
発売日: 1990年6月
ジャンル: アート・ポップ、アンビエント・ポップ、ネオ・フォーク
概要
『Song』は、It’s Immaterialが1990年に発表した2ndアルバムであり、前作『Life’s Hard and Then You Die』から4年を経て届けられた、まったく別の深度に達した静謐な傑作である。
デビュー作の軽やかなニューウェイブ性を引き継ぎつつも、本作ではよりミニマルに、より内省的に、「音と言葉の間の沈黙」を紡ぐような音楽へと進化している。
シンセやドラムマシンの装飾は控えめになり、アコースティックギター、ウッドウィンド、ストリングス、フィールドレコーディングなどの有機的な音像が中心。
ナレーションと歌の中間のようなJohn Campbellの語り口は健在であり、都市の片隅、自然の中の微細な情景、あるいは夢の記憶を映画のワンシーンのように浮かび上がらせる。
ブライアン・イーノやTalk Talk後期の作品に通じる精神性を持ち、発表当時はその静けさゆえに過小評価されたが、今日では90年代初頭のアート・ポップ最高峰のひとつとして語られている。
全曲レビュー
1. Heaven Knows
柔らかなギターと遠くで鳴るストリングスが導入する、まるで朝靄のようなオープニング。
「天は知っている」というタイトルは、祈りとも諦めとも取れる多義的な響きを持つ。
穏やかでありながら、精神的な重みを感じさせる。
2. Only the Lonely
ロイ・オービソンの名曲とは別物だが、孤独の本質を穏やかに描く点で共通項がある。
ミニマルなベースラインと淡いパーカッション、語りかけるようなヴォーカルが静かに心を包み込む。
音の“余白”が持つ美しさを味わう一曲である。
3. He Believes in Love
宗教性と恋愛感情が交錯するような構成を持ち、抽象的なイメージが繊細な音と絡み合う。
「彼は愛を信じている」というフレーズが反復されることで、聴く者の内面にも響いてくる。
サウンドは極めてシンプルながら、深い余韻を残す。
4. Heaven Knows (Reprise)
一曲目の変奏であり、より短く瞑想的な編曲が施されている。
まるで同じ夢をもう一度別の視点から見ているような感覚に。
この反復の構造が、アルバム全体に詩的な輪郭を与えている。
5. New Moon
新月の夜のように、暗闇の中に微かな光が差し込む印象の楽曲。
アコースティックギターが主導し、フィールドレコーディング的な鳥の声や風の音が重なり、聴覚的にも“自然と人間の交差”が描かれている。
言葉少なでありながら、映像的な豊かさを感じさせる。
6. An Ordinary Life
本作の核とも言える名曲。
“普通の人生”を語るこの曲は、物語のように展開する詩とともに、平凡さの中に潜む詩情と崇高さを掘り下げていく。
John Campbellの語りは、まるで通勤電車の中で隣に座った男の独白のようで、だからこそ心に刺さる。
7. The Better Idea
前作にも登場した同名曲の新バージョン。
アレンジは大きく変化し、より静かに、より洗練された構造へと変貌している。
選択の迷い、人間関係の温度差、そして“最良の選択肢”という幻想がテーマとなっている。
8. He Believes in Love (Reprise)
前半に登場したトラックのリフレインであり、アルバム後半における精神的な再確認のような役割を果たす。
本作はこうした反復と変奏の構造が全体に張り巡らされており、まるで一編の小説や詩集を読むような体験となっている。
9. Endless Holiday
ゆったりとした時間が流れるインストゥルメンタル調のナンバー。
「終わらない休暇」という夢想的なタイトルに反して、どこか切なさが漂う。
幸福とは何か、という問いが音によって投げかけられているかのようだ。
10. Song
アルバムのタイトルトラックであり、クライマックス。
“これはただの歌ではない、物語であり、夢であり、記憶である”という本作のコンセプトが凝縮された一曲。
ヴォーカルと語り、メロディと無音の境界が溶け合い、終わりではなく“輪廻”を思わせる余韻を残して静かに幕を閉じる。
総評
『Song』は、アルバムというフォーマットを用いて、音楽と文学、記憶と現実の狭間を描き出した稀有な作品である。
John Campbellの声は楽器のように空間に溶け込み、Leslie Robertsのアレンジはサウンドを極限まで削ぎ落とすことで、言葉の呼吸を最大限に引き出している。
このアルバムにおいて「歌(song)」とは、ただの娯楽ではなく、人と人の間に浮かぶ気配、時間の記録、そして生きることそのものを意味している。
商業的にはまったく振るわなかったが、その内的深さ、構成の精巧さ、音の品格は、Talk Talk『Spirit of Eden』やDavid Sylvian『Secrets of the Beehive』に匹敵する芸術的到達点である。
喧騒に疲れたとき、現代の音楽に物足りなさを感じるとき、この『Song』は静かにあなたの世界を染め変えてくれるだろう。
おすすめアルバム(5枚)
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Talk Talk – Spirit of Eden (1988)
静けさの中に神秘を宿す、アート・ポップの極北。 -
David Sylvian – Secrets of the Beehive (1987)
語りと旋律の融合、音の間を愛する者には欠かせない一枚。 -
Mark Hollis – Mark Hollis (1998)
極限までそぎ落とされた音が、深い精神性と共鳴する。 -
The Blue Nile – A Walk Across the Rooftops (1984)
都市と孤独を音で描くもう一つの詩的傑作。 -
Virginia Astley – Hope in a Darkened Heart (1986)
ドリーミーかつ静謐な音世界。時間が止まるような美しさを持つ。
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