発売日: 1989年1月23日
ジャンル: オルタナティヴ・ロック、ポストパンク、カレッジ・ロック
概要
『Hunkpapa』は、Throwing Musesが1989年に発表したサード・アルバムであり、初期のエッジーで混沌とした感情の奔流から一転し、より洗練されたサウンドとメロディへの接近が見られる作品である。
クリスティン・ハーシュとターニャ・ドネリーの両輪が並び立つ最後のアルバムでもあり、メジャー流通を意識した端正なプロダクションが、バンドの“インディーの狂気”と“ポップの誘惑”の狭間で揺れる様を映し出している。
“Hunkpapa”というタイトルは、ラコタ族の部族名であり、アメリカの先住文化や抑圧された歴史を仄かに想起させるもの。
一方で歌詞世界は極めて個人的で、家庭、愛、精神の亀裂といったテーマが、より明晰で“聴きやすい”音の中に息づいている。
全曲レビュー
1. Devil’s Roof
力強く歪んだギターとハーシュの切迫したボーカルが印象的なオープニング。
「悪魔の屋根」とは、安全と暴力が重なる家庭の比喩か。
まさにThrowing Musesらしい多義的な一曲。
2. Bea
ターニャ・ドネリーによる軽やかなポップ・ナンバー。
アルバムの中でも異色の明快さがあり、彼女のBellyやBreedersでの作風の原型を感じさせる。
3. Dizzy
本作の中で最もキャッチーなシングル曲。
リフの反復とシンプルな構成が心地よく、Throwing Musesの中でも最も“ポップ”な領域に踏み込んだ楽曲。
4. No Parachutes
不穏なギターと淡々とした語りが交錯する、緊張感あるミディアム・ナンバー。
「パラシュートなしで飛び降りる」ことの比喩が、恋愛や依存関係への無防備な飛翔として読める。
5. Dragonhead
サイケデリックでうねるようなリズムが印象的。
内的世界における“怪物”との対峙を描いたような、幻想と現実の境界を揺さぶる曲。
6. Fall Down
ミニマルな伴奏と繰り返しの多い詞が、まるで呪文のように作用する。
“倒れる”ことを恐れない姿勢が、逆説的な前向きさを伴って響く。
7. Back Road
静けさとスリルが同居するバラード調。
田舎道=過去の記憶という設定の中で、心の迷子であることを穏やかに告白するような一曲。
8. Take
アグレッシブなギターと崩れそうなメロディが、初期Throwing Musesの衝動性を呼び戻す。
その一方で、構成のタイトさにはバンドの成熟も見られる。
9. Stash
短くてシンプルながら、鬱屈とした緊張を帯びた楽曲。
“隠されたもの”というタイトルに相応しく、抑圧された感情が滲み出るよう。
10. Mania
ハーシュのヴォーカルが最も不安定でエモーショナルな一曲。
タイトル通り躁的なエネルギーが暴走し、バンドの真骨頂が発揮される。
11. Limbo
不協和と流麗さが交差する、アルバム後半の要。
浮遊しながらも落下し続けるような、Throwing Musesらしい美しき不安定さがある。
12. Vicky’s Box (US盤のみ)
デビュー作の曲の再録・収録。
“箱”という比喩が女性の身体性や秘密を象徴し、バンドの原点回帰としても意味深。
総評
『Hunkpapa』は、Throwing Musesが激情と構築、混沌と整合、詩と現実のすべてを手の内に収めようと試みた“過渡期の記録”である。
前作『House Tornado』で見られた尖った衝動は抑えられ、より抑制されたフォームに落とし込まれているが、そこに宿る精神の震えはむしろ深く、持続的である。
クリスティン・ハーシュはこのアルバムで“狂気を制御する言語”を手に入れたかのように、破綻しそうな感情を律するように歌い、
ターニャ・ドネリーはその対極で、明るさとメロディを添えることで、Throwing Musesに別の可能性を吹き込んだ。
この静かなる均衡は、次作『The Real Ramona』で最高潮を迎え、そして崩れていく。
『Hunkpapa』は、その“直前のまなざし”であり、嵐の前の静けさなのだ。
おすすめアルバム
- The Real Ramona / Throwing Muses
次作にしてターニャ・ドネリー在籍最後の作品。本作のポップ路線の集大成。 - Belly / Star
ドネリーが本格的にメロディと幻想性を追求したデビュー作。 - Kristin Hersh / Hips and Makers
ハーシュのソロ作。『Hunkpapa』で蓄積された内面性が、より静かな形式で結晶。 - Cocteau Twins / Blue Bell Knoll
同じ4ADの女性主導バンド。浮遊感と感情の交差点という点で共鳴。 -
The Breeders / Pod
ターニャが脱退後に関わったもうひとつの名プロジェクト。Bellyとは異なる緊張感がある。
ファンや評論家の反応
当時のUK音楽誌では、Throwing Musesが「アメリカ発のポストパンク再解釈」として熱烈に支持されていた一方、本作はやや評価が割れた。
その理由は明快で、“音楽として整ってきたがゆえに、彼女たちの核にあった“危うさ”が薄れた”と捉えられたためである。
だが現在では、本作がオルタナティヴ女性アーティストの“メロディと衝動の接合点”であり、
ハーシュとドネリーというふたつの才能が最も美しく均衡していた瞬間として、静かに再評価されている。
コメント