1. 歌詞の概要
「What’s Going On」は、1971年にリリースされたマーヴィン・ゲイ(Marvin Gaye)の代表曲であり、ソウルミュージック史のみならず、アメリカの音楽史全体においても屈指の社会派アンセムとして知られる。タイトルの「What’s Going On(どうなってるんだ?)」という問いかけは、個人の悩みを超えて、社会全体に向けられたものであり、戦争、貧困、環境破壊、人種差別、そして警察暴力といった1970年代アメリカが抱えていた深刻な問題に真正面から向き合っている。
楽曲の語り手は、海外の戦場から帰ってきた兵士という設定で、家族やコミュニティ、国家に対して静かに、しかし切実に「この世界はどうなってしまったのか」と問いかける。怒りや暴力ではなく、愛と対話の姿勢で社会の病理を浮き彫りにするこの歌は、プロテストソングとしては異例の温かさと希望を持ち合わせており、絶望の中に“癒し”を見出そうとする心の叫びとして多くの人々の心を打った。
2. 歌詞のバックグラウンド
「What’s Going On」は、マーヴィン・ゲイの弟フランキーがベトナム戦争から帰還した後に語った体験が大きなインスピレーションとなっており、当時のアメリカ社会における政治的混乱や社会的不安を背景に制作された。公民権運動後も人種差別が続き、ケネディやキング牧師の暗殺、ベトナム戦争への反発、学生運動、黒人コミュニティの貧困など、まさに“何が起きているのか”を問わずにはいられない時代だった。
当初、モータウンの創設者ベリー・ゴーディーは、この政治的で深刻な内容の曲のリリースに強く反対した。しかしマーヴィン・ゲイは自身の芸術的・精神的自由を守るために断固として立ち向かい、結果的にこの曲はモータウン史上最大の成功のひとつとなる。
また、この曲を起点として発表されたアルバム『What’s Going On』は、コンセプトアルバムという形式で制作され、ソウル・ミュージックを「個人の愛」から「社会へのメッセージ」へと転換させた記念碑的作品となった。
3. 歌詞の抜粋と和訳
以下に、楽曲の印象的な歌詞とその和訳を紹介する(出典:Genius Lyrics)。
“Mother, mother / There’s too many of you crying”
「母さん、母さん / 泣いてる人が多すぎるよ」
(悲しみに満ちた社会を、家族の視点から訴える冒頭)
“Brother, brother, brother / There’s far too many of you dying”
「兄弟たちよ / あまりにも多くが命を落としている」
“You know we’ve got to find a way / To bring some lovin’ here today”
「僕らは方法を見つけなくちゃいけない / 今日、この場所に愛を取り戻すために」
“Picket lines and picket signs / Don’t punish me with brutality”
「デモの列と抗議のプラカード / 暴力で僕を罰しないでくれ」
“Talk to me, so you can see / Oh, what’s going on”
「話しかけてよ、そうすれば分かる / 何が起きてるのかを」
こうした言葉には、暴力や怒りではなく、対話と愛を通して社会を変えようとするマーヴィンの精神が宿っている。
4. 歌詞の考察
「What’s Going On」は、プロテストソングでありながらも、怒りに満ちた扇動的なトーンではなく、慈愛と癒しの視点から“声を上げる”ことを選んだ異色の楽曲である。
語り手は、個人の立場から社会を眺め、母、兄弟、父、友人、すべての人々に静かに語りかける。これは“対話のプロテスト”であり、“抱きしめるような怒り”と言ってもいい。
この楽曲が特に革新的だったのは、「黒人の声=怒りや抗議」というステレオタイプを打ち破り、優しさと知性をもって社会を問う姿を提示したことにある。マーヴィン・ゲイはここで、個人のスピリチュアルな視点を通じて、あらゆる階層・民族・宗教を越えて問いを投げかけている。
また、“Don’t punish me with brutality(暴力で罰しないで)”というフレーズは、1971年当時の警察暴力に対する反発を表しており、2020年代のBlack Lives Matter運動でも再び引用されるなど、時代を超えて共鳴する普遍性を持っている。
音楽的には、ゴスペル風のコーラスやジャズ的なコード進行、柔らかく浮遊感のあるグルーヴが、歌詞の内容と完璧に呼応し、「怒りを愛で包む」ような音作りがなされている。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- “Mercy Mercy Me (The Ecology)” by Marvin Gaye
環境問題をテーマにした『What’s Going On』の続編的楽曲。 - “Inner City Blues (Make Me Wanna Holler)” by Marvin Gaye
都市の貧困と暴力をテーマにした、アルバムのラストを飾る名曲。 - “A Change Is Gonna Come” by Sam Cooke
公民権運動の象徴とも言えるソウル・バラード。マーヴィンの先駆者的存在。 - “What’s Happening Brother” by Marvin Gaye
ベトナム帰還兵の声をそのまま反映した、兄弟の視点の曲。 - “People Get Ready” by The Impressions
精神性と希望に満ちたプロテストソングの原点。
6. 魂の呼びかけ:ソウル・ミュージックが社会を語る瞬間
「What’s Going On」は、マーヴィン・ゲイ自身の人生、アメリカの歴史、そして音楽という表現形式が交差した奇跡のような作品である。この楽曲が登場したことで、それまで“恋愛の歌”に収まりがちだったソウル・ミュージックは、“社会を語るメディア”へと進化を遂げた。
また、この曲はマーヴィン・ゲイのアーティストとしての再生をも象徴している。個人的な苦悩(離婚、薬物、精神的鬱状態)と社会への怒りが重なったとき、彼はそれを“破壊”ではなく“癒し”として音楽に昇華した。それは、同時代のアーティストにも大きな影響を与え、スティーヴィー・ワンダー、カーティス・メイフィールド、ギル・スコット=ヘロンなどの社会派ソウルを加速させる土壌を築いた。
「What’s Going On」は、音楽を通じて人類に“目を開け”と優しく語りかける祈りであり、問いであり、愛のメッセージである。
その問いは、50年以上経った今もなお、私たちに向けられている。「何が起きているのか?」と――。
答えはまだ出ていない。だからこそ、この曲はこれからも、何度でも鳴らされるべきなのである。
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