発売日: 1984年3月26日
ジャンル: シンセポップ、ダークウェイヴ、エレクトロニック、インダストリアル・ポップ
概要
『This Last Night in Sodom』は、Soft Cellが1984年に発表した3作目のスタジオ・アルバムにして、彼らの“終末的美学”がもっとも過激かつ純粋なかたちで結晶した作品である。
前作『The Art of Falling Apart』で見せた自己破壊のロマンティシズムが、ここでは怒り、焦燥、社会への幻滅、そして失われた希望へと転化しており、Soft Cellのキャリアにおける最も政治的かつ攻撃的なアルバムとなっている。
タイトルの「ソドムでの最後の夜」は、旧約聖書の罪と破滅の都市ソドムを想起させつつ、1980年代中盤におけるイギリス社会の倫理的退廃と自己崩壊的快楽主義を強く批評している。
音楽的にはシンセポップのフォーマットを保ちつつも、インダストリアルやカバレー、ロックンロール、さらにはエスニックなリズムまでが混在し、まさに退廃のカタログのようなサウンドスケープを形作っている。
Marc Almondのヴォーカルはこれまで以上に芝居がかっており、一曲ごとに異なる登場人物を演じ分ける“ボードビル的”な多面性を発揮。
David Ballのサウンド・プロダクションもより自由度が高く、リズム、テクスチャ、テンポすら曲ごとに大きく異なる構成となっている。
全曲レビュー
1. Mr. Self Destruct
アルバムの幕開けは、まさに“自己破壊”を名乗るインダストリアル・シンセパンク。
Marc Almondは過剰に演じ、音は歪み、歌詞は破滅願望と快楽中毒を詠唱する。
Soft Cellのアングラ性が全面展開された決意の一撃。
2. Slave to This
「これは誰の人生? 誰の欲望?」と問いかける、奴隷と主人の構造を描いたセクシャルかつ社会的トラック。
リズムは重く、ビートのうねりが快楽と束縛の反復を強調する。
ヴォーカルは抑制された怒りに満ちている。
3. Little Rough Rhinestone
かつての恋人との回想。宝石に例えられた“彼”はもう光を失っている。
アーモンドの語り口はやや甘く、しかし皮肉と疲労がこもる。
退屈と諦めの間に浮かぶ、美しさと痛みのバランス。
4. Meet Murder My Angel
殺人と欲望、赦しと反復。きわめて挑発的なリリックを、ほのかにラテン調のリズムとともに提示。
不穏な雰囲気の中に、Marc Almondの“美”への異常な執着が光る。
5. The Best Way to Kill
冷笑的でサイケデリックなナンバー。
「殺すための最善の方法は、君を愛することだ」という倒錯の宣言。
ビートは跳ね、サウンドはカラフルでありながら、核心はブラックホールのように暗い。
6. L’Esqualita
スペイン語を織り交ぜた退廃のダンス・チューン。
タイトルは実在のNYのドラァグ・バー「La Escuelita」に由来し、性的越境、ドラァグ文化、逃避の空間がテーマ。
アーモンドはここで“演じること”を愛し、そして壊れる。
7. Down in the Subway
Jack Hammerのロックンロール曲の大胆なカバー。
地下鉄=アンダーグラウンド=堕ちていく場所という象徴性が、Soft Cellによって新たな意味を与えられる。
跳ねるビートと自嘲気味なボーカルのギャップが痛快。
8. Surrender to a Stranger
“他人に身を委ねる”という行為を、性と存在論の両義性で描いた抒情的ナンバー。
シンセのレイヤーは緻密で、マークのヴォーカルはここで最も人間味を帯びる。
自己崩壊の最中でわずかに見える“救い”のような瞬間。
9. Soul Inside
アルバム中唯一チャートヒットしたトラック。
快楽の渦中で“魂”を求めるという矛盾を、激しいエレクトロ・ビートとともに歌う。
サビは強烈にエモーショナルで、Soft Cell史上もっとも“叫び”に近いボーカル。
10. Where Was Your Heart (When You Needed It Most)
アルバムのラストを飾るのは、最も哀切に満ちたピアノ主導のバラード。
失われた愛を責めるのではなく、問いかけとして宙に浮かべる。
Marc Almondの静かな、だが心を揺さぶるパフォーマンスが圧巻。
総評
『This Last Night in Sodom』は、Soft Cellというユニットがポップのフォーマットに乗りながら、社会、セクシュアリティ、死、快楽、愛、憎悪といった“人間の暗い感情のコレクション”を真正面から描いた最終章である。
彼らはここで完全に“マス向け”を放棄し、退廃の美学とキャンプ的暴力性を全面に押し出すことで、音楽そのものを告白と演劇の場へと昇華させた。
この作品には、安易な癒しやセンチメンタリズムはない。
あるのは、壊れていくこと、壊れてしまった後の虚無、そしてそのすべてを“音楽”として冷たく差し出す覚悟である。
タイトルの“最後の夜”とは、彼らのキャリアの終焉だけでなく、1980年代という時代のひとつの終わりをも象徴している。
だからこそ、このアルバムは今なお“夜に聴くべき音楽”として、静かに、しかし強烈に生き続けている。
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