発売日: 1992年9月22日
ジャンル: マッドチェスター、オルタナティブ・ダンス、ファンク、ソウルロック
栄光の熱帯幻影——崩壊寸前に響いた最後のサイケデリック・ファンク
『Yes Please!』は、Happy Mondaysが1992年にリリースした4作目のスタジオアルバムであり、ファクトリー・レコードの終焉と重なるようにしてバンドが迎えた崩壊前夜の作品である。
本作は、前作『Pills ’n’ Thrills and Bellyaches』の商業的成功を受けて制作されたが、セントルシア島でのレコーディング、薬物依存、資金難、メンバー間の対立といった混乱の渦の中で生まれた。
プロデュースはかつてTalking Headsの中心人物だったChris FrantzとTina Weymouth（Tom Tom Club）が担当。
その影響もあり、アルバムにはカリブ音楽やファンク、ソウル的な色彩が漂っている。だが、そのサウンドの明るさとは裏腹に、内面には倦怠と崩壊の予兆が満ちている。
全曲レビュー
1. Stinkin Thinkin
パーカッシブなビートとレイドバックしたギターが絡み合う、南国の海辺を思わせる開幕曲。
“ネガティブ思考（Stinkin Thinkin）”をテーマに、陽気なリズムの中に皮肉と苦さが滲む。
2. Monkey in the Family
不協和ぎみのコードと脱力感あふれるラップが続く、緊張感の高いナンバー。
“家族の中のサル”とは、制御不能な破壊的存在の暗喩か。混乱した家庭や社会を象徴するような混沌とした構成。
3. Sunshine and Love
タイトルとは裏腹に、どこか虚ろな印象を残すファンクチューン。
サンシャインとラブ、それらが意味をなさなくなった時代のメタファーのようでもある。
4. Dustman
スロウなファンクとスカ調のリズムが交錯。
“ゴミ回収人”というタイトルが象徴するように、腐敗や劣化といったテーマが底流にある。
5. Angel
一見穏やかなミディアムテンポのバラードだが、歌詞には不安や渇望がにじむ。
“天使”はもはや救済ではなく、手の届かぬ幻想として描かれている。
6. Theme from Netto
短く実験的なインストゥルメンタル。
ローファイな音像とリズムボックスの音が、どこか無機質で不穏。アルバムの空気を裏打ちする一曲。
7. Love Child
艶やかなグルーヴとともに進む、愛と性をめぐるパロディソング。
Motown的なアプローチと、Happy Mondays流のカオスが交錯する。
8. Total Ringo
ジョークのようなタイトルとは裏腹に、ポップかつ中毒性のあるベースラインが光る。
“Ringo”とは無関係のようで、音楽的偶像やメディア文化への軽い皮肉が込められている。
9. Cowboy Dave
カントリー風ギターをベースにした異色のトラック。
Happy Mondays流“西部劇”とでも言うべき内容で、異国情緒と不条理が共存している。
10. Kite
淡々としたビートと空間系エフェクトが心地よい。
“凧”は自由の象徴であると同時に、風まかせの無力感のメタファーでもある。
終盤に向かってゆっくりと浮遊するようなエンディングが印象的。
総評
『Yes Please!』は、終末的祝祭の余韻が染み込んだ、夢と現実の狭間に揺れる作品である。
Happy Mondaysがマッドチェスターの象徴から時代の残響へと変化する過程が、サウンドの端々から感じ取れる。
陽気なグルーヴ、洒脱な演奏、南国風のプロダクション──しかしそれらすべてが、バンドの内的崩壊を覆い隠す仮面に見えてくる。
むしろこのアルバムの本質は、錯乱の中の美学、崩壊寸前の芸術性にこそある。
商業的にも批評的にも当時は失敗とみなされたが、今改めて聴き返すと、本作には時代に対する疲弊と幻滅のリアリズムが強く刻まれている。
その意味で、『Yes Please!』はHappy Mondaysの最も“正直な”作品かもしれない。
おすすめアルバム
-
Tom Tom Club – Tom Tom Club (1981)
本作のプロデューサーによるファンキーかつアートポップな原点。 -
Talking Heads – Speaking in Tongues (1983)
ポストパンクとアフロファンクの融合。『Yes Please!』と精神性が通じる。 -
Tricky – Maxinquaye (1995)
倦怠感と幻覚性が共鳴する90年代UKの異端作。 -
Gorillaz – Demon Days (2005)
仮想性、崩壊感、サイケポップを融合させた現代的継承者。 -
Massive Attack – Protection (1994)
南国的浮遊感とメランコリアが同居するトリップホップの名作。
コメント