アルバムレビュー：20Ten by プリンス（Prince）

発売日: 2010年7月10日
ジャンル: ファンク、ポップ、ニュー・ウェイヴ

概要
全曲レビュー
総評
おすすめアルバム
制作の裏側

概要

『20Ten』は、2010年にヨーロッパ各国で新聞や雑誌の付録として配布された異色のリリース形式によるプリンスのアルバムである。
商業販売や配信を通さず、**「音楽をメディアではなく文化として届ける」**というプリンスらしい挑戦的な姿勢を示した作品だ。

前作『MPLSound』と同様に、80年代のミネアポリス・サウンドを現代的にアップデートした電子ファンク路線を踏襲しつつも、本作ではより人間味のあるポップ性と軽快なメロディ志向が強まっている。
アルバム全体に流れるムードは明るく、ポジティブで、キャリア中期の『Parade』や『Lovesexy』を思わせる軽やかさがある。

タイトルの“20Ten”は、プリンスがその時代をどう見ていたかを象徴している。
つまり、テクノロジーが音楽の在り方を変える中で、彼は“人間が奏でるグルーヴの復権”を主張していたのだ。
デジタル時代の始まりに、あえて生演奏的な温度を取り戻す──本作には、そんなメッセージが込められている。

全曲レビュー

1. Compassion

オープニングを飾る軽快なファンク・ナンバー。
跳ねるリズムと明るいコード進行の中で、「思いやりを持て」と歌うプリンスのメッセージが響く。
ポップながらも構成は緻密で、ホーン・シンセやギターの刻みが80年代的グルーヴを再現している。

2. Beginning Endlessly

ドラムマシンとサイバーなシンセ・ベースが印象的な電子ファンク。
曲名通り「終わりは始まりである」という循環的テーマを掲げ、プリンスの精神性と音楽哲学が凝縮された一曲である。
音の構成は『Sign o’ the Times』期の実験性を思わせるが、メロディはポップにまとめられている。

3. Future Soul Song

本作で最もソウルフルなトラックのひとつ。
ドリーミーなコードと滑らかなリズムが融合し、まるで浮遊するようなファルセットが心地よい。
「魂の未来」をタイトルに掲げるこの曲には、宗教的ともいえるスピリチュアルな安らぎが漂う。

4. Sticky Like Glue

ユーモラスでキャッチーなポップ・ファンク。
軽快なクラップ音とコーラスの掛け合いが特徴的で、プリンスの遊び心が全開。
恋愛を“接着剤のように離れられない”と表現する比喩も彼らしい。

5. Act of God

リズミカルなスネアの上で社会的なテーマを扱う。
「Act of God（神の業）」というタイトルには、皮肉と警告の両義性がある。
世界の不平等や戦争への批判を込めつつも、音楽的にはグルーヴィーでダンサブルという、プリンス特有の社会派ファンクである。

6. Lavaux

スイス・レマン湖畔の地名を冠した異色の曲。
リゾート的な開放感に満ちたサウンドで、ギターのカッティングがきらめく。
ツアーで訪れた美しい風景にインスピレーションを受けたとされ、旅の幸福感と自然への賛歌が感じられる。

7. Walk in Sand

甘くメランコリックなラブソング。
海辺を歩く恋人たちの映像が浮かぶようなミッドテンポのバラードで、リズムは穏やかに、ヴォーカルは極めて繊細に響く。
プリンスのロマンティシズムがもっとも際立つ楽曲のひとつである。

8. Sea of Everything

スピリチュアルな歌詞とともに、アンビエント的なサウンドが広がる。
ピアノと淡いパッド・シンセが織り成す浮遊感の中で、「愛はすべての海だ」と歌う。
この曲はプリンスが晩年に追求した“魂の音楽”の萌芽といえるだろう。

9. Everybody Loves Me

アルバムを軽快に締めくくるポップ・チューン。
タイトルの通り、自信と皮肉をないまぜにしたユーモアあふれる一曲。
終盤に登場するリフレインがまるでプリンスの自己神話の再宣言のように響く。

総評

『20Ten』は、プリンスの後期キャリアにおける明るく軽やかな転調点となったアルバムである。
音楽的には前作『MPLSound』の延長線上にありながらも、よりポップで聴きやすい方向へと進化している。
デジタル時代の音楽が無機的になっていく中で、プリンスはあえて**“人間の温度”を宿したファンク**を提示したのだ。

彼はこの作品を無料配布することで、音楽産業そのものへの疑問を投げかけた。
つまり、「音楽とは商品ではなく、共有されるべき芸術である」という思想である。
その行動はSpotifyやApple Musicが主流となる前夜に、すでに“配信時代”を先取りしていたともいえる。

サウンド面では、リズムマシンを中心としたシンプルな構成が多いが、それを退屈に感じさせないのは彼のリズム感とアレンジ能力の高さだ。
また、全体を通して“愛”“思いやり”“信仰”“喜び”といったテーマが貫かれており、プリンスの晩年に向けた内面的成熟を感じさせる。

派手なギター・ソロや挑発的なセクシュアリティは抑えられ、代わりに彼の“人間としての温かさ”が前面に出ている。
その意味で、『20Ten』はプリンスという存在を“象徴”ではなく“人間”として描き出したアルバムなのだ。

制作の裏側

『20Ten』はプリンスが完全に独立した体制のもとで制作したアルバムである。
レーベルの干渉を受けず、彼自身の意志で発表形式を決めた。
新聞付録というリリース形態は、イギリスのDaily MirrorやベルギーのHet Nieuwsbladなどで実施され、数百万部単位で配布された。
この試みは、従来の音楽ビジネスモデルを根底から覆す実験として注目を集めた。

録音はペイズリー・パーク・スタジオで行われ、使用機材には往年のLinn LM-1ドラムマシン、Oberheimシンセサイザー、そして彼の愛用するTelecaster風ギター“Cloud”が用いられた。
サウンドの骨格はシンプルだが、録音技術は極めて精密で、アナログ的温もりとデジタルの明瞭さを両立している。

プリンスは当時、「このアルバムはクラシック・ファンクの魂を現代に伝えるための手紙のようなもの」と語っていた。
『20Ten』は、彼が“未来の音楽”を語るために一度“原点の人間性”へと立ち返った記録なのだ。