
発売日: 1981年4月6日
ジャンル: ポストパンク、ダークウェイブ、エクスペリメンタル・ロック、ノイズロック
概要
『Mesh & Lace』は、イギリスのバンド Modern English によるデビュー・アルバムであり、
1981年のポストパンク最盛期に生まれた、鋭利な実験性と陰鬱な情緒が交錯する初期衝動の記録である。
後の彼らの代表曲「I Melt With You」に見られるようなドリーミーなメロディ感とは異なり、
本作ではむしろ、ギターのノイズ、硬質なリズム、機械的で反復的な構成、そして不穏で抽象的な歌詞を前面に押し出している。
インスピレーション源としては、Joy Division、Wire、The Cure(特に初期)、This Heat などと共振する部分が大きく、
4ADレーベルのカタログの中でも、とりわけインダストリアルでダークな音世界を構築した作品といえる。
アルバム・タイトルの “Mesh” と “Lace”(網とレース)も象徴的で、
無機質で冷たい質感(Mesh)と、かすかなロマンスや感情の残滓(Lace)という対比が、音楽と歌詞に反映されている。
全曲レビュー
1. 16 Days
ギターの反復と不穏なサウンドスケープで幕を開ける、インダストリアルかつ戦闘的なオープナー。
ベースとドラムの強調されたパルスが、都市の緊張感と空虚な時間の流れを描く。
タイトルの“16日間”が何を指すのかは明言されず、
むしろ時間という概念そのものが意味を失った世界のサウンドトラックのようである。
2. Just a Thought
ディストーションまじりのギターとエコーの深いヴォーカルが絡む、不確かな内面を描いたポストパンク・ナンバー。
歌詞の断片性は、思考の揺れや断絶を音楽でそのまま表現しようとした結果のように感じられる。
内省というよりは精神の崩壊寸前の危うさを伴っている。
3. Move in Light
アグレッシブなベースラインとカッティング・ギターが主導する、ダンスビートを持ったダーク・ファンク的要素も感じる楽曲。
タイトルとは裏腹に、音楽は光というより地下で蠢くような冷気を放っており、
“Light”は皮肉または逃避の象徴として機能している。
4. Grief
その名の通り“悲嘆”をテーマにした重苦しい楽曲。
ギターが空間を裂くように鳴り響き、ヴォーカルは抑制されながらも内なる嘆きと怒りをにじませる。
喪失と沈黙の空間性を音で可視化したような、ミニマルかつ痛烈な構成が光る。
5. The Token Man
リズムが歪みながら展開する不協和なサウンドに、“象徴としての男”というアイロニカルな視点を重ねたコンセプチュアルな一曲。
ここでは主体性を剥奪された存在の苦悩や、ジェンダー的な役割の欺瞞までもが暗に示されているように思える。
音楽は暴力的で、リスナーに精神的な圧を与えるような構成。
6. A Viable Commercial
本作でもっとも皮肉と風刺に満ちたナンバー。
“売れる作品”というタイトルとは裏腹に、音楽はノイズに満ちた実験的構造を取り、
むしろ商業主義を拒絶するような態度を貫く。
レーベルや業界へのカウンターとしての側面も色濃く、アートとしての誠実さを死守しようとする意思表明のようにも受け取れる。
7. Black Houses
本作中でもとくにダークでインダストリアルな要素が強い一曲。
“黒い家”=抑圧された家庭、壊れた社会、閉ざされた精神空間を象徴しており、
サウンドは鋭利で、聴く者の安心を徹底して破壊する構造。
モノトーンの映像が浮かぶような、退廃的な美学をもったトラック。
8. Dance of Devotion (A Love Song)
“ラブソング”という副題がついていながら、ここには甘さも救いもない。
愛が儀式化し、狂気と一体化していくような構成で、
反復とノイズによって**“愛する”ことの根源的暴力性と依存の危うさ**が浮き彫りにされる。
ある意味、“愛の不可能性”を描いたもっとも誠実なラブソングなのかもしれない。
9. Tranquility
アルバム最後に置かれた皮肉なタイトル。
“静寂”を意味するこの言葉とは裏腹に、音楽はどこか空虚で、冷たく、
むしろ“虚無の中の静けさ”を音像化したような結末を迎える。
救済はなく、ただ息を潜めるような終わり方が、
このアルバムの世界観を閉じると同時に、永遠の不安を残して幕を下ろす。
総評
『Mesh & Lace』は、Modern Englishというバンドの最も荒削りで攻撃的な美学が凝縮されたデビュー作である。
のちに彼らが獲得するドリーミーでポップな側面からは想像し難いほど、
ここでの彼らは鋭く、傷だらけで、不協和音に満ちた都市の亡霊のような存在だ。
それは単なる暗さやノイジーさではない。
“不確かさ”という時代の空気を、音楽でそのまま提示しようとした実験の痕跡が、今なお生々しく響いてくる。
このアルバムは、ポストパンクの“未完成という完成”を体現した、音の記録装置=ドキュメントなのだ。
おすすめアルバム(5枚)
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Wire – Chairs Missing (1978)
実験性と鋭利な感性を兼ね備えたポストパンクの古典。 -
This Heat – Deceit (1981)
政治性と音の暴力性が交差する先鋭的アート・ロック。 -
Joy Division – Unknown Pleasures (1979)
陰影と抑制の美学。『Mesh & Lace』の精神的祖先ともいえる。 -
The Sound – Jeopardy (1980)
激情とメランコリーが交差する初期ポストパンクの傑作。 -
The Cure – Seventeen Seconds (1980)
ミニマリズムと感情の影を音にした、静かなるポストパンク詩篇。
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