発売日: 1990年7月
ジャンル: シューゲイザー、ノイズ・ポップ、インディー・ロック
概要
『Ichabod and I』は、The Boo Radleysが1990年に自主制作で発表したデビュー・アルバムであり、彼らののちの名声につながる音楽的要素を早くも内包した初期衝動の記録である。
本作は、彼らがイギリス・リバプール周辺で活動していた時期に制作された作品で、Small Mercyという小規模レーベルからのリリースとなった。
まだ10代であったメンバーたちは、スタジオ技術や予算面では決して恵まれていなかったが、その分、サウンドにはDIY精神と実験的な衝動が強く現れている。
The Boo Radleysといえば、90年代中盤の『Giant Steps』や『Wake Up!』といったアルバムでのポップ志向やブリットポップ的展開が広く知られているが、このデビュー作はそれとはまったく異なる荒々しい音像に満ちている。
むしろ初期のRideやMy Bloody Valentine、さらにはSonic YouthやDinosaur Jr.に通じるような、ノイズと美意識のせめぎあいに焦点を当てた音楽である。
ギタリストのマーティン・カーとボーカルのサイモン・“シズ”・ロウが中心となり、轟音の中に儚いメロディを封じ込めるスタイルは、のちのシューゲイザー・ムーブメントの先駆的存在として再評価されている。
タイトルの「Ichabod」は、ワシントン・アーヴィングの小説『スリーピー・ホロウの伝説』の登場人物に由来し、夢想と恐怖、実在と幻想の境界を暗示している。
この物語的な空気は、本作に漂う不安定な抒情性とも深く共鳴しているのだ。
全曲レビュー
1. Eloquent Dead
轟音ギターに包まれた開幕曲。
タイトルが示す通り、語る死者たち＝“Eloquent Dead”は、過去の記憶や失われた声を象徴している。
重く揺れるコード進行に、不穏さと美しさが共存している。
2. Swansong
儚くも甘美なノイズバラード。
“最後の歌”という意味深なタイトルから、終末のロマンティシズムが感じられる。
ヴォーカルはほとんど埋もれており、サウンドそのものが物語を語っているかのようだ。
3. Catweazle
ややアップテンポな楽曲。
イギリスのカルト的キャラクター「キャットウィーズル」を思わせるタイトルがユーモラスだが、曲調は荒涼とした感触を持っている。
4. Walking 5th Carnival
構成の不安定さが、まさに“傾いたカーニバル”のごとく展開する。
コードの解決を意図的に避けたような旋律が、夢と現実の狭間を浮かび上がらせる。
5. Kaleidoscope
本作でも特にシューゲイザー的な要素が顕著な1曲。
多層的に重ねられたギターが、万華鏡のように音色を変化させ続ける。
ポップなメロディの片鱗も垣間見える。
6. Blues for George Michael
印象的なタイトルだが、本人との直接的関連は薄いと思われる。
ポップスターとインディーの距離、憧れと皮肉、その両義性がこの一曲に込められている。
“ブルーズ”というよりも、オルタナ的な哀愁が支配する。
7. Alone in the City
都市的な孤独をテーマにしたダークなトーンの楽曲。
ループするベースラインと、歪んだギターの反復が、閉塞感を演出する。
8. Elegant Chaos
本作中、最も激しいノイズを伴う1曲。
“優雅なる混沌”というパラドクスが、タイトルとサウンドの両方で表現されている。
RideやLoopの影響が色濃い。
総評
『Ichabod and I』は、The Boo Radleysの“原石”としての魅力が濃縮された記録である。
のちの洗練されたポップ路線とは対照的に、このデビュー作はノイズ、混沌、曖昧なメロディを核とした、内省的で実験的な作品となっている。
プロダクションは決して高品質とは言えず、むしろ荒さや音の滲みが目立つ。
だがそれこそがこの時代のUKインディーの美学であり、時代を反映した音響の一部として受け取るべきだろう。
当時のリスナーにはあまり知られず、長らく入手困難であったが、後年の再評価を通じて、彼らのルーツとして音楽的にも歴史的にも重要な位置づけがなされている。
本作は、ポスト・マイブラ世代がいかにして“ギターの壁”を乗り越え、音楽的個性を模索していたかを知る上で、非常に貴重な資料となる。
The Boo Radleysが持つポップ志向の萌芽もわずかに垣間見え、彼らのその後の方向性を思えば、逆説的に本作は「可能性の塊」であったとも言える。
おすすめアルバム
- Ride / Play
初期の轟音ギターと美メロの融合。『Ichabod and I』と共鳴する粗削りな感性。 - My Bloody Valentine / Ecstasy and Wine
同じく初期作品であり、荒削りなノイズとメロディのせめぎあいが見られる。 - Loop / Fade Out
ドローン的反復とノイジーな美学において、本作と地続きの世界観を持つ。 - Slowdive / Just for a Day
後年の洗練とは異なる初期シューゲイザーのもつ儚さと緊張感を感じさせる。 - Sonic Youth / Sister
ノイズの中にリズムとメロディを潜ませるスタイルは、本作にも通じるものがある。
制作の裏側（Behind the Scenes）
『Ichabod and I』は、わずか数日のレコーディングで完成したと言われており、マーティン・カーによるDIY的な録音・ミキシングが行われた。
機材は最小限で、ドラムのマイキングやギターの定位なども決して理想的とはいえない環境下での制作だったが、それが逆にライブ的でラフな音像をもたらしている。
アルバムは300枚のみプレスされ、その後の正規流通はなかったため、長らくファンの間で「幻のデビュー作」として語られていた。
2000年代以降の再発やデジタル化によってようやく広く聴かれるようになり、初期ブリットポップ以前の文脈において、その歴史的価値が見直されつつある。
この作品は、ポップなバンドへと変貌する直前の、最も純粋で粗削りなBoo Radleysの証言である。
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