アルバムレビュー：Happiness Not Included by Soft Cell

発売日: 2022年5月6日
ジャンル: シンセポップ、ダークウェイヴ、エレクトロ・ポップ

概要
全曲レビュー
総評
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概要

『*Happiness Not Included』は、Soft Cellが2022年に発表した5作目のスタジオ・アルバムであり、20年ぶりの復活作として、老成と諦念、そして静かな怒りを内包した“成熟した退廃の記録”である。
1980年代の耽美で官能的なシンセポップの担い手であった彼らが、2020年代という現代の荒廃した社会と個人の孤独をテーマに、あくまでSoft Cellらしく、アイロニーとメロドラマ、そして鋭い観察眼をもって描き出した一作である。

タイトルにある「*（アスタリスク）」と「幸福は含まれていません」という冷ややかな言葉は、かつて夢見た未来に対する裏切りや、テクノロジーと消費主義によって変質した現代社会への皮肉を込めたもの。
マーク・アーモンド（Marc Almond）の歌声は円熟と脆さを帯び、デヴィッド・ボール（David Ball）のサウンドはクラシックなシンセポップの響きを保ちながらも、現代の空虚と雑踏を映し出している。

アルバム全体はノスタルジアへの回帰ではなく、未来を夢見た者たちが、その夢の果てに何を見たのかという問いそのものに向き合っている。
かつて“夜のキャバレー”を描いた彼らが、今回は“失われた理想の墓地”を歩いているような感触がある。

全曲レビュー

1. Happy Happy Happy

タイトルに反して、ビートは冷たく、マークの声には倦怠が漂う。
「幸せ、幸せ、幸せ」と繰り返すことで、かえってその不在が際立つ――そんなアイロニカルな開幕。
かつての『Frustration』の2020年代版といえる。

2. Polaroid

80年代初頭のナイトクラブ、ウォーホル、ドラァグ・カルチャーを振り返る回想的ナンバー。
音楽と美の残像としての“ポラロイド写真”をモチーフに、記憶と視覚の儚さを描く。
エレクトロニックな装飾の奥に、明確な哀愁が滲む。

3. Bruises on My Illusions

自己欺瞞の上に重ねられた“幻想のあざ”。
リード・シングルとしても強烈な印象を残す、メロディックかつ攻撃的なシンセ・ナンバー。
感情の裂け目を美しく彩るのは、Soft Cellの真骨頂。

4. Purple Zone (with Pet Shop Boys)

Pet Shop Boysとのコラボによって実現した、アルバム随一の洗練ポップ。
“パープルゾーン”＝曖昧な快楽と苦痛の中間領域。
両者の個性が見事に交錯し、2020年代のクラブ・アンセムとして機能する傑作。

5. Heart Like Chernobyl

チェルノブイリ＝放射能汚染の心、という過激な比喩。
荒廃した世界、汚された感情、再生不能な愛。
重く歪んだシンセが感情の地層をえぐり、絶望を美化することなく提示する。

6. Light Sleepers

眠れない夜を彷徨う魂たちへの抒情詩。
繊細なシンセアレンジと囁くようなヴォーカルが、不安定なまどろみの中をゆらゆらと進む。
一種のララバイとして機能しつつ、根底には深い孤独が横たわる。

7. Happiness Not Included

タイトル・トラック。
理想の未来を夢見た世代が、現実との落差に気づく瞬間を描いた静かな嘆きの歌。
「子どもの頃に約束された未来はどこに行ったのか？」という問いが突き刺さる。
Marc Almondの静かな怒りと寂寥が心に残る。

8. Nostalgia Machine

ノスタルジアを商品化し、反復して消費する現代社会への皮肉。
キャッチーなリズムとポップなメロディの裏に、歴史の風化と意味の解体がある。
それでも踊るしかない――という姿勢が、どこか痛ましく美しい。

9. Nighthawks

夜の街に潜む孤独と欲望を描く語り的トラック。
エドワード・ホッパーの絵画のような閉じた情景が、冷えたシンセと語り口によって浮かび上がる。
視覚と音の境界を溶かすような実験的構成。

10. I’m Not a Friend of God

宗教、信仰、倫理に対する挑発的でパーソナルな楽曲。
自らの立場を明確に語りながらも、その中に“信じること”への喪失と哀しみがにじむ。
80年代の“キャンプ”を通過した今だからこそのシリアスネス。

11. Tranquiliser

心を落ち着かせる薬、しかしそれは感情の麻痺と表裏一体。
穏やかなメロディと静かな声が、むしろ感情の不在を強調する。
感覚の断絶を、やさしさの仮面で包んだ一曲。

12. New Eden

アルバムの締めくくりにふさわしい、希望と皮肉の混じったラストトラック。
新しい楽園は果たして実在するのか、それともまた幻なのか。
未来への問いを残したまま、静かにフェードアウトする幕引き。

総評

『*Happiness Not Included』は、Soft Cellが単なる再結成バンドにとどまらず、“今この時代にしか鳴らせない音楽”を作ることに成功した異色の復帰作である。
ノスタルジアへの回帰でも、無理に現代風を装った進化でもなく、Soft Cellという表現者が40年にわたって蓄積してきた傷と観察の結晶がここにある。

マーク・アーモンドの声は、もはや若さのエッジではなく、失望と経験が刻まれた語り手の声であり、その響きはかつて以上にリアルで切実だ。
このアルバムに“幸福”は含まれていないかもしれない。
だがそこには、幸福な幻想の崩壊を引き受ける覚悟と、それでも歌い続ける意志がある。

Soft Cellはまだ終わっていない。
むしろ今こそ、最も静かで強いかたちで、世界に対して歌っている。