発売日: 1999年11月2日
ジャンル: オルタナティヴ・ロック、フォーク・ロック、ローファイ・ポップ
概要
『Shapeshifter』は、Marcy Playgroundが1999年にリリースした2ndアルバムであり、1997年のセルフタイトル作で成功を収めた彼らが、自らの音楽的アイデンティティを再構築しようとした意欲作である。
デビュー作の「Sex and Candy」が特大ヒットとなり、一躍オルタナティヴ・ロック・シーンに躍り出た彼らだが、続く『Shapeshifter』では商業的な成功に寄りかかるのではなく、むしろ逆方向に進み、より内省的で、より多様性のある作風を展開している。
アルバムタイトルの「Shapeshifter（姿を変える者）」は、本作全体のキーワードと言える。ジョン・ウィックスは、前作で見せたローファイな美学やスモーキーなメロウネスを引き継ぎつつ、そこにフォーク、ブルース、ガレージロック、さらにはプログレッシブな構造までを取り込み、曲ごとに音楽的表情を“変化”させているのだ。
また、1999年という時代背景は、オルタナティヴ・ロックの黄金期が終焉を迎え、より洗練されたポップやヒップホップが台頭し始めた過渡期にあたる。そんな時代にあって、Marcy Playgroundは自らの“陰”と“変化”を恐れずに提示した。結果、評価は賛否が分かれたが、作品としての深みと一貫性はむしろ今になって評価されつつある。
全曲レビュー
1. It’s Saturday
オープニングから重めのギターリフが鳴り響く、グルーヴィーでダークなナンバー。
日常の空虚さを「土曜日」という日常の象徴に置き換える視点が皮肉的で秀逸。
一見キャッチーだが、不穏なベースラインが精神の深部を掘り起こす。
2. Alley of the Angels
美しいアコースティック・ギターが導く、哀しみと救済の物語。
“天使たちの路地”という詩的なタイトルに込められたのは、希望と崩壊のあわい。
ジョン・ウィックスの抑制されたボーカルが、逆に強い余韻を残す。
3. America
政治的・文化的アイロニーをまとった力強いロック・トラック。
「これは俺のアメリカじゃない」というテーマのもと、ノイズとメロディがせめぎ合う。
当時のアメリカ社会への微かな反抗心も滲む。
4. Wave Motion Gun
ミニマルなコードで進行しながら、内面的な崩壊を描写する抽象的な楽曲。
波動兵器というSF的なメタファーを通して、感情の暴走を表現しているようにも思える。
5. Deadly Handsome Man
ブルージーなギターリフとゆるやかなリズムが印象的なナンバー。
自己陶酔とナルシシズムを皮肉るような視点が面白く、メロディも耳に残る。
6. Rebels
アメリカン・フォークとパンクの間を揺れ動く異色曲。
反抗と孤独、そして社会からの疎外感を描く詞が、John Mellencamp的な中産階級の心象風景と重なる。
7. Rock and Roll Heroes
ロック神話を解体するような視点で語られるシニカルな楽曲。
タイトルに反して音数は少なく、むしろ静けさと空白が印象を強めている。
8. Good Times
淡いメロディとシンプルなリズムが優しいムードを醸し出す。
だがリリックはどこか悲観的で、「いい時代は過ぎた」という後ろ向きな懐古が漂っている。
9. Shapeshifter
アルバムの核心となるタイトル曲。
変化し続ける自我と、他者との関係性の中で溶けていくアイデンティティを描く哲学的な一曲。
音楽的にも展開が複雑で、サイケデリック〜フォーク〜オルタナを行き来する。
10. All the Lights Went Out
退廃と沈黙をテーマにした、静謐で印象的な終幕。
「全ての光が消えた夜」を描くこの楽曲は、アルバム全体のメランコリーなトーンを結晶化している。
総評
『Shapeshifter』は、前作のヒットで得た光の中で、自らの“影”を見つめ直した作品である。
ヒットの再現を狙うのではなく、むしろそれを回避するかのように内省へと沈み込んでいくこのアルバムは、極めて誠実かつ野心的なロック作品である。楽曲ごとの音の振れ幅、テーマの多様性、そして“姿を変える者”としての自己像の模索は、商業的成功よりも表現の真摯さを優先した証拠であろう。
ジョン・ウィックスの歌詞は、常に曖昧で、解釈の余白を残す。だがその曖昧さこそが、人間の複雑さや多面性を言い当てている。
サウンド面では、前作よりも格段に実験的でありながら、アルバム全体としての統一感は失われていない。
時代に対する明確なカウンターではないが、主流からは明らかに逸脱している。
『Shapeshifter』は、90年代末期に産まれた孤高の“変容譚”であり、Marcy Playgroundというバンドが、ただの一発屋ではないことを静かに証明する一枚である。
おすすめアルバム（5枚）
- Sparklehorse / Good Morning Spider
同様にメランコリックで実験的な音世界を持つ作品。内省的なローファイ・ロックの代表格。 - Eels / Electro-Shock Blues
死と再生、喪失をテーマにした傑作。『Shapeshifter』と同じく暗いが美しい。 - Beck / Sea Change
変化と内面の旅を描いたアルバム。Marcy Playgroundの進化後の姿と重なる。 - The Flaming Lips / The Soft Bulletin
サイケと実験と感情が渾然一体となったポップ・アルバム。音楽的アプローチの広がりが共通。 -
Radiohead / Amnesiac
抽象と断片性、アイデンティティの不確かさを描いた近代的なサウンドの象徴。
制作の裏側（Behind the Scenes）
本作『Shapeshifter』は、ツアーの合間を縫って少人数で録音され、制作にもミニマルなアプローチが徹底されたという。
ジョン・ウィックスは「前作の成功はあくまで偶然の産物。今回は自分の本当にやりたいことに向き合った」と語っており、その言葉通り、アルバム全体には商業主義的な装飾がほとんど存在しない。
その代わりに、個人的な物語、社会への戸惑い、そして“自分は誰なのか”という普遍的な問いが、10曲を通して繰り返し現れてくる。
『Shapeshifter』は、ただの音楽作品ではなく、一つの自己省察の旅路——そんな感覚すら与えてくれる。
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