発売日: 2021年9月3日
ジャンル: インディーポップ、オルタナティブポップ、グリッターポップ
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概要
『The Yearbook』は、南アフリカ出身でロンドンを拠点に活動するシンガーソングライター、Baby Queen(本名:Bella Latham)が2021年にリリースしたミックステープ形式の作品であり、Z世代的な自己喪失、メディア疲労、恋愛のグレーゾーンをカラフルで刺々しいポップに昇華した、デジタル時代の“青春録”である。
タイトルの『The Yearbook』=卒業アルバムは、過ぎ去った時間の記録であると同時に、取り残された思春期の感情そのものを象徴している。
楽曲群は日記のようにパーソナルでありながら、TikTokやSNSにあふれる自己演出、恋愛の不確かさ、精神的な混乱を冷静かつ鮮やかに言語化しており、Baby Queenのソングライティング能力が全編で光っている。
また、この作品は「デビューアルバム未満/EP以上」のミックステープとしてリリースされ、制作の自由度と感情のスピード感をそのままパッケージしている点でも特異である。
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全曲レビュー
1. Baby Kingdom
イントロ的なトラックで、子ども時代の記憶と現実逃避的なイメージが交錯する。
夢と幻滅のはざまで構成されるこの「王国」は、Baby Queenというプロジェクト全体の世界観導入として機能している。
2. Narcissist
自己愛と自己嫌悪の表裏を描いたエレクトロ・ポップ。
「私はナルシスト——でも愛されたいだけ」というリリックが、現代の“愛され方”へのアイロニカルな批評にもなっている。
3. You Shaped Hole
失恋の感情を“あなた型の穴”として描く、秀逸な比喩に満ちたバラード。
構成もドラマティックで、感情が波のように押し寄せる。Baby Queenの表現力が最もストレートに出た楽曲。
4. These Drugs
タイトル通り、薬物と心の関係をテーマにした一曲。
躁鬱の波、依存、感情の麻痺——そうした精神の不安定さが、逆説的に明るいポップサウンドで包まれている。
5. Dover Beach
最もロマンティックで、リリカルな側面が前面に出た楽曲。
マシュー・アーノルドの詩『ドーヴァー・ビーチ』を連想させるタイトルは、孤独と欲望の狭間を表現する知的な選択。
6. American Dream
グリッターポップ風の軽快な楽曲で、夢と現実の乖離、カルチャー消費社会への違和感を皮肉交じりに歌う。
「アメリカンドリームに恋してた。でも、それは私の夢じゃなかった」というフレーズが象徴的。
7. I’m a Mess
最も感情がむき出しになるエモーショナルなトラック。
混乱した自己像をそのまま吐き出すような語り口で、Baby Queenの“ポスト・カミングオブエイジ”感覚がよく表れている。
8. Fake Believe
ファンタジーと現実逃避を批判的に描いた楽曲。
「信じたい。でも信じてるふりをしてるだけ」という構造が、自己欺瞞とメディアの幻想を冷笑的に捉える。
9. Raw Thoughts
軽快なビートと憂鬱なリリックの対比が印象的。
脳内にあふれる“そのままの思考”を歌詞としてそのまま並べるような構成が特徴で、Z世代の情報過多的リアリズムを体現。
10. Passion Bites
愛という感情が、むしろ人を傷つける側面を持つことをテーマにした鋭い視点の曲。
ボーカルのテンションが抑制的で、より深く心に刺さる。
11. Oblivion
心の空白、感情の喪失をテーマにした終盤の重要曲。
アトモスフェリックなサウンドスケープが、「無」の感覚をそのまま音にしたような感触を与える。
12. I Can’t Get My Shit Together
タイトル通り、自己管理できない自分への苛立ちと諦念を歌う、最終トラックにして自己受容の予兆を含んだ作品。
等身大の痛みとユーモアが共存する、Baby Queenらしい締めくくり。
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総評
『The Yearbook』は、Baby Queenというアーティストが自らのアイデンティティと不安定さを“そのままの状態で肯定する”という意味で、Z世代の精神的リアリズムの象徴的作品である。
SNSによって増幅された自己意識、他者の目を通してしか見られない自分、自傷的な恋と虚構としての夢——そうした複雑で言語化の難しいテーマを、Baby Queenは驚くほど明快でユーモラスに描く。
音楽性としては、Charli XCXのような実験的ポップの影響も感じられる一方、Avril LavigneやLily Allenのような“反骨的ガールポップ”の系譜にも連なっている。
つまりこの作品は、ティーンネイジ・スピリットの現代的継承なのである。
「私は壊れてる。でも、それでいいじゃん?」
そう囁くようなこの作品は、弱さを“コンテンツ化”せず、ちゃんと“人間のまま”でいさせてくれる音楽なのだ。
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おすすめアルバム(5枚)
- Olivia Rodrigo『SOUR』
感情の暴走とセルフイメージの揺らぎをリアルに描いたZ世代ポップの代表作。 - Rina Sawayama『SAWAYAMA』
ジャンルを横断しながら、アイデンティティと感情を鋭く掘り下げる姿勢が共通。 - Lorde『Melodrama』
自己解体とパーティー文化の裏側を描いた、ポスト・ティーンポップの金字塔。 - Charli XCX『how i’m feeling now』
自己と感情のスピード感を、DIY的な音像で表現した同時代的傑作。 - Billie Eilish『WHEN WE ALL FALL ASLEEP, WHERE DO WE GO?』
内向きな感情と外の視線の板挟みを、サウンドとリリックで表現しきった作品。
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7. 歌詞の深読みと文化的背景
『The Yearbook』の歌詞には、「演じること」や「壊れること」への自覚が常にある。
Baby Queenは、単に傷ついた自分を吐露するのではなく、「その傷をどこまで自己演出として扱えるか?」という視点で歌っているように見える。
それは、TikTok時代の自己表現における“曖昧な演技性”——本当か嘘かを問わずに語るという行為の“現代的な危うさ”でもある。
また、性や依存、精神不安など、これまで“語るべきでない”とされてきたテーマを、開き直りとユーモアで描くその姿勢は、同時代のクィアポップとも共鳴している。
『The Yearbook』は、誰にも見せたくなかった感情を、あえて“卒業アルバム”にしてしまうような大胆さと、切なさを持った作品なのだ。
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