発売日: 2022年6月24日
ジャンル: インディーポップ、シンセポップ、クィアポップ
⸻
概要
『MUNA』は、ロサンゼルスのクィア・ポップ・トリオ、MUNAが2022年にリリースしたセルフタイトルの3作目のアルバムであり、彼女たちの音楽的成熟と解放感、そして再び「ポップであること」の歓びを力強く提示した作品である。
デビュー作『About U』では傷ついた恋とアイデンティティのゆらぎを繊細に描き、セカンド『Saves the World』では内省と自己救済をテーマに深く掘り下げたMUNA。
今作ではその両方を内包しつつ、ようやく自由と喜びのフェーズへとたどり着いたように感じられる。
セルフタイトルが冠されたこのアルバムは、文字通り“私たちはMUNAである”という自己定義の再確認であり、長年の葛藤と痛みの先にようやく辿り着いた「自分たちらしさ」の宣言である。
前作までのシリアスさと比べると、サウンドも歌詞もぐっと開かれ、より軽やかでフックの強い楽曲が並んでいる。
その一方で、深く繊細な感情表現は依然として健在であり、MUNAは“踊らせることで泣かせる”という稀有な芸当を今回もやってのけている。
⸻
全曲レビュー
1. Silk Chiffon (feat. Phoebe Bridgers)
アルバムを象徴する陽光のようなポップ・チューン。
「Life’s so fun, life’s so fun」というフレーズは、クィアであることの歓びと肯定をそのまま歌った明るい賛歌。
Phoebe Bridgersの参加もあり、クィア・アンセムとして一躍話題に。
2. What I Want
80sディスコ風のサウンドに乗せて、「自分が望むものを正直に求めて何が悪い?」という姿勢を高らかに歌う。
自己検閲からの解放というテーマが、音楽的な快楽と見事に融合する。
3. Runner’s High
“ランナーズ・ハイ”という比喩で、感情の高揚と麻痺を描いたアップテンポな一曲。
恋愛や自己肯定における“走り続ける”苦しさと快感が交錯する。
4. Home by Now
「もし別れていなかったら、今ごろ家に帰っていた?」と問いかける、静かなメランコリック・ソング。
リリックの切なさと、美しく浮遊するシンセが胸を打つ。
5. Kind of Girl
カントリー調のギターが印象的な、自己受容のバラード。
「私は誰かの理想の“女の子”じゃないけど、それでも愛されたい」という主題が、極めて誠実に、そして静かに語られる。
6. Handle Me
恋愛関係における“重さ”と“ケアの欲望”を描く、スロウなソウル調の楽曲。
ボーカルの吐息混じりのトーンが、親密さと不安定さを両立させている。
7. No Idea
フックの効いたダンサブルなナンバー。
相手の本音が分からない恋の“読めなさ”を、ポップなサウンドで軽やかに昇華している。
8. Solid
愛情の不確かさを、「本当に私はあなたにとって“ソリッド(確かな存在)”なのか?」と問うナンバー。
キックの効いたビートと緊張感のある展開が印象的。
9. Anything But Me
別れを告げることの痛みと正しさをテーマにした軽快なギターポップ。
「私はあなたが嫌いなわけじゃない、ただ“あなたじゃない誰か”でいたいだけ」——その決断の潔さがポップに響く。
10. Loose Garment
「私は感情をタイトに抱えすぎていた。でもいまは、それを緩く羽織るようになった」と歌う、極めて詩的な楽曲。
ストリングスとシンセが美しく絡み合う、静かな名曲。
11. Shooting Star
一瞬で燃え尽きる恋と、それに対する切なさと憧れを歌う。
きらめくようなシンセと、淡く消えていくようなメロディが、タイトル通りの感覚を喚起する。
⸻
総評
『MUNA』は、これまでの彼女たちの歩みをすべて受け止めた上で、“いまここにある私たち”をまっすぐに表現した、非常に開かれたポップ・アルバムである。
特に重要なのは、“痛みの語り手”だったMUNAが、本作では“喜びの実践者”にもなっているという点だ。
それは痛みを忘れたのではなく、痛みを抱えたままでも喜びを感じていいのだという、ある種の“赦し”の態度なのだ。
楽曲は全体的に明るく、踊れるテンポのものが多いが、どの曲にも“人生の揺れ”が丁寧に織り込まれており、単なる陽気なポップとは一線を画す。
それはまるで、日差しの中で泣くことを許された人々のための音楽——そんな印象を受ける。
MUNAは今や、クィア・ポップというカテゴリを超えて、「人間としてどう生きるか」「どう他者と関係を結ぶか」をポップの言語で語る希少な存在になった。
セルフタイトルのこのアルバムは、彼女たちの“アイデンティティ”の再構築であり、それを祝う祝祭でもあるのだ。
⸻
おすすめアルバム(5枚)
- Rina Sawayama『Hold the Girl』
個人的トラウマとジェンダー観をポップに昇華した表現力に共通点。 - Robyn『Body Talk』
踊らせながら泣かせる、感情とクラブの交差点的作品。 - Troye Sivan『Bloom』
クィアな自己表現を官能的かつ優美に描いた傑作。 - Carly Rae Jepsen『Emotion』
恋愛と自己疑問の間で揺れる感情を、完璧なポップで包み込む名作。 - Christine and the Queens『Chris』
アイデンティティの揺らぎと身体性をポップとエレクトロで探る挑戦作。
⸻
7. 歌詞の深読みと文化的背景
『MUNA』における歌詞は、クィアであることを「語るべき痛み」としてではなく、「祝うべき存在」として描いている点が画期的である。
例えば「Silk Chiffon」では、同性へのときめきをティーンエイジャー的な甘さで描き、「Kind of Girl」では女性らしさという社会的概念から逸脱する自分を穏やかに肯定する。
この“柔らかいラディカルさ”こそが、現代的なポップの先端を示している。
また、Phoebe Bridgersやboygeniusなどとの連帯も象徴するように、本作は“悲しみ”の共有から、“祝祭”の共有へとステージを進めたクィア・カルチャーの成熟とも重なる。
MUNAはこの作品で、もう「戦う必要がない日々」を夢見るだけでなく、「いまこの瞬間を祝う力」を音楽にしているのだ。
コメント