発売日: 2023年5月26日
ジャンル: インディーポップ、オルタナティヴR&B、ドリームポップ、アートポップ
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概要
『My Soft Machine』は、イギリスの詩人系シンガーソングライター、Arlo Parks(アーロ・パークス)が2023年に発表したセカンド・アルバムであり、デビュー作『Collapsed in Sunbeams』で示した優しいまなざしをより抽象的かつ音響的に昇華した、“内面と身体をめぐる繊細な実験作”である。
アルバムタイトルの「My Soft Machine」は、Arloが自らの身体と心を指すメタファー。日常生活、パートナーシップ、友人関係、そしてトラウマと回復といったテーマが、“わたしという不完全な装置”を通じて描かれていく。
前作よりも音数は増え、James BlakeやPhoebe Bridgers以降のドリームポップ/インディーR&B的なアプローチを積極的に取り入れながらも、彼女の詩的な視点は一貫して変わらない。音はよりサイケデリックに、構成はより自由に、言葉はさらに身体に近づいた。
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全曲レビュー
1. Bruiseless
冒頭はスポークンワード的な詩で始まり、「自分が痛みに対して鈍感でありたい」と語る短いプロローグ。“傷のなさ”がかえって不穏という逆説が、アルバム全体のテーマを暗示する。
2. Impurities
親密さへの渇望と不完全さの肯定をテーマにした楽曲。The xxを思わせるミニマルな音像と、呼吸のようなボーカルが耳に心地よい。人間関係の“雑味”を受け入れる姿勢が、パークスらしい。
3. Devotion
愛と執着のあいだを揺れる感情を、ギターノイズと幻想的なアレンジで描く。後半に向けてサウンドが徐々に分裂していく構成が秀逸で、アルバム随一の緊張感を孕んでいる。
4. Blades
トリッキーなビートと跳ねるようなベースラインが特徴的なアップテンポ・ナンバー。パーティーでの“居心地の悪さ”を描きつつも、グルーヴの中に解放感がある。Arloの声がビートの間を縫うように踊る。
5. Purple Phase
曖昧な関係性を“紫”という色に重ねた、ドリーミーな楽曲。浮遊感あるシンセと語りかけるような歌声が、時間の流れすら歪ませていくような感覚を生む。
6. Weightless
別れた相手の影に縛られ続ける感覚を“重力の喪失”として表現。非常に繊細なミックスとボーカル処理が印象的で、傷が癒えきらないまま進む姿を描いている。
7. Pegasus (feat. Phoebe Bridgers)
本作のハイライトのひとつ。Bridgersとのデュエットが絶妙で、互いの声がささやくように重なる構成。夢と幻想、そして失われたものを静かに悼む歌。まるで2人の間にしか存在しない言葉を交わしているよう。
8. Dog Rose
犬薔薇(Dog Rose)の茂みに触れるような、棘と柔らかさの同居したラブソング。自己防衛と親密さのバランスを保とうとする心の動きが見事に表現されている。
9. Puppy
恋に落ちる直前の、不安と期待の入り混じった感情を“子犬”に託して描写。愛らしいメロディとは裏腹に、内面は複雑で神経質。短くも記憶に残る楽曲。
10. I’m Sorry
ストレートな謝罪の言葉を、余白の多いビートと共に差し出す。後悔と誠実さ、そして関係の修復を静かに願う、Arloの声の震えが胸に刺さる。
11. Room (Red Wings)
閉じた部屋の中で感じる外部への憧れと不安を、Red Wings(赤い翼)という象徴で描く。最も実験的なサウンドデザインを持つ一曲で、空間と音の関係がきわめて詩的に構築されている。
12. Ghost
終曲にして最も静かなトラック。存在を失った誰か、あるいは自分自身の“亡霊”と向き合うような内容。アルバムの余韻を深く長く引き伸ばす。
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総評
『My Soft Machine』は、Arlo Parksが“感情のマイクロスコープ”としての自己をさらに磨き上げた作品であり、前作よりも曖昧で、しかしより切実な心の動きが描かれている。
彼女はもう“癒し”だけを歌っていない。代わりにここでは、「痛みも混ざったままの自己肯定」「わかり合えなさごと抱える優しさ」が主題となっている。つまり、もっと生々しく、もっと詩的なのだ。
音楽的には、ドリームポップ、R&B、ポストロック的要素が混ざり合い、まるで心の内部で鳴っている音をそのまま具現化したかのような質感を持っている。どの曲にも決められた展開はなく、すべてが“その瞬間の感情”のように流動的だ。
“わたしの柔らかい機械”という言葉のとおり、本作は「自分の不完全さを音に変える実験室」なのである。
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おすすめアルバム(5枚)
- FKA twigs『MAGDALENE』
身体性と感情の抽象化、声の実験性が共鳴。 - James Blake『Assume Form』
ロマンと脆さ、電子音と肉声の共存。 - Phoebe Bridgers『Punisher』
詩と音の距離が極めて近い、内省系ポップの傑作。 - Tirzah『Colourgrade』
音の“欠落”を美に変える感覚が近い。 -
Sufjan Stevens『The Ascension』
感情と電子音が交差する現代的スピリチュアル。
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歌詞の深読みと文化的背景
『My Soft Machine』に通底するのは、“身体と心がかならずしも一致しない”という現代的感覚である。
Arlo Parksはこの作品で、「癒し」や「寄り添い」だけでは届かない複雑な人間の在り方を、断定せず、名付けず、ただそのまま受け止めるという表現の形を提示した。
それはLGBTQ+、BIPOC、HSP、メンタルヘルスに悩む人々にとっての“安全な音楽空間”であり、同時に、誰もが持つ「柔らかく、不完全な機械としての自分自身」と向き合うための鏡でもある。
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