発売日: 1972年7月21日
ジャンル: グラム・ロック、ロックンロール、ポップ・ロック
概要
『The Slider』は、T. Rexが1972年にリリースした3作目のスタジオ・アルバム(Tyrannosaurus Rex時代を含めれば7作目)であり、マーク・ボランがグラム・ロックの頂点に君臨していた時期に生まれた、まさに“黄金の中核”とも言える作品である。
前作『Electric Warrior』で確立したグラム・ブギーのスタイルをさらに洗練させ、サウンド、ヴィジュアル、コンセプトのすべてにおいてT. Rexらしさが凝縮されたアルバムである。
アメリカ人写真家リチャード・アヴェドンによるジャケット写真(シルクハットをかぶったボランの横顔)は、グラム・ロック史に残る象徴的なアイコンとなった。
プロデュースは前作に引き続きトニー・ヴィスコンティ。
ストリングスとブラスを配した華やかなアレンジ、リフの繰り返しと簡潔なメロディの組み合わせ、そしてボラン特有の詩的ファンタジー――それらが絶妙なバランスで融合し、T. Rexのサウンドが最も輝きを放った瞬間を捉えている。
アルバムからは「Telegram Sam」「Metal Guru」といったヒット曲が生まれ、英国のチャートを席巻。
ポップでありながら妖しく、軽やかでありながら永遠性を感じさせる――『The Slider』はグラム・ロックの精華を体現する歴史的名盤である。
全曲レビュー
1. Metal Guru
鐘のようなギターの音と祝祭的なメロディが印象的な、オープニング・ナンバーにしてUKチャート1位を記録した代表曲。
“メタル・グル”という神秘的存在を讃える言葉は、宗教的でもありパロディでもあり、ボランらしい曖昧な神話性を帯びている。
2. Mystic Lady
アコースティック主体の落ち着いたバラードで、ボランの柔らかな声が心地よく響く。
“神秘の淑女”に捧げるロマンティックな抒情詩のような一編。
3. Rock On
鋭いギターリフと低くうねるリズムが印象的な、スロー・グラム・ブギー。
“行け、ロックオン”というメッセージが、ストレートなロックの衝動を伝える。
4. The Slider
タイトル曲にしてアルバムの核をなす一曲。
“滑り落ちる男”という象徴的な主人公をめぐる詩は、名声や自我の崩壊といった内面的テーマを描いているとも読める。
一見軽快なリズムの裏に、ボランの繊細な感情が潜んでいる。
5. Baby Boomerang
ブギー・ロックの王道をいくアップテンポなナンバー。
“ベビーブーメラン”というユーモラスな表現が、恋愛や欲望の循環性を暗喩しているようでもある。
6. Spaceball Ricochet
タイトルからしてボランらしい宇宙と比喩の世界。
ピアノとヴォーカルが中心となったミディアム・テンポの曲で、ボランの“内なる声”がそのまま詩となって放たれる。
7. Buick MacKane
ハードなギターとドラムが印象的なガレージ・ロック色の強い楽曲。
タイトルの“ビュイック・マッケイン”は車と人名をかけたような幻想的人物像で、アメリカン・アイコンとロック神話をミックスしている。
8. Telegram Sam
T. Rexの代表曲のひとつで、チャート1位を記録。
“Telegram Sam”という謎の人物を中心に展開される名前連呼型の詞世界は、グラム・ロックの快楽性と幻想性が見事に融合した象徴的楽曲。
グルーヴ感とキャッチーさが極まった名曲。
9. Rabbit Fighter
サイケデリックな空気感をまとったスロウ・ナンバーで、幻想的なタイトルとともにTyrannosaurus Rex時代の面影を残す。
“ウサギの戦士”という謎めいたキャラクターを通じて、弱さと力強さのあわいを描く。
10. Baby Strange
ロックンロール・トラッシュの精神を受け継ぐような、生々しい演奏とヴォーカルが魅力。
ボランの歌い回しはまるで語りかけるようで、“奇妙なベイビー”への賛歌となっている。
11. Ballrooms of Mars
ストリングスを伴った美しいバラードで、アルバム中でも最も詩的で内省的な一曲。
“火星の舞踏室”という象徴は、現実逃避でもあり、夢と現実の交錯点でもある。
壮麗な構成と宇宙的スケール感が心を打つ。
12. Chariot Choogle
ノリの良いブギー・チューンで、ライヴ映えしそうな勢いがある。
“チャリオット・チューグル”という謎語も含めて、音と言葉の快楽を追求したT. Rexらしい仕上がり。
13. Main Man
静かに始まり、徐々に熱を帯びていくバラードでアルバムを締めくくる。
“俺は主役じゃない”と繰り返す歌詞は、スターであることへの葛藤や皮肉をにじませる。
最後にして最も個人的なボランの声が響く。
総評
『The Slider』は、T. Rexという存在が単なる“グラムの寵児”にとどまらず、ポップと詩、享楽と孤独、美学と即興をひとつの形式にまとめ上げた、ボランの“様式美の完成形”とも言えるアルバムである。
リフの反復と甘いメロディ、ファンタジーに満ちた詞と肉感的な演奏。それらが“ロックの軽やかさ”と“詩の深さ”を両立させている。
本作ではグラム・ロックの祝祭感とともに、スターとしての自我や名声に対する揺らぎや憂いも随所に表れており、ボランの陰影ある芸術性がより深く立ち上がってくる。
過剰なギミックではなく、簡潔なフォーマットの中でどこまで幻想と快楽を詰め込めるか――その試みの最良の成果が、このアルバムである。
今なお“グラム・ロックの代名詞”として語られる本作は、ロックが最も自由で、最もスタイルに満ちていた時代の完璧な記録なのだ。
おすすめアルバム(5枚)
- Mott the Hoople – All the Young Dudes (1972)
グラム・ロックの祝祭性と哀愁の融合。ボランの精神と同時代のきらめきがある。 - David Bowie – Aladdin Sane (1973)
華やかさと狂気、グラムとアートのせめぎ合いが『The Slider』と響き合う。 - Roxy Music – Stranded (1973)
スタイルと耽美の頂点。ボランの美学をより都会的に発展させた感覚。 - New York Dolls – Too Much Too Soon (1974)
T. Rex的グルーヴとガレージ・ロックの融合。アメリカ流グラムの返答。 - Suede – Coming Up (1996)
90年代以降のグラム回帰の好例。ボランの妖しさとメロディ感覚を受け継ぐ後継者。
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