発売日: 2021年4月2日
ジャンル: ポストパンク、アートロック、スロークラウト、インディーロック
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概要
『New Long Leg』は、ロンドン出身の4人組バンド Dry Cleaning(ドライ・クリーニング)のデビュー・フルアルバムであり、スポークンワードとポストパンクが奇妙に交差する、2020年代初頭の音楽的異物として鮮烈な印象を残した。
特徴的なのは、ボーカルのフローレンス・ショウによる感情を排したナレーションのような歌唱と、反復とノイズのギターサウンドが織りなす緊張感ある演奏との対比である。
日常の断片、広告コピー、SNS、政治、ジェンダーなど、無数の言葉が“意味を持たずに意味を帯びてしまう”感覚は、現代という過剰な情報の時代を音で反映するかのようであり、リスナーはその中で静かに“侵食されていく”感覚を味わうことになる。
プロデュースはPJ Harveyとの仕事でも知られるJohn Parish。ポストパンクの形式を維持しながらも、抑制されたサウンド設計と異物感の美学が光る。
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全曲レビュー
1. Scratchcard Lanyard
アルバムの幕開けにふさわしい、シュールで不穏なサウンド。ショウの語りは、「私は誰でもないし、何にもなれない」といった感情の空洞を冷静に浮かび上がらせる。
2. Unsmart Lady
フェミニズム的モチーフと日常の細部が混ざり合う。“愚かな女ではない”という逆説的自己肯定が、ミニマルなギターリフの上で反復される。
3. Strong Feelings
ラブソングのようであり、政治のようでもある。ブレグジット後のイギリスを背景に、個人的感情と国民的情緒が交差する。不穏なリズムが心理的に作用する傑作。
4. Leafy
「この世界を信じろ」と呟くように言いながら、信じ切れない無力さがにじむ。ギターは浮遊し、リズムはじっとりと湿っている。
5. Her Hippo
抽象と具体が交錯する、シュールレアリスティックな詞世界。無意味のようでいて意味深、全体がコラージュのように構築されている。
6. New Long Leg
タイトル曲にして、言葉の洪水がピークに達する1曲。意味がどこにも定着しないまま、言語の“物質性”だけが残る。ギターのねじれた美学が聴きどころ。
7. John Wick
映画的タイトルに反して、内容は極めて私的で断片的。ショウの語りは相変わらずフラットだが、聴き手はそこに無数の“間”を読むことになる。
8. More Big Birds
不条理なユーモアと軽やかな演奏が同居。疲労感と陽気さが同時に流れ込む、ドライクリーニング特有のダブルバインド感覚が癖になる。
9. Every Day Carry
“持ち物”のリストのように、人生の諦念が列挙されていく。音の引き算が光る、沈黙と反復の力学。
10. A.L.C.
アルバムを締めくくる、静かなる決意のようなナンバー。声のトーンは変わらないが、どこか“見えない叫び”が聴こえるような余韻が残る。
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総評
『New Long Leg』は、Dry Cleaningが提示した“意味の消費に抗う音楽”であり、感情の剥奪によって逆に深い感情を引き起こすという、逆説的構造を持つ傑作である。
リリックの意味を理解しようとするほどに、意味は逃げていく。しかしその逃げる過程こそが、現代における“コミュニケーションの手触り”を浮かび上がらせる。
音楽的には、The FallやSonic Youth、Slintの流れを汲みつつ、まったく異なる“冷たさ”と“空白”を持ち込んでおり、それが新鮮な中毒性を生む。
Dry Cleaningはこのアルバムで、“語らないこと”が持つ暴力性と詩性の両方を解き放った。
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おすすめアルバム(5枚)
- Sleaford Mods『Spare Ribs』
語りとビートで怒りと退屈を暴く、ポストパンクの現代形。 - The Fall『Hex Enduction Hour』
言葉のカオスと音の暴力が交差する、スポークンポストパンクの元祖。 - Black Country, New Road『For the First Time』
脱構築と語り、ノイズと美がぶつかり合う現代音楽の到達点。 - PJ Harvey『Dry』
John Parishプロデュースつながり。生々しい声と無骨な音が共鳴。 - Protomartyr『Relatives in Descent』
現代のニヒリズムと詩性をブレンドしたアメリカ版Dry Cleaning。
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歌詞の深読みと文化的背景
Dry Cleaningの歌詞は、“意味を持たないことの美学”を追求しており、現代のインターネット社会や消費文化における“言葉の軽さ”や“過剰さ”を逆手に取るようなスタイルである。
特にフローレンス・ショウのパフォーマンスは、“感情を見せないこと”が持つ一種のフェミニズムとしても解釈され、“感情表現を強いられない女性像”という文脈でも注目を集めた。
『New Long Leg』は、意味を手放すことで、別の“身体的な聴取体験”を提示している。
それは、読むことではなく“浴びること”としての言葉の体験なのだ。
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