピアノを中心に、Joey Waronkerのドラム、Kenny Gilmoreのベース、Mary Lattimoreのハープ、ストリングスや管楽器を重ねた約6分の楽曲である。
2019年の『Titanic Rising』で、1970年代のシンガーソングライターやソフト・ロックを思わせる壮麗なサウンドと、現代社会への不安を結びつけたWeyes Bloodだが、本曲ではその視点が「自分」から「みんな」へ広がっている。人が集まる場所にいるのに誰ともつながれないという個人的な孤独から始まり、それを現代社会全体の問題として捉え直していく。美しく穏やかな音楽の中に、社会的な孤立やテクノロジーによる人間関係の変化を置くことが、この曲の大きな特徴である。
歌詞の概要
歌詞は、語り手がパーティーの中で孤独を感じている場面から始まる。周囲には人がいるのに、自分を本当に知っている人、自分という存在をきちんと見ている人がいるのか分からない。ここで描かれる孤独は、物理的に一人でいる寂しさではない。人と接触しているにもかかわらず理解されている実感がないという、もっと現代的な孤立である。
しかし語り手は、自分だけが特別に孤独なのではないことへ気づいていく。大きな変化の中で、人々は互いに対してだけでなく、自分自身にとってさえ見知らぬ存在になっている。個人ごとの苦しみは同じではないが、それぞれがより大きな一つの状況につながっているという考えが、タイトルの「It’s Not Just Me, It’s Everybody」に集約される。自分だけがおかしいと思っていた状態から、社会そのものが同じ種類の不安を共有しているのではないか、という認識への移動である。
そこで曲が提示するのが、他者への慈悲や思いやりである。これは「みんな同じだから大丈夫」という単純な励ましではない。それぞれの苦しみは外から完全には見えず、人間同士が簡単に理解し合えるわけでもない。それでも、自分と同じように他人も何かを抱えていると想像することが、孤立を少しだけ和らげる可能性がある。個人的な寂しさから始まった歌が、最終的には人間同士の相互依存を考える歌へ広がっていく。
制作背景・時代背景
『And in the Darkness, Hearts Aglow』は、Meringが『Titanic Rising』から始まる3部作の第2章として位置づけた作品である。本人の説明によれば、『Titanic Rising』がこれから起こることへの不吉な予感を扱っていたのに対し、本作は社会が実際に不安定な状況のただ中へ入った段階を扱っている。パンデミックを経験した社会、アルゴリズムに囲まれた生活、情報が大量に存在するのに有効な行動へ結びつかない感覚などが、その背景にあった。
Mering自身は「It’s Not Just Me, It’s Everybody」を、すべての存在の相互的なつながりを意識した「Buddhist anthem」と説明している。同時に彼女が問題として挙げたのが「hyper isolation」、つまり極端な孤立である。生活のさまざまな部分が人間同士の直接的な関係を必要としなくなり、テクノロジーが人の注意を互いから奪っていく。その便利さとは裏腹に、人間が誰かに依存したり、誰かから必要とされたりする機会まで減少しているのではないか、という問題意識がアルバム全体を貫いている。
音楽的には、こうした現代的なテーマをいかにも現代的な電子音だけで表現しないことがWeyes Bloodの特徴である。『And in the Darkness, Hearts Aglow』の多くはハリウッドのEastWest Studiosで録音され、ピアノ、ストリングス、ハープ、管楽器などを使った豊かなアンサンブルが作られた。「It’s Not Just Me, It’s Everybody」も1970年代のソフト・ロックやオーケストラル・ポップを思わせるが、その温かな音の中で歌われるのはデジタル時代の孤立である。この時代のずれが、単なる懐古趣味とは異なる緊張感を生んでいる。
歌詞の抜粋と和訳
この曲ではタイトルそのものが最も重要な言葉として何度も戻ってくる。「自分だけではなく、みんななのだ」という認識によって、最初は非常に私的だった孤独の意味が変わっていく。苦しみが共有されているから個人の問題が消えるのではなく、自分の苦しさだけを見ている状態から、他者も同じように見えない傷を抱えているかもしれないと考える方向へ視点が広がるのである。
もう一つの重要なモチーフは「慈悲」である。語り手は孤独に対して、強さや自己完結ではなく、他者への思いやりを対置する。誰にも頼らず自分だけで完結することを理想とするのではなく、人間はそもそも互いを必要とする存在だという考えが背景にある。その意味でタイトルは、孤独の告白であると同時に、孤独から他者へ視線を向け直すための言葉にもなっている。
サウンドと歌詞の考察
「It’s Not Just Me, It’s Everybody」の中心にあるのは、Weyes Blood自身が弾くピアノである。冒頭からピアノは派手なフレーズを弾くのではなく、ゆったりした和音で歌を支える。テンポにも急ぐ感覚がなく、6分を超える長さを使って一つの考えをゆっくり広げていく。そのため、パーティーの中で孤独を感じるという冒頭の場面も、劇的な悲しみとしてではなく、周囲を眺めながら自分の状態に気づいていく内省として聞こえる。
Joey WaronkerのドラムとKenny Gilmoreのベースも、この曲を強引に前へ押さない。リズムには柔らかな揺れがあり、ピアノとともに一定の流れを保つ。その上をストリングス、ハープ、管楽器が少しずつ広げていくため、曲は単純に「静かな部分から大音量のサビへ」という形では成長しない。むしろ一人で考えていた人物の視界に、少しずつ別の人間や大きな世界が入ってくるように音の範囲が広がる。この変化が、歌詞における「私」から「みんな」への移動とよく対応している。
