1. 歌詞の概要
「Muscles」は、1982年にリリースされたダイアナ・ロスのアルバム『Silk Electric』からのシングルであり、作詞・作曲・プロデュースをマイケル・ジャクソンが手がけたことで話題を呼んだユニークなポップ・ファンク楽曲である。
タイトルの「Muscles(筋肉)」が象徴するのは、理想化された“フィジカルな男性像”への憧れであり、歌詞では語り手が夢見る“逞しい男”のイメージが、時にユーモラスに、時にセクシャルに語られる。
その描写はかなりストレートでありながら、どこかポップで愛らしく、軽やかなタッチで“女性の欲望”を表現しているのが印象的だ。
「細マッチョ」「美男美女」といった価値観が言葉になる前から、ダイアナ・ロスはこの楽曲で“見た目のフェティシズム”と“ロマンティックな空想”を掛け合わせた恋愛観を提示していたともいえる。
欲望の自覚と、その肯定。それが「Muscles」の核心である。
2. 歌詞のバックグラウンド
本作は、マイケル・ジャクソンが『Thriller』の制作を控える中で、敬愛するダイアナ・ロスのために書き下ろした楽曲である。彼は子供時代からダイアナを“姉”のように慕っており、その愛情と敬意がこの楽曲にもにじんでいる。
しかし内容はというと、マイケルらしい遊び心と少し倒錯的なフェティッシュが詰め込まれた、風変わりな作品である。
“筋肉フェチ”をテーマにしたこの歌詞は、あえて誇張されたセクシャルな空想を描くことで、80年代の自由で表現豊かな女性像を提示している。しかもそれを、クールで気品のあるダイアナ・ロスが歌うからこそ、そのギャップが際立ち、耳を引くのだ。
「Muscles」はアメリカのR&Bチャートで1位を獲得し、ポップチャートでもTOP10入りを果たした。加えて、ミュージックビデオでは当時としては珍しい演出や視覚的な象徴を用い、性的な主題にアート性を加えた斬新な試みとして評価された。
3. 歌詞の抜粋と和訳
引用元:Genius Lyrics – Diana Ross “Muscles”
I want muscles
私が欲しいのは“筋肉”All over his body
彼の身体中にねMake him strong enough to walk right through my heart
私の心を突き抜けられるくらい強くてほしいの
この繰り返されるサビの中に、恋愛における“身体的魅力”への正直な欲望と、それが心を動かす感情と結びついている様子が描かれている。単なる物理的な好みではなく、“情熱の象徴”としての筋肉という表現が使われているのがポイントである。
I don’t care if he’s young or old
年齢なんて関係ないのJust make him beautiful
とにかく美しい人がいいの
見た目への執着をユーモアを交えて語るこの一節は、ルッキズムへの皮肉も感じられつつ、どこか開き直った潔さが爽快である。欲望を“恥じない”という姿勢が時代を先取りしている。
4. 歌詞の考察
「Muscles」は、一見すると奇抜なラブソングのように思えるかもしれない。しかしその実、恋愛において“女性が欲望を表現する”ことに正面から取り組んだ、かなり画期的な楽曲である。
この曲の語り手は、自らの理想を明確に持ち、それを隠すことなく表明する。そこにあるのは“恋愛=感情”という図式だけでなく、“恋愛=視覚”“恋愛=身体”というもうひとつの側面である。
しかもそれが、従来の“男性の視線”によって語られてきた性愛ではなく、あくまで“女性の視点”で、主体的に語られていることに意味がある。
さらに、「心を突き抜けてくれるほどの力が欲しい」というラインに象徴されるように、この曲はただの肉体賛歌ではなく、“感情に響く肉体”というロマンティックな矛盾を抱えている。だからこそ、ユーモラスでありながらどこか切実でもあるのだ。
マイケル・ジャクソンはこの曲に、自らのフェティッシュな美意識と、70年代後半以降のディスコ・カルチャーにおける“肉体の祝祭”を融合させた。そしてダイアナ・ロスはその複雑なイメージを、見事に自分のものとして昇華してみせた。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Physical by Olivia Newton-John
“体の欲望”を明るく爽快に表現したポップ・クラシック。ムードがよく似ている。 - Erotica by Madonna
性的欲望と感情をアートとして昇華させた挑発的な楽曲。女性の主体性が共通点。 - You Make Me Feel (Mighty Real) by Sylvester
ディスコと身体表現の融合。性的自己表現の開放性が重なる。 - All the Lovers by Kylie Minogue
視覚的・肉体的愛の肯定を、美しい音像で包んだ現代的ポップラブソング。 -
Inside Out by Diana Ross
同じアルバム『Silk Electric』収録のミッドテンポ・ファンク。愛の内面と外面を揺れ動く。
6. 欲望を笑顔で語る:ディーヴァが描いた“女性の視線”
「Muscles」は、ダイアナ・ロスが“愛を受け取る存在”ではなく、“愛を選び、求める存在”として自らを描いた数少ないポップソングのひとつである。
その内容は軽妙で遊び心に満ちているが、裏側には“女性の性的な欲望”を公然と語ることへの挑戦が潜んでいる。
この曲が発表された1982年は、まだ恋愛の主体が女性にあると表現することがタブー視されることも多かった時代。だが「Muscles」は、そんな常識を笑い飛ばすように、ポップな旋律に乗せて“私は私の理想を持ってる”と歌う。
そして何より、それを可能にしているのがダイアナ・ロスという存在である。彼女の声は、どんなに大胆な内容であっても“気品”を失わず、むしろ聴き手に安心感すら与える。そのバランスが、「Muscles」という曲に唯一無二の魅力を与えているのだ。
フェティッシュ、ロマンス、ユーモア、主体性──それらを包み込んで歌い上げるこの曲は、実はとても現代的な“女性の視線”のポップ・ソングなのかもしれない。
だからこそ、「Muscles」は時代を越えて、今なお語るに値する異色であり傑作な一曲なのである。
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