
発売日: 1991年8月27日
ジャンル: ポップ、ファンク、ニュー・ジャック・スウィング、ラテン・ポップ
概要
『Martika’s Kitchen』は、マルティカが1991年に発表したセカンド・アルバムであり、ポップ・アイドルから成熟したアーティストへの過渡期を記録した、意欲的かつ挑戦的な作品である。
前作『Martika』の成功を経て、2年半の沈黙の後に届けられたこの作品では、プリンスの参加が最大の話題となった。
彼はタイトル曲を含む4曲を提供・共同制作しており、R&Bやファンク色を強めたサウンドは、前作のティーン・ポップ路線からの大きな脱却を意味している。
同時に、ラテン系アメリカ人としてのルーツや、ジェンダー、アイデンティティに関する自意識もにじませ、
1990年代初頭の“ポップの多様化”に呼応するような広がりを見せた作品でもある。
全曲レビュー
Martika’s Kitchen
アルバムの幕開けにして、プリンス印のファンク・ポップ。
キッチン=女性の領域という固定観念をあえて利用しながら、**“愛も料理も自分の手で”**という主導性を歌う。
性的比喩も交えつつ、マルティカの大人びた声が妖艶に響く。
Spirit
もう一つのプリンス提供曲。ミッドテンポのグルーヴに乗せて、スピリチュアルな内面を探るような一曲。
“精神”と“肉体”の葛藤がテーマで、一人の女性が自身の心の自由を見つけようとする物語にも感じられる。
Love… Thy Will Be Done
アルバム最大のヒット曲。プリンス作詞・作曲・プロデュースによる、美しく静謐なバラード。
神への愛、あるいは無償の愛への服従と覚悟を歌った、宗教的ともいえる深いリリックが特徴。
マルティカのヴォーカルが内省的な祈りのように響く。
A Magical Place
シンセの音色が印象的な、幻想的なポップナンバー。
内面の逃避先としての「魔法の場所」が描かれ、彼女の“少女性”と“夢想”の残響を感じさせる。
セカンド・アルバムながら、前作との橋渡し的役割も担う。
Coloured Kisses
スモーキーなラテン・バラード。
肌の色や文化的背景の違いが、恋愛や社会においてどのような障壁になるかを問いかける歌詞。
“色のついたキス”は偏見を壊す行為として象徴的に描かれている。
Safe in the Arms of Love
明るめのR&Bポップ。
愛に守られる心地よさを、包み込むようなサウンドで表現。
安心や癒しがテーマで、アルバムの中でもリリスナーに寄り添う存在となっている。
Pride & Prejudice
タイトルからも明らかなように、社会的偏見やプライドを扱う意欲作。
ジェンダーや人種の壁を越えて生きることの難しさが、80s〜90sの文脈で浮かび上がる。
メッセージ性の強い歌詞は、フェミニズム的にも読解可能。
Take Me to Forever
柔らかいラテン・ポップのバラード。
永遠の愛を願うが、その裏にある不安や疑念も同時に描写されている。
マルティカのルーツであるキューバ音楽への敬意も感じさせる構成。
Temptation
プリンス提供のファンキーなトラック。
誘惑と抑制、官能と信仰という両極を行き来する構成で、まさに“Princeワールド”をマルティカが借りて体現している。
セクシャルなイメージと宗教的トーンが交錯する、挑戦的な作品。
Broken Heart
失恋の痛みをストレートに描いたポップ・ロック。
感情を吐き出すようなヴォーカルが、マルティカの“素顔”を垣間見せる。
飾り気のないリアルな感情表現が、アルバムに人間的な体温を与える。
Mi Tierra
アルバムの終盤に配されたスペイン語曲で、“自分の土地”=祖国・ルーツをテーマにしたナンバー。
キューバ系アメリカ人としての誇りと哀愁が、アコースティックな編成で丁寧に描かれる。
移民としてのアイデンティティを語るような、強く静かな決意が感じられる。
総評
『Martika’s Kitchen』は、デビュー作のポップな輝きをそのままにしながら、
**アーティストとしての内面の深化と表現領域の拡大を試みた“変革のアルバム”**である。
プリンスとのコラボレーションは単なる話題性にとどまらず、
彼の思想とマルティカの個性が交差することで、よりスピリチュアルかつ社会的な次元へと踏み込むことに成功している。
本作で提示されたテーマ――愛、信仰、ジェンダー、アイデンティティ、差別――はいずれも1990年代のポップにとっては挑戦的なものであり、
その先進性ゆえに当時は過小評価された側面もある。
しかし今、あらためて聴くことで、マルティカというアーティストが**「語る力」を持った表現者**であったことが明白になる。
彼女の声には、ポップスの枠を超えた“祈り”と“問い”が確かに宿っていた。
『Martika’s Kitchen』は、90年代ポップの陰影と可能性を映した、静かな野心作である。
おすすめアルバム(5枚)
- Prince『Lovesexy』
精神性とセクシュアリティの交錯。テーマ性・音楽性ともに本作の核心と重なる。 - Sheila E.『Sheila E.』
プリンスの庇護下にあった女性アーティストによるラテン×ファンクな表現。 - Paula Abdul『Spellbound』
ダンスと内面性のバランスが類似。90年代初頭の女性ポップの代表作。 - Madonna『Like a Prayer』
宗教と愛、アイデンティティを巡る表現という点で共振。 - Gloria Estefan『Mi Tierra』
ラテン・ルーツを表現した作品として、本作の終盤のトーンに近い。
8. ファンや評論家の反応
当時のリスナーやメディアは、『Martika’s Kitchen』に戸惑いを見せた部分も多かった。
前作のようなティーン・ポップのイメージで彼女を捉えていた層にとっては、
本作の内省的かつ官能的な内容は“成長”というよりも“変貌”に感じられたのだろう。
しかし、プリンスとの共同制作やラテン要素の導入により、アーティストとしての評価は密かに高まり、
90年代末〜2000年代以降には**「時代を先取りしすぎた作品」として再評価される**ようになっている。
特に「Love… Thy Will Be Done」は、プリンスの死後に改めて注目され、
マルティカの“語り手”としてのポテンシャルが見直された。
その結果、『Martika’s Kitchen』は**“過渡期の逸品”として音楽史に刻まれる作品**となったのである。
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