発売日: 2007年10月
ジャンル: サンバ、パゴージ、MPB(ムジカ・ポプラール・ブラジレイラ)
概要
『Samba Meu』は、マリア・ヒタが2007年にリリースした3作目のスタジオ・アルバムであり、**彼女のルーツと魂をもっとも力強く、もっとも喜びに満ちた形で響かせた“サンバ回帰作”**である。
それまでの作品ではジャズやボサノヴァ、フォーク寄りの柔らかなMPBを展開してきたマリアが、本作では大胆にサンバのビートに身を委ね、より身体的で、祝祭的で、ストリートに近い音楽性へと踏み込んでいる。
タイトルの「Samba Meu(私のサンバ)」は、単なるジャンル名ではなく、“自分の血に流れている音楽”としての宣言であり、母エリス・レジーナがかつてサンバを深く愛したこととも重なり合う、感情と歴史の交差点に位置する作品でもある。
制作には、アラン・ヴィレラやマウリシオ・パヒャら現代のサンバ・シーンを代表するミュージシャンが多数参加し、アレンジにはアコースティックの打楽器群が生む**“生きたリズム”**が全編を貫く。
マリアのヴォーカルも、本作ではあえて洗練を少し脱ぎ捨て、飾らない、しゃべるような、街角で響くような声へと変化している。
全曲レビュー
1. Maria do Socorro(作詞作曲:Edu Krieger)
パーカッシヴなリズムが印象的な幕開け。
“ソコーホという名の女”を中心にした都市の日常劇を、マリアが軽やかに演じるように歌う。
2. Num Corpo Só(作詞作曲:Edu Krieger)
情熱的で肉体的な恋愛をテーマにしたパゴージ色の強い一曲。
“ひとつの身体に溶け合いたい”というブラジル的情熱がストレートに伝わる。
3. Cria(作詞作曲:Arlindo Cruz, Rogê)
“育ち(cria)”をテーマにした、自己のルーツを辿る楽曲。
サンバとMPBの狭間で、マリアの声が“育った場所の記憶”を呼び起こす。
4. O Homem Falou(作詞作曲:Gonzaguinha)
ゴンザギーニャの社会派サンバをアップテンポに再解釈。
原曲の訴求力はそのままに、マリアが軽やかに躍動させる。
5. Caminho das Águas(ライヴ・リプライズ)
『Segundo』の代表曲をサンバのグルーヴで再構築。
テンポを少し上げ、打楽器が曲を包み込むように広がる。
6. Não Deixe o Samba Morrer(ライヴ・ヴァージョン)
ブラジル音楽史の金字塔とも言える一曲。
マリアの声は“継承者”ではなく、“現在の声”として、サンバを未来へとつなげる。
7. Samba Meu(作詞作曲:Edu Krieger)
アルバムの中心となるタイトル曲。
“これは私のサンバ”という繰り返しに、マリアの誇りと主張がこもる。
軽快でありながら、深い覚悟のにじむ名演。
8. Novo Amor(作詞作曲:Arlindo Cruz, Xande de Pilares)
新しい恋のときめきをサンバで描いた甘美な一曲。
マリアの歌声にある微笑みのようなニュアンスが印象的。
9. Maltratar Não é Direito
“傷つけることは権利ではない”というメッセージ性の強いサンバ。
軽快なリズムの裏に、社会へのまなざしが宿っている。
10. Cara Valente(ライヴ)
デビュー作のヒット曲をサンバ仕様でライヴ演奏。
もともと跳ねるリズムが、本作のリズムセクションと出会ってより躍動する。
11. Fogo no Paiol
“火薬庫に火がついた”という言い回しを使った情熱のサンバ。
テンションの高いリズムとマリアのパワフルなボーカルが火花を散らす。
12. Pra Mim(作詞作曲:Fred Camacho)
“自分のためのサンバ”というセルフ・ラブ的な視点の一曲。
エンディングにふさわしく、聴後に清涼感を残すメロディが心地よい。
総評
『Samba Meu』は、マリア・ヒタが**“声の芸術家”から“サンバの担い手”へと変貌した重要作**であり、ジャンルとしてのサンバと、彼女自身の“表現する身体”とが完全に一致した瞬間を捉えている。
本作では、前2作のようなジャズ的リリシズムや内省的な抑制は一歩引き、代わりに**言葉とリズムが身体からほとばしるような“肉声のサンバ”**が主役となっている。
それでも彼女は、ただ“陽気なサンバ歌手”に留まらない。
「Maltratar Não é Direito」や「O Homem Falou」に見られるように、社会へのまなざしや、女性の視点からの自己表現をサンバに託しており、歌詞・演奏・声すべてが“生きたブラジル音楽”として機能している。
『Samba Meu』は、祝祭であり、語りであり、祈りでもある。
マリア・ヒタにとっての“サンバ”は、リズムでもスタイルでもなく、“人生の言語”そのものなのだ。
おすすめアルバム(5枚)
- Clara Nunes『Claridade』
サンバを女性の身体で歌い上げた先駆者の代表作。マリアの表現の系譜にある。 - Beth Carvalho『Coração Feliz』
伝統と革新をつなぐサンビスタの名盤。マリアのサンバ回帰と通じ合う。 - Zeca Pagodinho『Deixa a Vida Me Levar』
パゴージ系サンバの雄による名作。『Samba Meu』のリズム感と共通性が高い。 - Roberta Sá『Sambas e Bossas』
若手女性歌手による現代サンバ解釈。マリアと並び称される存在。 - Mart’nália『Menino do Rio』
サンバとファンク、レゲエを融合させた現代的MPB。自由なリズム感が共鳴する。
歌詞の深読みと文化的背景
『Samba Meu』における歌詞の多くは、恋愛や日常の歓びを歌いながら、サンバという表現そのものの意義を問い直すものとなっている。
「Não Deixe o Samba Morrer」に代表される“サンバ存続”の願い、「Cria」や「Maltratar Não é Direito」に見られる自己の出自と尊厳の主張は、まさにブラジルの都市下層文化に根差したサンバ本来の力を現代に蘇らせている。
さらに、タイトル曲「Samba Meu」では、“このリズムは私のものだ”と宣言することで、マリアはジャンルの中に自らの人生を刻印するアーティストへと変貌していく。
それは単なるジャンルの継承ではなく、“現在の生きたサンバ”への更新であり、マリア・ヒタという存在そのものがサンバになった瞬間でもある。
『Samba Meu』は、踊る音楽であると同時に、“語る音楽”であり、“生きる音楽”なのだ。
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