Mary Lattimoreによるハープは特に象徴的な音色である。ハープには古典的で柔らかな響きがあり、ストリングスと組み合わされることで曲に宗教音楽のような静けさを与える。しかし、歌われている内容は超越的な救済ではなく、人間同士のつながりが失われつつある現実だ。Meringがこの曲を仏教的なアンセムとして説明したことを考えると、この穏やかな音響は苦しみを消すためというより、苦しみを自分だけのものとして抱え込まないための空間を作っているように聞こえる。
Meringの歌唱も同じ方向に働いている。彼女の声は低い音域では落ち着いており、高い音へ上がっても感情を激しく崩さない。現代の孤独という題材を、息苦しい声や激しい叫びで表現するのではなく、古いスタンダード曲を歌うような余裕を持って届ける。この距離感が重要で、歌詞を個人的な日記だけにせず、誰にでも当てはまりうる言葉へ変えている。語り手の「私」が前面に出すぎないからこそ、タイトルに到達したときの「Everybody」が自然に大きな意味を持つ。
曲の後半では、同じ言葉の反復そのものがアレンジの一部になる。ここでは新しい物語を次々に追加するのではなく、一つの認識を繰り返すことで意味を深めていく。最初に「自分だけではない」と考えるとき、それは孤独な人物による推測にすぎない。しかし何度も反復され、周囲の楽器が豊かになるにつれて、その言葉は個人的な独白から共同体的なコーラスに近づいていく。反復によって個人の感情を共有可能なものへ変えるという、ゴスペルや賛美歌にも通じる仕組みである。
それでも曲が単純な希望の歌にならないのは、音の奥にわずかな不安定さが残っているからだ。オーケストラルなアレンジは美しいが、完全な安心へ着地するというより、広い空間の中に語り手を浮かべているように聞こえる。Weyes Bloodの音楽では、1970年代的な美しいメロディが「失われた良い時代」を再現するためだけに使われることは少ない。むしろ、これほど温かな音を作れるのに、現在の人間はなぜ互いから遠ざかっているのか、という矛盾が強調される。
その意味で、この曲のサウンドは歌詞への回答にもなっている。歌詞は現代社会で失われたつながりについて考えるが、演奏そのものはピアノ、ドラム、ベース、ハープ、弦楽器、管楽器といった多数の人間の演奏を重ねて一つの音楽を作っている。一人では成立しないアンサンブルによって、「自分だけではない」というメッセージを実際の音として示しているのである。孤独をなくせるとは約束しない。それでも、自分の孤独を他者の存在へ結び直すことはできる。その控えめな希望が、この曲の壮麗さを支えている。
この曲が好きな人におすすめの曲 5曲
「A Lot’s Gonna Change」 by Weyes Blood
『Titanic Rising』のオープニング曲。個人的な記憶と社会の変化を壮大なピアノ・バラードへ広げる点でつながる。「It’s Not Just Me, It’s Everybody」に至る3部作の問題意識を理解するうえでも重要な曲である。
「God Turn Me Into a Flower」 by Weyes Blood
同じ『And in the Darkness, Hearts Aglow』収録曲。自己を守るために硬くなるのではなく、柔らかさを受け入れようとする歌である。他者への慈悲を提示する本曲と同様、弱さを別の角度から捉え直している。
「Surf’s Up」 by The Beach Boys
美しいハーモニーと複雑なアレンジの中に、社会や人間への不安を忍ばせた楽曲。Weyes Bloodとは時代が大きく異なるが、壮麗なポップ・ミュージックが必ずしも幸福な内容を意味しないという点でよくつながる。
「Hejira」 by Joni Mitchell
孤独と他者との距離を、単純な悲しみではなく思索として描いた曲。音楽性は異なるものの、一人であることと誰かを必要とすることの間を行き来する視点は、Weyes Bloodの歌詞世界にも通じる。
「The Only Living Boy in New York」 by Simon & Garfunkel
孤独を穏やかなメロディと大きく広がるコーラスで包んだ一曲。「It’s Not Just Me, It’s Everybody」と同様、寂しさを閉じた独白にせず、音の広がりによって他者へ開かれた感情へ変えている。
まとめ
「It’s Not Just Me, It’s Everybody」は、パーティーで感じる個人的な疎外感から出発し、それを現代社会に広がる「hyper isolation」の問題へ拡張した曲である。ピアノを中心とする穏やかな演奏にハープ、ストリングス、管楽器が加わるにつれ、歌詞の視点も「私」から「みんな」へ広がっていく。そこで提示されるのは、孤独を自己完結によって克服することではなく、他者もまた傷ついていると想像するための慈悲である。1970年代的な豊かなアンサンブルを使いながら、テクノロジーと孤立という現代的な問題を歌うことで、Weyes Bloodは懐古的なソフト・ロックとは異なる現在性を作り出している。
参照元
- Sub Pop『And in the Darkness, Hearts Aglow』作品情報・Weyes Bloodによるアルバム解説
- Pitchfork Weyes Bloodインタビューおよび楽曲レビュー
- NME Weyes Bloodインタビュー
- Dork「It’s Not Just Me, It’s Everybody」楽曲クレジット
- Shazam「It’s Not Just Me, It’s Everybody」楽曲クレジット

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