
発売日: 1969年6月16日
ジャンル: アヴァンギャルド・ロック、エクスペリメンタル・ロック、フリージャズ、ブルース
音楽のフレームを破壊する“魚の仮面”——理性と狂気の境界線で生まれた20世紀の怪物作
『Trout Mask Replica』は、1969年にFrank ZappaプロデュースのもとリリースされたCaptain Beefheart and His Magic Bandの代表作にして、
ロック史上もっともラディカルな実験作のひとつとして語り継がれる“音楽的な異常値”である。
28曲、約80分に及ぶ本作は、ブルース、フリージャズ、ドゥーワップ、現代音楽、ポエトリー、無調理論……あらゆるジャンルがぶつかり合いながら調和を拒絶する、聴取と創造の極限領域を提示している。
レコーディング前に約8か月間、バンドメンバーを共同生活に閉じ込め、ドン・ヴァン・ヴリート(=キャプテン・ビーフハート)の“口頭指示”によって複雑怪奇な楽曲構成を実現。
その狂気じみたプロセスすらも、作品世界に“音楽外の神話性”を与えている。
全曲レビュー(抜粋・ハイライト)
1. Frownland
イントロからすでにリズムもコードもバラバラ。
ギターはギター同士で噛み合わず、ドラムは別拍子を叩き、キャプテンのヴォーカルは一切無視して歌う。
だが、それらが“ひとつの渦”として動いている感覚が不気味なほど心地よく迫ってくる。
2. The Dust Blows Forward ‘n The Dust Blows Back
アカペラのポエトリー・リーディング。
ドンのざらついた声と、風と埃のような言葉たちが空間に散っていく。
ノイズもメロディもないが、“響きそのもの”が美しい。
6. Moonlight on Vermont
本作の中では比較的聴きやすく、スライドギターのうねりとブルージーなリフが“かろうじてロック”として成立している。
だが、叫ぶようなヴォーカルと変拍子がやはり安定を拒む。アグレッシブな祈りのような楽曲。
9. Pachuco Cadaver
ダダイスティックな歌詞とスウィング風リズム。
1940年代のアメリカンダンスホールに迷い込んだフリージャズとブルースが共演しているような不条理な愉しさ。
キャプテンの言葉遊びのセンスが最も冴える一曲。
19. Dachau Blues
ホロコーストを想起させる重苦しいタイトルと、グルーヴの“異物感”が交差する問題作。
ヴォーカルの唸りとギターの歪みが、歴史の闇に対する音による異議申し立てとなる。
21. Veterans Day Poppy
アルバムの最後を飾る、ビーフハート流ブルース・レクイエム。
曲としての輪郭が最もはっきりしており、混沌をくぐり抜けた末に辿り着く、音楽的な“人間性”の回復とも言える。
総評
『Trout Mask Replica』は、聴く者の脳内に“音楽とは何か”という問いを爆弾のように投げつけるアルバムである。
整合性はない。調和もない。だが、そこには圧倒的な美学と構成意識、そして執念すら感じられる“構造なき構造”が存在する。
カットアップ、ポリリズム、非同期演奏、ナンセンス詩、語りと音響の分離——これらすべては70年代以降のアートロック、ポストパンク、ノーウェイヴ、ノイズ、果てはヒップホップにまで影響を及ぼした。
これは音楽であって音楽でない。
混沌であって、完璧でもある。
“魚の仮面”の下には、我々の常識がひっくり返る未来の顔が潜んでいた。
おすすめアルバム
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Frank Zappa『Lumpy Gravy』
コラージュ的構成とジャンル横断性を持つ、Zappa流カオス美学。 -
The Residents『Meet the Residents』
無調と不条理の極北。Beefheartの精神的後継者。 -
Pere Ubu『Dub Housing』
ポストパンクにおける“音の歪みと都市の狂気”の体現。 -
Tom Waits『Bone Machine』
打楽器的サウンドとアングラ語りがBeefheartイズムを継承。 -
Scott Walker『Tilt』
音の不安と詩の異様な親密さ。Beefheart的前衛性をクラシカルに表現した異端作。
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